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西部遺跡管理事務所 業務日誌  作者: 青桐 臨
第五章 平等派『アーテヌ』
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13 それはまた別の機会に


 まあいいか、と階段を上がっていくおおらかなヨルドさんを見送り、無言のティーバと共にリビングへと戻る廊下の途中から、トレックのうるさいいびきが聞こえてきた。

 ソファに仰向けに倒れ、険しい表情で大口を開けている。風呂に入らずまた寝てしまったらしい。


「なんか話も中途半端になっちゃったけど、とにかく大丈夫だから、俺」

 敷かれた布団に胡座をかき、余計なことを言われる前に切り出した。

 ティーバはソファの脇に立ったまま少し硬い顔でこちらを見下ろす。

「……ごめん」

「え、なんでティーバが謝るの」

「トレックと2人で、君を追い詰めるつもりじゃなかった。干渉し過ぎたと思ってる。……悪かった」

 追い詰められたように見えていたのだろうか。

 それは心外だし、あまりよろしくないことだ。

 何と言おうか考えていると、ティーバが俯き、「でもこれだけ」と呟いた。

「レンさんには……カウンセリングは本当に無断でキャンセルするつもりなのか。断りの連絡はするべきだと思うんだ。人として」

「それはまあそうなんだけどね」 と意味をなさない返事が出た。

 俺がそれ以上何も言う気もする気もないことを察したのだろう。ティーバが口を開く。

「君に何かあったかと心配するかもしれないだろう」

「いや大丈夫だって。すっぽかしたんだなって怒らせるだけだと思う」

「……」

「あ、代わりに連絡とかもするなよ」

 ふと思いついて釘を差すと、ティーバはぴくりと反応した。まさかの図星だったらしい。世話焼きにもほどがある。

「でも」

「尊重してくれるんだろ? 俺の意志」

 これはただの揚げ足取りだ。

 自覚しながらそう口にすると、ティーバは僅かに表情を強張らせ「そうだね」と小さく答えた。

 少し申し訳ない気持ちになり、明るい声を出す。

「ティーバもトレックも、俺のこと気にかけてくれてるのはよくわかってる。さっきみたいに俺のことで怒ってくれたり。ありがたいことだと思ってるし、頼りにしてるよ、ほんと」

 ソファの背に手を置いたまま、ティーバは黙った。しかし、トレックの不規則ないびきのおかげでとりあえず沈黙にはならない。


「明日」

 やがてティーバがぽつりと言う。

「どこか、出掛けないか。トレックと3人で、せっかくだし」

「え……」

「伯父さんが車出してくれるみたいだから」


 休日にこの3人で会うことは、休日出勤以外にはない。わざわざ予定を合わせて、プランを決めて……なんて大人の男3人でするわけがない。確かに滅多にない機会なのかもしれない。


 それも楽しそうだな──という考えがちらついたのは確かだ。


 けれども。


「ごめん、明日昼から用事があって」

 そう答える時、口の中が少しざらついた。

「朝ごはん食べたら帰ろうと思ってたんだ。早く言っておけばよかった」

「そうか。いや、いいんだ」

 ティーバはゆるゆると首を振る。

「僕こそ急でごめん」

「それはまた別の機会にぜひ。なんなら俺企画するよ」

「……うん」

 ティーバはソファを離れ、敷かれた布団を抱え上げた。

「僕はやっぱり自分の部屋で寝る。トレックのいびきがうるさすぎる」

「確かに」

「カイリは平気? 上に空き部屋あるけど」

「どんな時でもどんな所でも寝られるのが、俺の特技のひとつだと思ってる」

 ティーバはごく薄く笑い、「じゃあ」と布団を持って廊下へと向かう。

「おやすみ」と俺は軽く手を振った。

 

 トレックのいびきは実際やかましいし、本当なら俺も別の部屋で寝たいところだが、布団を持って2階に行くのは面倒だ。うるさくても寝られるのは事実なので、もうこのまま寝てしまおうと思う。

 しかし手に歯ブラシを持ったままで結局まだ磨いていないことを思い出し、やれやれともう一度立ち上がった。



§



 翌朝。 

 ささやかな物音と、人が動いている気配で目を覚ます。

 思ったよりもよく眠れた気がする。


 床の布団から身体を起こすと、トレックはいつの間にかソファから落ちていたらしく、奇妙な格好で眠りこけていた。

 湯を沸かす湿った匂いにコーヒーの香りが混ざっている。

 キッチンでは背を向けたシェラさんがきびきびと朝食の準備をしていて、ダイニングテーブルではヨルドさんがマグカップ片手に新聞を眺めていた。

 窓から朝日が射し込んで明るい休日の、ごく普通の家庭の朝。まさしくそんな光景は、寝起きの目には少し眩しすぎた。


「おはよう、カギモトくん」

 ヨルドさんが新聞を軽く畳んで笑いかけた。

「おはようございます。すみません、こんな格好で」と寝癖がひどいであろう自分の頭を撫でつける。

「気にしないで。くつろいでもらえた方が嬉しいんでね」

「カギモトさん、目玉焼きは半熟派だったかしら?」

 フライ返し片手にシェラさんが振り返った。

「あ、はい。できれば」

「了解。ティーバもね、固く焼きすぎちゃうと機嫌悪くなっちゃうのよね」と後半は独り言ちるように卵を割っていく。

 そういえば前に世話になった時にも聞いた話だし、実際ティーバはそうだった。

 人に作ってもらってそれはけしからんやつだと思っていると、「余計なこと言わないでください」と既に着替えたティーバが不機嫌そうにリビングに現れた。

 ヨルドさん達は軽く笑い、「おはよう」と俺含めみな挨拶を交わし合う。

 

 とりあえず洗面台で顔を洗い、脱衣所を出ようとしたところでトレックと鉢合わせた。

 着替えないまま寝たせいだろうがシャツはよれよれで、頬には涎なのか変な跡がついている。

「おはよ」

「……うっす」

 トレックの声は枯れていた。俺を見下ろす空色の瞳は怠そうに曇って見える。


 さて、挨拶はしたが、どう出るべきか。


「頭痛え」

 こちらが悩む間もなく、トレックは乱暴に目をこすりながら先に口を開いた。

「だろうね。飲み過ぎだよ」

 トレックは大欠伸をしながら、腹をぼりぼりと掻いている。

 脱衣所から出られないのでそこをどいてほしい、と思いながらも口にはせず待つ。

「おまえ」とトレックは今度は眉間を揉み始めた。

「朝飯食ったら帰るんだって?」

「あ、うん」

「仕方ねえ。俺が退屈でかわいそうなティーバと遊びに行ってやるか」

「ぜひそうしてあげなよ」

 笑顔で肯定すると、トレックは眉間から手を離してこちらを見た。ひやりとするほどの無表情だった。

「来ないんだな、カギモト。いいんだな」

 念を押すようにトレックが言う。何となく気圧されそうになりながらも「いいんだ」と答える。

「大事な用があるから。また今度」

「……あっそ」

 ひどく素っ気なく聞こえた。

「シャワー浴びるか」とトレックは独り言のよう言いながら、俺の横をすり抜けて行った。



 朝食は穏やかに終えた。


 着替えた後、再び洗面台の鏡の前にいる。

 身なりを整えていた。

「きっちりした格好だね」

 洗濯を手伝っているらしく、タオル類を抱えたティーバが後ろを通りながら声をかけてきた。

「まあ、たぶん人と会ったりするし」

 いつもあまり言うことを聞かない寝癖を押さえつけてみる。

 普段の休日ならほぼ部屋着で過ごしているが、

『アーテヌ』の集会に行くのも、ノダ・アヤセに会うのも、あまり適当な服装というわけにはいかない気がした。

「伯父さんが帰り途中まで車で送るって言ってるけど、直接用事の場所に送ろうか」

「ああ……」

 図々しいのはトレックに限らず自分もだろうが、そう提案してくれる気はしていた。

「じゃあ悪いけど、国立西部図書館までお願いできるかな」

「図書館?」

 タオルをかごに放ったティーバは聞き返しかけたが、何かを飲み込むように「わかった」と頷く。そして出て行った。


 

 さっきから、いや、昨日からか。

 引き攣れるような痛みをどこかに感じていた。


 あの2人が、俺のことであんなに真剣に詰め寄ってきたのは初めてのことだった。


 でも仕方がないことだ。

 カウンセリングには行きたくないけど予約はしなければならなかった。エンデが手配する写真は欲しい。ノダ・アヤセとは区切りをつけたい。

 さすがにすべてを一度にやることではなかったのかもしれない。でも理解してもらおうなんて思っていない。

 それに……来週になれば大丈夫だ。今よりましになるはずで、そうすればしばらくはまた、いつもどおりに。


 もう一度、鏡を確認する。

 何も問題はない。

 ズボンの後ろポケットに手をやると、『アーテヌ』のカードの硬さに触れる。


 洗面台の灯りを消し、脱衣場を後にした。

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