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西部遺跡管理事務所 業務日誌  作者: 青桐 臨
番外編 ティーバ・ラヴァンデリオの後悔
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ティーバ・ラヴァンデリオの後悔 最終話


 仕事中、ペンで汚れた手がどうしても気になってしまい、手洗いに行った時だ。


 水音で、トイレの手洗い場に先客がいることに気がつき、それがカイリの後ろ姿だとわかった。

 何となく近づくのが躊躇われて、僕は壁の影で立ち止まる。


 カイリもやけに熱心に手を洗っているのだと思ったが、よくよく見れば右手首がやけに赤い。流れる水で冷やしているように見えた。

 ようやく水を止め、ハンカチで手を拭うカイリの顔が一瞬正面の鏡に映り、僕は息を呑んだ。


 その顔はまるで──地獄の淵にでも立っているかのような。


 体調が悪そうだとか、痛みをこらえているようだとか、そういうものではなかった。

 やがてカイリは手首を押さえたままの姿勢で目を閉じてじっとした。

 そして瞼を開けた時に鏡面に映ったのは、穏やかな、どこか余裕すら含んだいつものカイリの顔だった。 


 見てはいけないものを見た。

 まさしくそんな気分だった。


「──カイリ」

 衝かれたように手洗い場に踏み込むと、カイリはびくりと肩を震わせ振り返ったが、

「あ、ティーバ」 と普段どおりの微笑みを見せる。

「どうした? って、トイレしかないか」

「その手、どうしたんだ」

 とぼけるようなカイリに構わず尋ねると、カイリは「別に」と捲っていたシャツの袖口を素早く下ろした。

「ちょっとぶつけた。大したことないよ」

「かなり赤くなってただろ。ちゃんと冷やさないと」

 僕は魔力で冷気の塊を手の上に作り出した。

「……」

「治りが遅くなると困るのはカイリだ」

「……いつも悪いね」

 カイリは観念したようにもう一度袖を捲った。

 手首ははっきりと赤く腫れ、少し爛れてもいた。 

「これ火傷じゃないか」

「まあね。うわ、冷た」

「まあねって……」

 この職場に火元はない。魔法でやられた火傷なのは考えるまでもない。


 カイリはさっき、3階の調査係のところに行くといって、しばらく戻ってこなかったのだ。

 遺跡管理事務所の調査係は魔法至上主義者の極みみたいな人間が多く、カイリにはあたりが強いなんてものじゃない。それは知ってはいた。


「ノイマンか?」

 訊いてもカイリは「魔法ってほんと便利だ」と手首に当てられた冷気の塊を眺めている。


 調査係、ノイマン・シーシュメイア。

 “東のシーシュメイア”と呼ばれる四大家門の男。家柄を鼻にかけ、“杖無し”を忌み嫌い、事あるごとにカイリに危害を加えようとする厄介なやつだと認識している。


 カイリの手首を冷やしながら、ノイマンにも、何でもないような顔をしているカイリにも腹が立った。

 しかし文句を言おうとするより先に、「ティーバ」と呼びかけられた。

「……何」

 カイリはにこりとする。

「いつもどおり、総務係には内緒ってことで」

「いや今回は」

「心配かけたくないし、係長が怒ってルドン係長とバトルし始めたら困るし」

 カイリは冗談めかしているが、これで何度目だ。いい加減、冗談で流すつもりはない。

「でも」

「頼むね。あ、冷やしてくれてありがと。だいぶ痛くなくなった気がする」

 カイリは「じゃあ後で」と僕の肩を軽く叩き、横をすり抜けて行った。


「カイリ!」

 追いかけて廊下に出た。

 カイリは立ち止まり、ゆっくりと振り返る。

「一度きちんと所長に言ったほうがいい。それでもだめなら、その上に」

「いいって。ノイマン相手じゃ意味ないし、変に騒ぎ立てたくない」

「こんなことがまかり通っちゃいけないんだ」

 どの口が言っているのか。

 頭のどこかで誰かに責められているような気もした。

 それでも言葉が、気持ちが、喉元までせり上がってくる。

「僕は……」

  カイリの朴訥とした表情からその心情はよく読み取れない。だからこそ、心配で、

「君とは……良い友人でいたいと思ってる。ただの、ティーバ・ロドランとして」

「あ、そう……なんだ?」

 唐突に聞こえたのか、カイリは僅かに首を傾げながら曖昧に笑った。


「だから」と僕は続けた。

 

 ──カイリのあの表情。


 カイリは心が鉄のように強いわけでもなく、何も感じないほど能天気なわけでもない。ただ、耐える術を知っているに過ぎないということだ。

 そんなのいつか……限界が来るかもしれない。


「カイリが困ってることがあったら、ちゃんと教えてほしい。君の立場はいろいろと大変で、危険なこともあるだろう?」


 カイリは微かに目を細めて僕を見ていた。

 僕を測るような、ヒューの目に似ている気がして、少し息が詰まりそうになる。


「僕はカイリの力になりたい」


 ジーナ・クロディが聞いたら笑うだろう。それとも軽蔑するだろうか。

 しかしもう関係ない。

 僕はティーバ・ラヴァンデリオではなく、ティーバ・ロドランとして、一からやり直す。

 僕が救えるはずの相手に迷わず手を差し伸べる。


 なのに。どうしてか。


 僕の言葉は、随分と空虚に響いて聞こえた。



「ありがと」 

 カイリは変わらず微笑んでいる。

 しかし「気持ちは嬉しいよ」と穏やかに続けたその口振りには、同時に突き放すような冷たさもあった。

「気持ちだけ、もらっとくね」

「気持ちだけ……って」

「うーん、何て言えばいいかな」

 カイリは黒髪の頭をぽりぽりと掻き、言葉を選んでいる。それから辺りを見回し、僕に視線を戻した。

「俺は確かに魔力が無くて、不利な立場にいるし、周りに迷惑かけてることもわかってるよ。魔法ができなくて困ることはもちろん誰かに頼らないといけないし」

 でも、とカイリは言葉を切り、まっすぐに僕を見た。

「それはそれとして、俺はみんなと対等でいたい。そうあるべきだと、俺は思ってる」

「僕は……対等のつもりだ」

 口ではそう答えながらも、頭では忙しなく考えていた。


 宙に浮いたままの僕の罪悪感が消えることはない。

 そんな僕がカイリを助けたいのは、本当の親切心からか? 

 カイリをヒューの代わりに見立てて、あの時の償いができるとほんの一欠片も考えなかっただろうか? 

 僕が楽になるためにカイリという存在を消費しようと── 


 わかってるよ、とカイリは笑った。

「ティーバが親切で言ってくれてるのはわかってる。でも、誰かに頼りすぎちゃうのはちょっと、嫌なんだ。少し線は引いておきたくて。だから、気持ちだけってこと」

 胸がじわりと冷たくなる。

「俺も、ティーバとは良い友達でいたいと思ってるよ。せっかく同じ職場にいるんだしね」

 それからカイリは思い出したように腕時計に視線を落とし、だいぶのんびりしちゃったな、と呟いた。

「先戻ってるから」

 ひらりと手を振って、カイリは踵を返した。

 僕はそれ以上何も言えずに立ち尽くしていた。



 他人に頼りきるのは嫌だというカイリの気持ちは、僕にも理解はできる。

 しかし、非魔力保持者は常に悪意に晒されている。いくら警戒しても、悪意をもって一方的に奪われることもある。

 対等だなんだと綺麗事を言って意地を張ったところで、自分の身を守る力もなく、脆くて弱いことは事実だ。失ってしまえば、取り返しはつかないのだ。


 僕は手洗い場に向かい、冷たい水でインクのついた手を洗い始めた。石鹸を使っても、強くこすっても、うっすらと色は残った。

 仕方がないと諦め濡れた手を拭い、再び誰もいない廊下に出る。


 ──カイリは大切な友人だから。


 絶望に満ちたあんな顔をさせたくないと思うのは、僕の曇りない本心であってほしい。

 取り巻く不安や理不尽な脅威から、カイリを守りたい。

 守らなければならない。  

 僕がきっと、今度こそ。



 傲慢でも偽善でもいい。

 それで嫌われてもかまわない。

 そうすることが、僕の。

 そうすることしか僕には……

 


 西部に来てからいくつも広がって見えつつあった道が、ひとつに収束していくような気がした。


 薄暗い廊下を、カイリが戻って行った執務室の方へ、遅れて僕も歩き出す。

 


 やはり今も僕は、窮屈なところにいるのだろうか。



 でもそれが僕の……ティーバ・ロドランとしての在り方であってもいいだろう?


 

 正解はない。



 僕はこの先もずっと、考え続けなければならない。

 




──────



「ティーバ・ラヴァンデリオの後悔」編  完






ティーバ編、ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。いつも暗い話ですみません。


次章は、本編に戻り、平等派『アーテヌ』接触編の予定ですが、しばらく期間が空くかもしれません。


評価、感想などいただけますと、今後のモチベーションにつながります。


それでは、機会がありましたらまた。

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