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西部遺跡管理事務所 業務日誌  作者: 青桐 臨
番外編 バルトロ・クルーガーの愛娘
196/203

8 結果

 

 イアンは出て行って、会議室の扉が一度閉まる。


 自分も後に続かなければ、不自然だ。


 それでも、足裏が床に貼り付いたように、すぐには動けなかった。

 心臓は気持ち悪いほどに早く脈打ち、拳を硬く握り締めていた。肩は痛い。口の中は腫れぼったく、嫌な熱を帯びている。


 近くに置かれた椅子がさっきから視界に入っていた。

 それを思い切り蹴り飛ばしたい衝動に駆られるが──

 

 “杖無し”で在ることで、ぶつけられる言葉や受ける扱い。

 それらに感情的になるのは、他人のくだらない悪意を真に受けてしまっているからだ。

 俺は違う。だから物に当たる必要もないし、誰も見ていないからといって悪態をつくこともない。そんなこと俺はしない。

 

 何を言われても、どんな目に遭わされても──肉体的に痛いものは痛いし、表面的には削り取られることはあっても──俺の奥底の何にも響かない。

 


 今回も大丈夫だ。

 


 腹の中で渦巻く不快な熱さと、口の中に溜まった血混じりの唾を飲み下す。胃のむかつきがひどい。ポケットから吐き気止めを出して飲んでおいた。

 大きく息を吐き、乱れた襟元と髪形を整える。

 ローブの肩に開いた小さな穴と血の汚れはほとんど目立たない。

 あとは、イアンが言ったとおりこの腫れた頬をどう誤魔化すかだけだが、これはどうとでもなる。


 ルペルは見つかったのだろうか。


 位置が少しずれた椅子をきちんと戻し、バルトロさん父娘の方に意識を逸らしながら、ようやく自分も会議室を出た。



§



 イアンの姿は既になく、1階に降りると受付カウンターを挟んでゴシュ係長と話をしている様子だった。

 

「我が主人にもその旨伝えますので。お騒がせして申し訳ありませんでした」

 イアンは礼儀正しく軽くお辞儀をした。

「はいはい、わかったならいいですよ。ではこちらで失礼しますね」

 係長は適当な態度で席へと戻っていく。

 イアンがこちらに気づくと意味ありげな視線を見せ、すぐに他の黒服を連れて事務所を去っていった。


「遅かったなカギモト」

 柱に備え付けられたキーボックスに鍵束を戻しているとトレックが近づいてきた。

「ああ、ついでに会議室の中、少し片付けしてて」

「真面目か。って、どうした? 顔、赤くなってるじゃん」

 トレックが目を丸くする。

 さっき事前にトイレの鏡で確認したが、イアンに叩かれたところは確かに結構赤くなっていた。しかし隠せる部分でもないので堂々としているしかない。

「さっきうっかりドアにぶつけて」

 照れたように笑ってみせるが、トレックは「どんな勢いだよ」と疑わしげな顔である。 

 その視線をイアン達が帰って行った外の方にちらと向け、

「大丈夫か? 冷やした方がいいんじゃねえの」

「大丈夫大丈夫。それよりルペルちゃんは……」

「どうしたんです?」

 やり取りが聞こえたのか、ソナもやってきた。

 こちらを見ると、その表情が一瞬で険しくなる。

「……どうしたんですか、カギモトさん、それ」

「顔のこと? こいつにも言ったけど、ドアにぶつけちゃって。最悪だよ、口の中も切れたし」

 ソナの薄灰色の目が冷たい。視線を外し、

「ええと、それで、ルペルちゃんは?」

 話題を大事な方に戻す。

「いえ、まだ。学校にも戻っていなくて、今は心当たりの場所を探しているそうです」

「そっか……」

 時計を見る。既に夕方に差し掛かっていた。


「ほら君たち、警察も動いてるみたいだし、心配なのはわかるけど、僕たちは僕たちの仕事やらないと」

 係長の声がした。

 確かに、バルトロさんが手に入れてくれた資料で、早くイベント準備の方も進めなければ。

 何が起きても、仕事が消えてなくなるわけではない。

 キーボックスの蓋を閉じた。 


「フラフニルさん、それじゃあ悪いけど、例の資料作るの手伝ってくれる?」

 ソナは一瞬口籠るようにしていたが、すぐに「はい」と頷いた。




 北部の資料があれば速やかに終わるかと思ったが、まあそんなに簡単なことでもなかった。

 会場の規模も人数も異なるのだから仕方がない。西部地区の状況に合わせてソナと相談しつつ変更を加えていく。合間に入力作業や電話応対も入ってくる。


 終業を告げるチャイムが鳴った。


 何も成していないのに時間だけが溶け去ってしまったような気分だ。

 溜息が出そうになるのを押し殺す。


「あとは俺が内容詰めとくよ。係長も残るみたいだし、ここまでのところは報告しておくから。フラフニルさんは今日は帰ったら?」

 ペンを片手に書類を睨んでいたソナはふと顔を上げた。

「いえ、今日も残れます」

「俺が言うのもなんだけどね、残って終わらせる癖はつけない方がいいと思う」

「……本当に、カギモトさんが言うのはどうかと思います」

「はは」

 軽く笑い、「それじゃ係長に進捗報告しようか」と立ち上がる。

 

 ソナと並び、案段階の資料を見せてゴシュ係長と話していると、係長席の電話が鳴った。


「はい、西部遺跡管理事務所総務係長ですけど──え?」


 驚いた様子の係長はこちらを見て、「あ、そうなの?」と電話口の相手に確認する。

 とりあえす隣のソナと顔を見合わせてみるが、ソナも小首を傾げている。


「……見つかったんだ! よかったね!」

 係長の顔と声色に安堵が滲んだ。

「え、どこにいたの? ええ、本当? それは、何とも……」

 うんうん、と何度も頷いている。

「あ、警察で話? これから? マロウ係長には明日僕から言っとくよ。いやほんと、大事にならなくてよかった。じゃあ本当に、おつかれさま」

 係長は大きく息を吐きながら調子で受話器を置いた。


「ルペルちゃんですか?」

 すぐに尋ねると係長は。

「見つかって保護されたって、バルトロくんから」

 それを聞いてこちらも心底ほっとした。

「無事だったんですか」と、まだ帰っていなかったセヴィンさんはじめ、ナナキとトレックもばたばたと集まってきた。

「うん、怪我もなく元気で、というかまあ、バルトロくんが言うには……」

 係長は少し言いにくそうに続ける。

「家出みたいなものだったらしいよ。友達の家に行ってたというか、隠れてたというか。まあそんな感じらしい」

「……」

 みんなが肩透かしをくらったような顔になる。

「バルトロは?」

 聞いたのはセヴィンさんだ。

「これから警察と話するみたい。娘さんはひとまずおじいさんのところに帰らせるって」

「あいつ、警察署の本部にいるんですね? 俺、行きます」とセヴィンさんは席に戻り素早く片付け始め、さっさと帰って行った。


 その様子を見ていたソナが、「セヴィンさんとバルトロさんって」と呟く。

「セヴィンくんも元々は探索士だからね。旧知の仲っていうか、歳も近いし、仲良いんだよ2人」

 係長がセヴィンさんの出て行った執務室の扉を眺める。


 その話は知っている。2人は探索士時代からの付き合いらしい。


「セヴィンくん、ずっと心配してるんだよ。奥さんを亡くして、娘さんとも難しい関係になっちゃったバルトロくんのこと」

 少し空気が沈みかけたところで「さて」と係長は軽く手を叩き立ち上がった。

「みんなにも色々と負担かけて悪かったけど、とりあえず解決したようだから。帰る人は帰って、残る人は仕事しよう」 

 その言葉に総務係の面々は各々頷いた。

 ナナキとトレックは仕事を切り上げるようだ。



「イベントの案はそれで大体良いと思うよ。ただ」

 係長が椅子に座り直して話を戻し、書類を指差した。

「ただ?」

「うちからの出し物、遺跡関係の展示だけってちょっと、地味だよねえ」

「まあ、地味な職場ですから」

「それ言われちゃうと元も子もないけど」と係長は笑う。

「まあいいや。連盟の方とは僕が調整しておくから。あとは、所内の参加者と事前に打ち合わせするよね? 説明用にもう少しわかりやすい資料も作っておいてくれる?」

「わかりました」


「──でさ、カギモトくん」

 係長は上目遣いにこちらを見た。

「ずっと気になってたんだけど、その顔って……」

「ドアにぶつけたんです」


 言い切り、余計な追及をされる前に席へと戻った。

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