14 国立西部図書館
雲一つない晴天だ。風もほどよく乾いている。
しかしそんな気持ちの良い気候を味わう余裕もなく、ソナ・フラフニルは箒を飛ばしていた。すでに時刻は昼に近い。
──なんでよりによって。
舌打ちしたい気分だった。誰も見ていなくても、実際にはしないが。
肩に掛けた鞄はずしりと重い。母が図書館で借りて返却期限がとっくに切れた本が数冊入っていた。
母は少し前に家の中で転倒して頭を打ち、一泊だが入院した。退院してもしばらくは安静にしてもらわなければならなかったため、一人暮らしの寮と往復して母の家のあれこれをやっていたのだが、その郵便受けに図書館からの返却督促の手紙がいくつも入っていることを知った。
しかしその本自体が、散らかった部屋のどこにあるかわからず、ソナも仕事が忙しくなり、さらに放置をしてしまった。
そして──今に至る。
「今日中に返さないと貸出利用が停止されちゃうのよ」とようやく本を発掘した母に呼ばれて泣きつかれたのが今朝である。
母は体調が優れず、代わりに本を返してきてほしいとお願いされてしまった。
図書館に連絡すると、貸出予約の入っている国立西部図書館に直接返すよう強く言われた。
よりにもよって、国立西部図書館に、である。
“今週末。午後の……2時半でどうですか。国立西部図書館の前で待ち合わせで”
カギモトは電話の相手、ノダ・アヤセにそう告げた。
その電話を横で聞いていた自分は、今日カギモトも同じ方面に足を運ぶということを知っていて……それを自分が知っていることをカギモトも知っている状況で鉢合わせてしまったら、何とも気まずい。
──いや。
本当にカギモトと会うのを避けたいのなら、母からの依頼を断ることだってもちろんできたはずだ。図書館の利用停止なんて一時的なもので、母がどう思うかはさておき、大した問題にはならない。
でもそうしなかったのは。
鳥が前を横切っていった。
──今の時間ならまだ、会うこともないだろうから。
言い訳のようなそんなことを考えながら顔にかかる髪を振り払い、ソナは図書館に向けてさらに加速する。
汗をかいていた。夏が近づいている。
国立西部図書館の屋上の降車場に着陸したソナは、重たい鞄を抱え、階段を足早に降りていった。
§
「まったく」
図書館の年配の女性職員はあからさまに不機嫌そうに鼻を鳴らした。返却期限を1日でも過ぎるような人間は人としてあり得ないと言わんばかりに、ソナの持参した本を乱暴な手つきで確認していく。
「貸出を待っている人もたくさんいるんですかや。さっさと返していただかないと」
「すみません」
母の代わりに謝るしかない。
「あら、ここ」と女性職員は皺の刻まれた指である本のページを鋭く指し示した。
「汚れてるわね。コーヒーかしら」
確かにくすんだ茶色いシミがページの隅についている。しかし随分と古い汚れにも見えた。
「多分、前からついているのでは……」
「あらそんなこと言う根拠はあるのかしら」と職員の声は甲高く厳しい。
近くの職員や来館者もちらちらとこちらを気にしている。
年配の女性職員は、返した本にほかに不備がないかを目を皿のようにして調べ始める。
──早く済ませたいのに。
焦れたような気持ちでソナは辺りに目をやる。と、正面入口から入ってくる青年の姿が視界に入った。
黒髪で、細身。きょろきょろと、あまり慣れていない様子で館内を見回している。
……カギモト・カイリだった。
どっと心臓が跳ね、ソナは思わず顔を隠すように受付カウンターの方を向いた。
──ノダ・アヤセとの待ち合わせは2時半のはず。
まだ昼過ぎだばかりだ。早過ぎる。
しかしここは図書館だ。よく考えれば、早めに来て読書しながら時間を潰す、というのも当然想定できることだ。それか予定が変わったのかもしれない。そんなこと、自分の知るところではない。
受付の職員がまだ何かぶつぶつと文句を言い、それに殊勝な態度で相槌を打ちながら、ソナは再び入口の方にほんの少し視線を向ける。
灰色の図書館梟がカギモトの元に舞い降りて、カギモトは何かを見せていた。すると梟はカギモトを先導するようにゆっくりと飛行し始める。その後を、一人でついていくカギモト。
この図書館は規模が大きいだけあって、来館者も多い。カギモトは辺りを気にしているようではあったがソナには気が付かず、後方を通り過ぎて行った。
向かうのは──フロアの端。立札の置かれた通路がある。恐らく図書館職員用の通路だろう。
手前に大きな観葉植物がいくつか置かれており、よく見えない。
──なんで、あんな方に。
梟の後ろを歩くカギモトはそのまま廊下へと進み、壁のせいでその姿は隠れた。
「あの、もうわかりましたから」
「あ、ちょっとあなた……」
まだ何か言っている受付職員に一方的な断りを入れ、ソナは軽くなった鞄を持って、急いでその場を離れた。
足は、カギモトが入っていった廊下に向かっていた。
観葉植物を回り込み廊下への入口の角からわずかに顔を出して、覗く。
廊下の奥に突き当たったカギモトの背が、図書館梟を残してすうっと消えたのが見えた。
「……!」
すぐ横の『職員以外立入禁止』の立札を一度見て、しかし、目に入らなかったことにして、ソナも廊下へと足を踏み入れる。
廊下の両脇には事務室や給湯室など職員用らしい部屋の扉が並んでいるが、カギモトが消えた突き当たりはただの壁だ。壁の上の方には古びた燭台があり、先ほどカギモトを案内した灰色の梟がそこに止まってソナを見下ろしている。
何もない、薄緑色の壁だ。
しかし、ほんの微かな魔力を感じる。
……認識を阻害する魔法。
ソナはそう直感した。
権利のない人間には認識できない入口が、ここにある。
あの人は入っていった。
なぜ。何の権利を持っていて。
疑問が頭を巡る。
壁に触れようと、そっと手を伸ばしていた。
梟が、ほう、と鳴いた。
「……」
見上げると梟は小首を傾げ、黄色い瞳でソナを見つめている。
何かを求められている。しかし何も、持ってはいない。
ソナが首を横に振るとその瞳を細め、片方の羽で館内の方を示した。「立ち去れ」ということだろう。
諦め、ソナは廊下を出た。
近くの本棚に身を寄せて適当に本を一冊手に取る。立ったまま本を読むふりをして、先程カギモトが消えた廊下の方を伺う。
読みもしないページを時折めくりながら、しばらくソナはそうしていた。
その後、3人の人物がばらばらのタイミングで梟に連れられ、廊下へと足を踏み入れて行くのを見た。
ただその3人の性別、年齢、背格好等すべてがあやふやだ。恐らく服か何かにも認識をさせない魔法を施しているのだろう。姿を見られたくないということだ。
灰色の梟が不審げにソナの周りを飛び始めたため、ソナはそこで中断した。
本棚を離れ、柱に掲示された図書館の館内図を見る。やはり先ほどの廊下の突き当たりは突き当たりでしかない。
怪しげな集まり。
いや、個人や場所を特定できないようにはしているが、図書館の中で堂々と起きていることだ。図書館梟が案内しているあたり、図書館側も公認なのだろう。
でも一体、カギモトがそこで何を。
カギモト・カイリという人間のことは、やはりわからない。
仕事中の、いつもどおりの毅然とした態度。
穏やかで優しくて、それでいて貼り付けたような笑顔。
時折見せるひどく疲れた顔。
吐き気止めの薬。
最近の、妙に浮ついたような雰囲気。
今にも傾きそうな不安定な足場に、平然とした顔で立ち続けようとしている。そんなふうに見えていた。
詰めていた息を吐く。
これ以上は本当に、立ち入りすぎだ。ただの同僚に対してすることでも、考えることでもない。
もう出ようとソナは踵を返し、本棚の間を早足で進む。
──でも、私は。
足が止まった。
振り返ろうとして、館内の途中、目立つように本が展示された一角を見つけた。
遺跡関連の書籍がきれいに配置され、興味を引くような説明書きがつけられている。定期的に展示内容が変わるコーナーなのだろう。
そこに向かい、平置きされた一冊を取り、中をめくる。
学術書だ。仕事に関係もする。これなら本が苦手な自分でも読める。
趣味についての他愛のない雑談をカギモトとしていたとき、「読書は苦手だ」と答えると、カギモトは拍子抜けしたような顔をしていた。
自分にどんなイメージを持っているのかは知らないが。
もしあの時本が好きだと答えていたら、カギモトはどんな反応をしたのだろう。
並べられた本をしばし眺める。
遺跡に関する数冊を選んで抱え、読書用の一人掛けの席を探した。
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『平等派アーテヌ』編 第1節 ここで終わりとなります。




