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西部遺跡管理事務所 業務日誌  作者: 青桐 臨
第一章 新入職員 ソナ・フラフニル編
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第19話 残業の是非

改行、内容等一部修正しました。

 ヘルベティアのせいで思わぬ時間を食ってしまった。


 『琥珀の民』。

 そんな特殊な立場にある人間が、場末ともいえるあの職場にいることには正直驚きがあった。

 一体どういう理由で所長秘書などやっているのか。収入を得るために、とは思えなかった。

 とはいえヘルベティアのことをあれこれ考えて、帰宅が遅くなるわけにもいかなかった。


 ソナは寒さに耐えて箒を飛ばし、何とか昨日と変わらないくらいの時間に帰宅した。


 昨日と同じく、母はあまり暖かくない部屋で、ソナの好物を作って待っていた。


「お弁当のサンドイッチ、おいしかったよ」


 夕食を口にしながらソナが言うと、ふふ、と母は顔をほころばせた。


「明日のお弁当も頑張るから、楽しみにしててね」

 

 ソナは小さく頷いた。


 それから母は、今日家や買い物先で起きた他愛もない、ソナの記憶に何ら残らないような些細な出来事をさも面白そうに話し、ソナも笑ってみせた。


「──それにしても」


 自分の話しで笑いながら、母は不意に話題を変える。


「ソナちゃんが働いてるところ、見てみたいな。今度管理事務所に顔出しちゃおうかな」

「それはやめてよ」


 ソナは口元を引きつらせた。


「ねえ本当に職場に嫌な人とかいじめる人とかいない? ほら、新人には指導係とかつくんでしょ? どんな人なの? いい人?」

「え……」


 言葉に詰まる。


 カギモト・カイリ。


 あの教育係のことを、何と言えばいいのか。

 ソナの中に、きちんと説明できる言葉はなかった。


 ただ確かなのは、母もソナ同様“杖無し”を嫌悪しており、ソナの教育係がカギモトのような人間だと知ればどんな反応をするか、この疲れた夜には考えたくもなかった。


「……まだよくわからない」

「それもそうよね。まだ2日目だものね」


 娘が僅かに口籠ったことに、母は気づかなかったらしい。

 ソナは咀嚼していたものをごくりと飲み込んだ。

 母の表情を伺い、スプーンを置く。


「あのさ」


 少し改まった様子のソナに、母は「なあに?」と首を傾げた。


「……私も、社会人になったし、仕事がなかなか終わらないことも、これから出てくると思う」


 ソナは母の顔色の変化に気をつけながら先を続ける。


 脳裏には終業時間を過ぎても書類と向き合う他の職員の姿があった。


「だから……私もたまに残業することもあると思う。でもその時は、絶対に事前に連絡するから……」

「ソナちゃんの職場で残業なんてないでしょ。だって出先事務所の事務員さんでしょ?」


 母が軽く笑う。


「……あるよ。今日も残ってる人がいたし」

「それはその人が仕事ができないだけでしょう。ソナちゃんはそんな人とは違うじゃない」


 そう言い切れるわけがない。

 そう思っても、面と向かって母に反論することはできなかった。


「……遺跡管理事務所は、遺跡の突発的な事故とかにも24時間対応しないといけないから」


 代わりにソナは、今日カギモトから聞いた説明を使う。

 実際には、そのような緊急事態の対応にあたるのは管理係や調査係だが、付随して庶務的な業務が発生するのは確かだ。


「そんな時に、簡単に切り上げられないことだってあると思う。仕事だと、責任があるでしょ」


 母はしばらく黙っていたが、やがて、

「お母さんを放ったらかしにするの?」

 と低い声で言った。


「違うよ、なんでそうなるの」


 ソナはすぐに否定したが、母は両手で顔を覆う。


「お母さん」

「あなたもお父さんみたいに仕事仕事で、そのうちお母さんのことなんて後回しにするようになるのね」

「そんなことない」

 

 母が心配するからと、いくらなんでもそんな理由で仕事を避けられるほど甘くはない。

 “掃き溜め”と呼ばれるような職場でも、自分だけ楽をして適当に仕事をしようとは思えない。


 その思いは言葉にならなかった。

 少しでも自分の意に沿わないことをするソナに不満をぶちまける母は、立ち塞がる壁のように思えた。

 訴えたところで、何の意味もないのだとソナに思わせるような、高く厚い壁。


 そんな母に何とか薬茶を飲ませ、ようやく落ち着いた頃には夜が更けていた。


 母は先に眠ってしまった。

 ソナはシャワーを浴びるために重い腰を上げて脱衣場へと向かう。


 曇りの取れない小さな鏡に、自分の疲れた顔が映っていた。


 「……」


 鏡から目をそらすと、髪を下ろすために髪紐を解く。

 ソナはヘルベティアに馬鹿にされたその髪紐を、ぼんやりと見つめた。


 緋色と黄色の紐を編んで作った髪紐。


 切れるたびに糸を買い直し、自分で編み直して使っていた。何年も、何年も。


 この髪紐を見ていると、ふつふつと、暗い怒りのようなものが湧き上がってくる。

 忘れてはいけないと、ソナの気持ちを焚き付ける。


「……アシュリー」


 ソナは呟き、髪紐を握り締めた。


 大切なアシュリーがいなくなったのも、母が異常なまでに娘を縛り付けるようになったのも、全て元をたどれば“杖無し”のせいだ。

 

 そう、ソナに思い出させるもの。


 ソナを気遣うようなカギモトの姿が浮かんでも、だから、何だというのか。


 職場も家も、窮屈だ。

 全ては、“杖無し”のせいだ。


「間違ってない。……私は」


 呟き、ソナは知らないうちにほんの少しだけ傾きそうになっていた心のバランスを、元に戻した気になった。


 明日からも大丈夫だと、自分に言い聞かせた。

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