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西部遺跡管理事務所 業務日誌  作者: 青桐 臨
番外編 バルトロ・クルーガーの愛娘
195/203

7 急襲

 トレックが男性2人、シンゼルさんが女性1人、残りの2人の案内を自分が引き受けた。必要な鍵束をそれぞれが持つ。


「じゃあ俺ら、地下から行くわ」


 トレックがさっさと出発する。トレック班は地下と一階担当だ。シンゼルさんは各階の女性トイレや更衣室、それと屋上も行ってくれるとのことだ。そして──


「我々は2階と3階ですね」 


 イアンはこっちについて来る気らしい。トレックの方に行ってほしかったが、 そうしてくれと言える理由もなかった。

 ソナが窓口の客に対応しつつも、懸案そうな顔をこちらに向けている。昨日、イアンに当然のように攻撃されたことが気になっているのかもしれない。

 だから胸ポケットに触れ、軽く頷いてみせた。

 ポケットにはペンを偽装した護身道具を常に入れているのをソナは知っている。

 察したように、彼女も僅かに顎を引いた。

 


「では、さくっと行きましょう。先に3階まで行って、降りてくる感じでいいでしょうか」


 異は唱えられなかった。

 イアン他1名を階段室へと連れて行く。



 3人分の足音が響く階段。


「意外と話がわかるんだな」


 急にぞんざいな口調で話し始めたイアンを振り返る。陰険そうに口元だけ笑っていた。もう1人の黒服は無関心そうな無表情でその後ろからついてくる。


「何のことですか?」

「事務所の中を見せろなんて、もっと頭ごなしに断られると思ってたんだが。あんたがうまいこと言ってくれた。だから褒めてやったんだよ、“杖無し”’」

「……それは、どうも」

 すぐに3階についたので話は流しておく。


 3階は、調査係の執務スペースと備品庫、それとトイレくらいしか見るところがない。

 調査係の職員はみんな出払っているのか、ルドン係長しか席にいなかった。

 ゴシュ係長がすぐに電話で伝えたらしく、ルドン係長は不機嫌そうにこちらを見たが、「シェボン家の方か」と呟くと自分の業務に専念し始める。勝手に見ろということだろう。

 3階はさらりと回って終わった。もちろんルペルがいるわけもない。


 再び階段室に向かいながら腕時計を見る。

 やるべき仕事はたくさんある。早く終わらせたい。


 2階に降りると、マロウ係長とメッツェンがいた。

 マロウ係長は我関せずといったように席で分厚い資料をめくっているが、メッツェンはすぐにこちらに寄ってきた。


「バルトロさんの娘さん、いなくなっちゃったんですって? 心配ですねえ」

 手で口元を隠しても目が笑っている。 

「うん。ゴシュ係長から連絡行ってる? こちらの方々がうちの事務所にルペルちゃんがいないか確認したいんだって」とイアン達に目を向ける。

 イアンは「お騒がせしてます」とメッツェンに対して人の良い笑顔を見せた。 言葉遣いも丁寧に戻っている。

「聞いてますよ。それはそれはご苦労さまです。もちろん来ておりませんが、どうぞ、お気の済むまで確認なさってください」

 俺とも普通に接するバルトロさんのことを、恐らくメッツェンはよく思っていないだろう。バルトロさんの今の状況も、彼女にとってはむしろ喜ばしいことなのかもしれない。

「じゃ、執務室入ります」 と速やかに案内を始めようとすると、

「あの、執務室はこいつに。私は鍵のかかったところを見たいのですが」

 イアンがもう一人の黒服を見ながらそう言った。

 手分けする、ということか。


「あ、じゃあ執務室内はわたしがご案内しますよ」

 メッツェンが積極的に申し出る。やはりこいつは楽しんでいるらしい、と思う。

「どうぞ」と、こちらが何の了承もしないうちに、メッツェンは上機嫌に黒服を1人連れて行く。

 まあ、大丈夫だろう。


「では会議室に」とこちらはイアンひとりを先導する。


 元は貴族の屋敷のこの事務所。

 会議室の場所は以前は食堂室だったらしい。 

 両開きの扉の取っ手についた南京錠を解錠する。

 背後のイアンを気にして、押し開けるのを少しだけ躊躇った。が、ここまで来たらどうしようもない。

 体重をかけて開けると、分厚いカーテンが閉め切られた会議室は昼なのに暗かった。天井には主張の少ないシャンデリアがある。


「今灯りつけますね」と壁のスイッチを手で探った。


 ──うなじの辺りがぞわりとする。


 弾かれたように前に飛び、振り返って身構える。

 扉が重たげな音を立てて閉じ、暗闇になった。


「へえ、何かやってる動きだ。護身術か?」


 イアンの意外そうな声色。

 構える姿勢のまま、暗がりに目を凝らす。向こうが動く様子は、今のところない。

「ええと……なんの真似ですか?」

「別に。気に食わないだけだ。昨日見た時からな」

「え?」


 かち、という軽い音。スイッチだ。一瞬で部屋に明るさが満ちる。

 その眩しさに僅かに反応が遅れ──


 腕を掴まれた。眼前にイアンがいる。

「……っ」

 ぐんと引っ張られ、身体が浮いたかと思うと、背中から床に叩きつけられていた。絨毯敷きとはいえそれなりの衝撃だ。呻く間もなく腹を踏みつけられる。

「ぐ……っ」

 しかし腹筋は鍛えている。腹に力を込めてこらえ、両手でイアンの脚を掴んだ。

「おっ?」とイアンが驚いた顔になる。


 マツバ・トオルとの訓練の賜物で反射的に動いたが、ここで護身道具を──


 所長、キィト・ザクソンが作った特な護身道具は、スタンガンのように強い魔力の衝撃を流すものだ。魔力の無い自分でも使えて、あわよくば相手を気絶させることくらいできる。

 

 しかし……


 それで、どうする?


 ここで逡巡するのは致命的だ。わかっていながら、迷いが生まれた。


 それをこの護衛が見逃すはずもなく。

 脇腹に蹴りを入れられた。

「うっ」

 さすがに脇腹はきつい。掴んでいた脚を離してしまう。

 すぐにイアンが腹に馬乗りになる。腕はイアンの両膝にそれぞれ押さえつけられていて、身動きが取れない。

「はは。今一瞬チャンスだったのに」

 愉快そうな顔で見下ろされていた。

「おまえが手を出せば、自分だけじゃなくてこの事務所にも迷惑かかるからな」

「……」


 こいつの言うとおり、やり返せばこちらの立場が悪くなることはわかりきっていた。

 密室に2人きりである。いくら正当防衛だと主張しても──総務係のみんなはたぶん信じてくれると思いたいが、それ以外の面々は、隙あらば陥れようとしてくる連中ばかりだ。何の期待もできない。

 それに、職員が庁舎内で一般人相手に暴力沙汰を起こしたとなれば、組織としてもただでは済まない。

 

 何よりあのクルベ通りの時と違って、ここには守るべき存在もない。

  それなら、別に。


 こいつと行動を共にした自分が浅慮だったという他ない。


「一丁前にお役人らしい思考回路を持ってるってか」


 片手で髪を掴まれ、もう片方の分厚い鉄板のような手で頬をきつく叩かれた。視界が弾け、じわと血の味が広がる。口の中が切れた。

 イアンは満足そうな息を吐いて手をぶらぶらさせ、「やっばり魔法でやるよりいいよな」と危ないことを呟いていた。


 “杖無し”に対しては当てつけのように魔法で攻撃してくる人間が多いことを思えば、珍しい類だろう。


「ご主人は野蛮なことを嫌うんでね。あの人の前ではできないが」

 冷徹で、面白がるような瞳だ。

「“杖無し”のくせに普通の職員みたいな面して。一体どんなコネで役所に入ったんだ?」

 黙っていると、イアンは歯を見せてにやりとして素早く片手をこちらの肩に押しつける。

 ひやりと、一瞬冷たさが走り、

「う──っ」

 直後の鋭い痛みに、食いしばった歯の隙間から声が漏れた。


 刺された? 

 刃物──いや、もっと、細い何か。


「ほとんど声も出さないか。徹底してるな」

 イアンが何かを肩から引き抜いて、手にしていたものを見せる。

 持ち手のついた、錐よりも細い長針のようなもの。

「いいだろこれ。ほとんど血も出ないが痛いし、刺す場所によっては危険だ」

 護衛の、というより、拷問用か暗殺用ではないか。逃れようと藻掻くが、しっかり押さえ込まれている。

「さすがにこんなとこで殺らねえけどよ」

 言いながらもう一度、同じ方の肩に突き刺された。

「いっ……」

 今度は先ほどよりもゆっくりと、徐々に押し込まれていく。神経に直に響くような痛みに嫌な汗が噴き出す。

「う、く……」

「痛いし、悔しいだろ。もっと叫ばないのか? 助けを呼ばないのかよ。いいんだぜ?」


 助けを求めて声を上げて、ろくな結果になったことはない。

 それに、命を取ろうというわけでもないのだろう。ただの嫌がらせだ。

 ならば、やり過ごすだけだ。この世界に来てからずっと、そうしてきた。


「はっ」と乾いた笑いを漏らし、イアンは長針をわざわざ一度貫通させてから引き抜いた。

「つまらないやつだ。騒いでくれれば、あんたみたいなやつ、簡単にクビにしてやれるのに」

 無理やり引っ張り上げられ、立たせられる。ふらついたが、何とか踏ん張った。


「あんまり長くここにいると変に思われるからな。出るぞ」

 肩は熱を持ったように鈍く痛む。血が滲んでいたがその量は少なく、確かに傷跡自体は小さいようだ。濃灰色のローブだから傍目には気付かれないだろう。


 おい、とその肩を小突かれる。

 イアンは自身の頬を指差して笑った。


「そこ、赤くなってるぞ。上手い言い訳考えといた方がいいんじゃねえの。何かあったと思われたくないんだろ」

「……」


 ガキ探しなんてほんと面倒くせえ、と言い残し、イアンは悠々と会議室を出て行く。


 開いた扉の向こうに、メッツェンの姿がちらりと見えた気がした。

 

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