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西部遺跡管理事務所 業務日誌  作者: 青桐 臨
第五章 平等派『アーテヌ』
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3 理由付け


 事務所の地下の地下。

 自室。


 今週末をどう切り抜けるか、ランニングマシンで走りながら考えていた。規則的な足音だけが部屋に響いている。


 カウンセリングを受けるつもりは毛頭ない。レンさんにはもちろん怒られるだろうが、体調不良ということにして当日キャンセルのつもりだ。

 さすがに何度もその手は使えないだろうが、今回初めての1回くらい、それでいけると思っている。


 いや……本当にいけるだろうか。


 なぜか気楽に考えていたけれども、相手はあのレンさんだ。俺がドタキャンするのを見越してあらかじめマツバ・トオルをけしかけてくるくらいやるかもしれない。

 マツバはこの建物にも俺の部屋にも不法侵入できる。あの男に捕まればカウンセリングのセンターまで強制連行だ。前日は別のところに泊まったほうがいいかもしれない。

 たぶん考えすぎだ。わかっている。でも、たとえ滑稽に見えたとしても、慎重に動いて損はないと思う。

 頼みやすいのは一人暮らしのトレックか。だめならティーバにお願いしてみよう。


 ボトルのぬるい水を飲む。


 カウンセリングの件はそれでいい。

 問題は『アーテヌ』とノダ・アヤセの方だ。


 

 “例えば向こうの世界の思い出の品を1つとか、写真を1枚とか、それくらいならこちらに持ってくることも可能ですよ”

 

 今週末の集会に行けば、エンデが手配してくれるという。

 やはり信じがたいが、エンデがこんな嘘をつくとも思えなかった。

 もし本当なら。


 ……欲しくないわけがない。


 走りながら少し咳き込んだ。

 部屋は相変わらず汚さを極めている。たぶん、かなりの埃を吸い込んでいるだろう。

 酸欠気味の頭でぼんやりと考えていた。

 

 記憶の確かな形。

 それがあれば、きっとまだ、大丈夫だ。

 

 エンデの取引は甘く、重く、怪しさに満ちていた。

 被回収者の元の世界にまつわる物を、こちらに持ち込むのは国から固く禁じられている。そんな犯罪に手を出すことを厭わないほどの価値を『アーテヌ』或いはエンデ個人が、俺に見出していることは理解できないが、単に集会に顔を出して、はい終わり、とはならないだろう。

 必ずその先がある。思想団体だ。俺に出せるものなんてたかが知れてるが、対価として何を求められるのかわからない。


 今日の所長を思い出す。

 所長の研究は進みつつあるようだ。 

 であれば今、妙なリスクに手を出すべきではないのかもしれない。


 けれども。


 思考は出口なく巡る。


 徐々に走る速度を緩め、歩くのに変える。

 息が上がり、汗がだらだらと肌を伝っていた。

 

 結局。

 こんなふうに息苦しく、どこまでも沈んでいくような気分で過ごす日々に終わりが見えないことに変わりはなくて。

 所長への期待がやっぱり無駄に終わる可能性も否定できなくて。

 ならば、怪しげな取引に乗ったところで、今さら俺が失うものなんてほとんどないわけで。

 このタイミングを逃したら、もう手に入るチャンスは与えられないのかもしれないし。


 だから、とっくに答えは出ていた。


 ただその選択をするための、自分が納得できるもっともらしい理由を探しているだけだ。


 ランニングマシンから降りて、床に積まれた物やらゴミやらを押しのけてスペースを作り、マツバ・トオルに命じられているトレーニングメニューをこなしていく。

 

 ──だから、そう、これはつまり。


 虎穴に入らずんば、というやつだ。


 踏み出さなければ欲しいものは手に入らない。俺には絶対に必要なものだ。

 黙っていれば削り取られていく一方なのだから、たまには自分から取りに行ったっていいはずだ。

 あとは俺がエンデを信じられるかどうかだ。もう少し、確認はしておこう。


 腹筋を続けていたが筋肉がねじ切れそうになり、仰向けに倒れる。身体が痛い。天井の明かりが眩しい。

 どれだけ鍛えたところで魔法の前には手も足も出ないのに。

 ノダ・アヤセの仲間だという少年達に、魔法で強制的に土下座をさせられたのは記憶に新しい。

 やっぱり馬鹿馬鹿しいという気持ちを追いやって。

 

 ──さて、そのノダ・アヤセだが。


 メモなんかに保存魔法をかけるあたり、言い方はアレだが、結構しつこいというか、重たいタイプなのかもしれない。

 異郷で出会った同じ日本人にテンションが上がっているだけじゃない、単に日本人同士で仲良くしたいという以上の気持ちを向けられているような気もしていた。

 職場はバレている。向こうから来るのを避けることはできない。

 ならば、俺には関わらないでほしいと、きっぱりと伝える必要がある。

 そのためにはやはり……一度外で会わなければならないという結論になる。職場でそんな話はしたくない。


 今週末。

 『アーテヌ』の集会は昼間だ。

 集会に顔を出した後に、アヤセと会う。集会が何時に終わるのかは定かではないが、用事があるからと切り上げる理由にもなるだろう。

 それでいい。同じ日にどちらも終わる方が精神的な負担が短くて済む。


 自分の中でようやく整理がついて少しすっきりとした。

 重たい体を起こし、汗が染みこんだ服を脱ぐ。

 洗濯が億劫過ぎて山のように溜め込んでいた衣服も、今は珍しく片付けようという気になった。服のストックが尽きかけていたから良かった。

 洗濯機を回している間にシャワーを浴びた。

 乾燥が終わるまで眠り、シャツにアイロンをかけ、また眠った。

 眠りが浅かったせいか、随分と色鮮やかな夢を見た気がした。



§



 翌日。のどかに晴れていた。

 シンゼルさんが休みだというくらいで、いつもと特に変わらず仕事が始まる。


 朝一番に席で鳴った電話をソナが素早く取った。

「はい、西部遺跡管理事……」

 半端なところで言葉が途切れたソナの方を見ると、ソナも無表情にこちらを見た。

 「少々お待ちください」と受話器を耳から離し、俺に差し出す。

「昨日の、ノダ様という方からですが」

 ソナのやけに事務的な口調は気になるが、とりあえず受話器を受け取った。


「はい、カギモトです」

〈あ、カギモトさん? あの、おはようございます〉

 ノダ・アヤセは電話でも日本語だった。

〈えっと、昨日は突然すみませんでした。職場に押しかけちゃって……〉

 昨日よりも何だかしおらしい。とりあえず黙っておく。

〈あたしちょっとテンション上がっちゃって。日本人の同じ被回収者の人に会えて嬉しくて……。あ、今も、職場にかけてごめんなさい。連絡先がここしかわからなかったので〉

「連絡先はここしかないのでそれは構いませんけど。それで、ご用件は?」

 こちらは日本語は使わない。

〈え、あ〉と電話口の向こうでアヤセが口籠った。

〈その……メモ、読んでくれました?〉

「ええ、はい」

 今日処理しようと思っている書類を用意して、端末を操作しながら答える。

〈こ、今週末、どこかで会えませんか……?〉

「……」

〈ほんと、急ですみません。あたし……正直、こっちの世界に来てからうまくいってます。でもやっぱり、何となく、寂しくて〉

 昨日の勢いはどこへやら、随分と自信がなさそうだ。

〈元の世界に帰りたいとか、そういうのはないんです。でも少しでも、共有できる何かを持った人と話したいなっていうか。説明が難しいんですけど……〉

 マツバ・トオルに聞かれたら「甘えるな」と一蹴されそうな発言ではあるが、彼女はまだ……子供だ。少なくとも、ここに連れてこられた時の俺よりも若い。

 彼女は何も、悪くないのだ。

 何とも言い難いやるせなさのようなものを感じてしまう。

〈だから、その〉

「午後でいいですか」

 えっ、と弾かれたようなアヤセの声が聞こえた。

「今週末。午後の……2時半でどうですか。国立西部図書館の前で待ち合わせで」

〈……いいんですか?〉

 会うとは決めていたのだ。もったいぶる必要もない。

「その前に用事があるのでもしかしたら遅れるかもしれません。リアルタイムで連絡が取れないので、そこはすみませんが」

 受話器を肩に挟み、卓上カレンダーの週末の日、赤丸をつけた枠の中に時間を書き込む。

 『アーテヌ』の集会に行く時間。アヤセに会う時間。

〈だ、大丈夫です待ってます。ありがとうございます! あたし……楽しみにしてます!〉

「では」

 受話器を置いた。  

 視線を感じる。

 隣のソナからだ。

「どうかした?」

 ソナは相変わらずの感情の読めない顔で俺を見ている。

「あー、仕事じゃない電話でごめん」

 ソナは「いえ」と首を横に振るだけだった。


 アヤセについてか、もしくは俺が彼女と関わることについてか、何か思うところでもありそうだが。

 思えば昨日アヤセが来たあとから何だかソナとは距離を感じる。色々と気にかけてくれたのに、アヤセからのメモの内容を「関係ない」と明かさなかったのがまずかっただろうか。

 しかし、事実、職場の人間とは共有する必要のない情報だ。

 でもまあ……正面からそんな冷たいことも言えない。


「えっと、被回収者で同郷者同士、ちょっと交流してみようかなって気になったんだ。それだけなんだけど」

 出た言葉はなぜだか弁明めいてしまった。

「そうですか」と一言答え、ソナは自分の仕事に戻った。

 何となく、斜め向かいのナナキがちらちらとこっちを気にしているようである。


 とりあえず最低限、情報提供はした。


 頭を切り替え、他の係から出された領収書のチェックに集中することにした。

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