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西部遺跡管理事務所 業務日誌  作者: 青桐 臨
第五章 平等派『アーテヌ』
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10 じゃあ本題で


 

 風呂は良かった。


 この世界では珍しく広めのバスタブに、爽やかなハーブが香る湯はリラックスできる。


 しかし調子に乗って、満腹状態で長風呂してしまった。湯から上がった時には気持ち悪さが悪化していて、常に持ち歩いている吐き気止めの薬は入浴前に飲んでいたが、あまり効いている気がしない。

 早く寝たいと部屋着に着替えてリビングに戻ると、既に布団が3人分、床に敷かれていた。結局寝床はこちらになったらしい。修学旅行じゃあるまいし、と苦笑いが浮かぶ。

 灯りが半分ほどになった落ち着いたリビングで、ロドラン夫妻はおらず、トレックはまだソファでうるさい寝息を立てて眠りこけていて、ティーバがダイニングテーブルの下を几帳面に拭いている。

 

「ごめん、長風呂した」

 声をかけるとティーバは雑巾を持って立ち上がった。

「いいんだ。ゆっくりできたなら、良かった」

「ヨルドさん達は?」

 使って湿ったタオルをとりあえずダイニングチェアの背にかけさせてもらう。

「もう部屋に戻った。2人とも先にシャワー済ませてたみたいだから。後はお好きにって」

 ティーバの視線はダイニングテーブルに向けられる。そのうえには袋菓子や飲み物がいくつも用意されていた。

「パジャマパーティってやつかな」

「あと、寝る前はきちんと歯を磨きなさいってさ。ほんと、子どもじゃないんだけど」

 ティーバの文句に軽い笑いを返して、勝手知ったように保冷庫から水を出して飲む。

「ティーバも風呂行ったら?」と促した。

「ああ。トレックはどうしようか」

「後で声はかけてみるよ。起きないなら放っておく」

 ティーバは頷き、「ほんと、好きにしてていいから」と念を押すように告げると、風呂に入る準備のためにか廊下の方へと行った。


 溜息をつき、よろけるように歩いて敷かれた布団に遠慮なく倒れこんだ。


「うー、きもちわる……」


 腹をさすり、誰も聞いていないからと独り言ちる。

 布団は沈み込むように柔らかく、よく日に干された香ばしい香りがした。このまま寝てしまいたくなるが、やはり歯は磨かなければならない。億劫だ。先に横にならなければよかった。

 葛藤を繰り返した結果、いつもどおり歯を磨く義務感の方が勝る。リュックまで歯ブラシを取りに行こうと、床を押すようにして何とか起き上がった。

 ふと、さっきまでやかましかったトレックの寝息が静まっていることに気づいた。

 

 リュックから出した歯ブラシを手に何となしにソファの方に目を向けると、いつの間にか身体を起こしたトレックが真顔でじっとこちらを見ていた。


「うわっ、怖ぁっ」 

「何だよ人を幽霊みたいに……」

 トレックが掠れ声で唸る。眠たげな目をごしごしと擦り、「カギモトぉ」と呟いた。

「な、何」

「水ちょうだい」

「……」

 まったく、と重たい腰を上げ、保冷庫に水を取りに行く。

 グラスに入れて渡してやると一気飲みして空になったグラスを無言で渡してきた。世話の焼けるやつである。

「カギモトぉ」

「今度は何だよ」

 ソファにだらしなく腰掛けたトレックは、まだ酔いの抜けていない微睡んだ顔を上げた。

「ソナさん」

「ん?」

「実際のところおまえってさぁ、ソナさんのこと、どう思ってんの」

「え……」

「めちゃ可愛いだろ、おまえ隣だろ、教育係だろ、何も思わないわけないだろ?」


 いまいち呂律が怪しい。面倒な絡み方だ。それにこういう時のトレックはとてもしつこい。ある程度ちゃんと対応しつつ、適当にやり過ごさなければならない。


「確かに美人だよね」と正直に答える。

「一見冷たそうだけど優しいし、真面目だし、良い子だし、近づくといい香りがする」

「お、おお」

「教育係で役得だなって思う時もある」

「じゃあ好きなのかよ」とトレックは不満げに鼻を鳴らした。

「まさか実はもう2人は付き合ってたり」

「まさか」

 笑いながらすぐに否定した。トレックの使ったグラスをシンクに置きに行く。

「職場でそういうのって面倒だろ。俺、職場には仕事しに行ってるだけだから。あ、人としては好きだけどね」


 そもそもが、“杖無し”の人間が、この世界で誰が好きだの付き合うだの、そんな次元の話なんてできるものではない。

 それを丁寧に説明する必要もないだろうが。


「よかった。んじゃ引き続きアタックしよ」とトレックが独り言のように言う。トレックのソナへの真正面からのアプローチはことごとく躱されているように見えるが、まあ、好きにすればいい。


 トレックが前触れなく大きなくしゃみをしたかと思うと鼻をすすり、ソファに座り直し、俺を見上げる。


「──じゃあ本題で」


 その声色がすっと変わった。


「おまえなんで、今日ティーバんちに泊まろうと思った?」


 ひとまず黙っていると、トレックはゆっくりと続ける。


「自分の部屋にいたくない理由でもあんのか」

「何それ」

 思わず笑ってしまう。

「久しぶりにティーバの家に来たかっただけだし」

「おまえがそんな理由で、人にこういうこと頼むとは思えねえな」


 普段のトレックなら、無遠慮なところは多々あっても、一線を越えてくることはない。

 だが酒の入ったトレックは違うようだ。それでいて変に鋭いのは変わらないのだから、たちが悪い。


「いや、そんなの俺の勝手でしょ」

「勝手じゃねえよ」

「なんでだよ」

 つい反論するとトレックがきつく睨んできた。

「おまえ自分で気づいてねえのか? 変だぞ、少し前から」

 仮にも友人だと思っているトレックから放たれた「変」という言葉は、想定外に俺の深いところに突き立った気がした。

 もう一度笑みを作る。 

「失礼だな。どこが」 

「おまえ、前から思ってることの何%も言わないやつだよ。でも前よりも何か、なんつーか、何考えてんだかわかんねえっていうか。テーテの件からか? いや、その前からかもしれねえけど。とにかく、おまえ」

 そこでトレックの口調が、彼らしくなく不安げに揺らいだ。

「……痩せたよ。やつれたって言うのか。ちゃんと飯、食ってんのかよ」

 何とも言えない沈黙。

 どう切り返すべきか。

「まあ、最近胃の調子が悪いのは認めるけど」

「医者は」

「行かないよこれくらいで」

 トレックは苦みでもこらえるように眉間に深く皺を寄せる。

「おいカギモト、俺たちに隠すなよ。何かあったんだろ」

「何かって、何」

「俺が聞いてんだよ」とトレックが立ち上がった。

「おまえいつもそうだよ。すぐにはぐらかして。困ってることがあんなら、困ってる時に何に困ってんのかちゃんと言えって」


 困ったことがあれば言え。

 ちゃんと周りに相談しろ。

 一人で抱え込むな。


 何度も、飽きるほど浴びせられた言葉。みんなが俺に向ける善意なのは理解しているし感謝もしている。が、結局は俺が弱い立場にあるのだと、周りに頼るしかないのだど、それを受け入れろと言われているようで、正直うんざりだ。

 

 だからいつもは適当に聞き流すけれども、今のトレックはとても見逃してくれる雰囲気ではない。明確にこちらに踏み込もうとしてきている。


 本当に、酒というものは厄介だ。


「──トレック」

「んだよ」

「ティーバが上がったら風呂に入れよ。酔いもすっきりするんじゃないかな」

 穏やかに伝える。

「は?」

「俺、酒の入ったやつとまともに話す気ないから」

 トレックはぐっと詰まったように顔を歪めた。

「屁理屈ぬかしてんじゃねえぞカギモト……っ」


 逃げるように、と見えてしまったかもしれないが、構わず俺はトレックを置いて足早に洗面台に向かおうとして──


「僕は酒は飲んでない」


 橙の淡い照明が灯された廊下。

 首にタオルをかけて立つティーバがいた。どこか躊躇いながらも、決意を秘めたような紫の瞳。


「だから僕とは話をしてくれるのか」


 思わず、舌打ちが出そうになった。

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