8 定時上がり
あっという間に翌々日を迎えた。
いつもどおり細々した事務処理をこなし、1日の勤務を終える。
「あれっカギモトくん、もう帰るの? まだ定時だよ」
チャイムと同時に机を片付け始める俺を見て、ゴシュ係長が指摘した。
「おかしくないです係長。それが普通ですから」
そんな係長をすぐさまナナキが諭す。
「あ、そうか。いやこの時間で上がるカギモトくんが珍しくて」
「確かに。しかも何だその荷物。これからどっか行くのかよ」
自分も帰る支度をしながらトレックが尋ねた。
俺は着替えやら身だしなみの道具やらを出張用の大きめのリュックに入れて持っていた。
「今日はティーバの家に泊まらせてもらうんだ」
変に隠しても変なので正直に答えると、トレックは「えっ」と声を上げた。
「あらぁ仲良しでいいわねえ」と目を細めるシンゼルさんはやはり総務係の母という感じだ。
「おいおい聞いてねえよ、何か楽しそうじゃねえかよ。仲間はずれにすんなよぉ」
トレックが「俺も入れてー」と俺とティーバの間に遠慮なく割り込む。
「え、でも急には悪いだろ、ティーバの家、伯父さんちなんだし」
否定的な意見が口から転がり出た。
トレックはいいやつである。何もなければ大歓迎だ。
だが今回に関してはイレギュラーだ。何となく、避けたいと思ってしまう。
しかしティーバは「いや、聞いてみる」とすぐに伝心蝶を作り始めた。
「部屋は余ってるし、伯父たちも喜ぶと思う」
「言ってみるもんだな」とトレックは乗り気だ。
ならば俺にはそれ以上何か言う権利もない。
「ほんと仲良しですよね」
ナナキが溜息混じりに笑い、「今度私達もお泊り会しましょうか」とソナに提案する。ソナは反応に窮しながらもどこか嬉しそうにも見えた。
「あ、俺やっぱそっちに参加……」
「トレック」
離れた席からのセヴィンさんの一声にトレックはさっと口を閉じる。
そのやり取りに笑っていた。
この係は今日も和やかだ。
「──カギモトさん」
机の引き出しに鍵をかけていると、ソナに小声で呼ばれた。
ソナの薄灰色の瞳がこちらを見ている。
何だか、見透かされているような気分になってしまう。
「あの……所内の案内掲示の更新の件で、いつくか案を作ったんです」
手には数枚の紙。どぎつい色が目に入った。確かソナが係長からお願いされていた仕事だ。
「ご意見が聞きたくて。来週、見てもらえますか?」
「あ、うん。まだ期限大丈夫なやつでしょ? 俺そういうセンスあまりないけど、週明け確認するね」
ありがとうございます、とソナは生真面目な顔で頷く。それから僅かに目を伏せた。
「また、来週ですね」
「うん。また来週」
「──カイリ。行こう」
ティーバとトレックはもう執務室を出ようとしている。
ソナは「おつかれさまです」と俺に向けて浅く頭を下げた。
最近久しく口にしていなかった「お先に失礼します」という言葉と共に、職場を出た。
§
ロドラン宅までは魔導トラムで行く。
トラムに乗って少しすると、ティーバの伯父から承諾……いや、快諾の連絡があったようだ。
「俺、着替えとかなんもないけどいいの?」
隣の吊り革に立つトレックが、俺越しにティーバを見る。
それくらいは貸す、というティーバの返事に「悪いねえ」とトレックは嬉しそうだ。
愛すべき図々しさとでもいうのか、トレックのそういうところは少し羨ましくも思う。
「それにしても俺ティーバんちって初めてだわ。楽しみ。カギモトもだよな?」
「俺行ったことあるよ。ていうか、1週間くらいお世話になってたことがある」
「え、そうなん?」
「前にカイリの部屋、漏水しただろう。その時直るまでうちに泊まってもらったんだ」
ティーバが説明しても、トレックは「そんなことあったっけか」と首を傾げている。
一昨年のことだ。多分トレックは今の総務係に異動してきたばかりで俺ともそれほど関わってない頃だから、あまり覚えていないのかもしれない。
「ティーバの家、広い風呂があるよ」
「風呂、いいねえ!」
ちっ、と車内に響くほどの舌打ちが聞こえた。
「──うるせえな」と刺すような声。
「つうか“杖無し”がでかい顔して乗ってんじゃねえよ」
車内のさざめきが一度静まり、駆動音だけになる。
時間帯のせいもあってそれなりに混んでいた。誰が放った言葉かは、一見してわからない。皆、関係ないような顔をして視線を逸らしている。
「んだよ、今の。どいつだ?」
「やめろトレック」
車内を睨むトレックを慌てて止める。
トレックの声がまあまあ大きかったのは事実だし、職場からの帰りに揉め事を起こしたくはない。
──なんか怖いよね。
──だって最近の事件知ってる?
──見ちゃいけません。
密やかな言葉が次々に流れてきて、居心地悪くなるような視線を向けられている。
普段の“杖無し”に対する無関心や嫌悪感ともまた違う、明確に排除しようとするような空気。
やはり、例の事件の社会的な影響は少なからずあるようだ。
でもまあ、これまでもそうだったが、これまで以上に、今の俺には刺さらなかった。たぶん、掠りもしていない。
「……次で一旦降りよう」
ティーバの耳打ちには素直に賛成だ。
ちょうどトラムは停車駅で止まり、俺たちはトレックを引っ張るようにして車両から出た。
夕空に夜の色が混ざり始めていた。
「かーっ、腹立つ。なんで俺らが降りなきゃならないわけ」
「ここからなら歩いてもそれほどかからない」
ティーバがトレックをなだめ、トラムが走り去っていった方を眺める。
「あの車両に乗ってるよりいいだろう」
「気分悪いぜ」とトレックは吐き捨てた。
「まあまあ、とりあえず行こう」
俺は二人の背を軽く押す。
「せっかくのロドラン宅の夕飯に遅れちゃ悪いからね」
「カイリ……こっちじゃない。うちは反対だ」
ティーバの控えめな訂正に「そうだっけ」ととぼける。
漏水修理が終わるまでの1週間、職場とティーバの家をトラムで往復していたのだ。さすがの俺でも正しい方向くらい覚えていた。
トレックは水色の瞳でじっと俺を見ていたが、「おまえの方向音痴は末期かもな」と呆れ混じりに笑った。
俺が気にしていないことで2人を煩わせる必要などない。
先程までの嫌な空気はここに置いて、ティーバの家へと向かう。




