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西部遺跡管理事務所 業務日誌  作者: 青桐 臨
番外編 ティーバ・ラヴァンデリオの後悔
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ティーバ・ラヴァンデリオの後悔 6


 ヒューの席はぽっかりと空いていたけれども、クラスでは誰も、教師も、ヒューの話題を口にしなかった。初めからいないみたいだった。

 いつでもふざけたことを言って笑い合っている同級生達は、あの時のことをどう受け止めているのだろうか。

 僕にはわかりようもなかったし、訊くこともできなかった。

 僕はといえば、嫌な夢を見るようになって、よく眠れない日が増えた。



 報告書を読んだその週末。

 


 僕はヒューが入院している病院まで、乗り慣れない魔導トラムを何とか乗り継いでやってきた。

 見舞いのためだ。

 しかしクロディ家に金銭的な支援を行った両親は既に義務を果たしたと思っている。わざわざ“杖無し”のところに見舞いだなんて反対されるのは目に見えていた。だから2人には図書館に行くと言って家を出てきた。

 父に嘘をつくのは正直恐ろしいことだった。でもそれよりも、ヒューに会って謝らなけばという思いの方がこの時は(まさ)っていた。

 

 それなりに値の張る菓子店の菓子を小遣いで買い、見舞いの品として用意していた。その紙袋を手に病院の受付へとひとりで向かう。

 ヒューの同級生だと告げて見舞いの用件を伝えると、追い返されることもなく、名を問われることもなく、事務員らしい女性に案内された。

 当然ヒューの病室に行くものと思っていたが、連れて行かれたのは病室のある棟ではない。事務員達の多いフロアで外部の人の姿は見えず、通された部屋は、暗色のカーペット、一対のソファと机が置かれただけで誰もいない。


「こちらでお待ちください」と事務員は頭を下げて出て行って、扉が閉められる。


 窓があり、薄黄色の壁には小さな絵が掛けられている。応接室のような部屋だろうと僕は思った。

 ヒューがこっちに来るのだろうか? 

 よくわからないまま紙袋をぶら下げて、僕はソファの前で突っ立っていた。

 

 ヒューに会った時に言うべき謝罪を頭の中で何度も復習していると、扉がノックされる音にどきりとした。

 

 入ってきたのは小柄で細身の、ヒューとよく似た赤毛の女性だった。義母と同年代くらいに見える。

 化粧は薄く、眼鏡で、地味だが質の良さそうな服。

 ヒューの母親だ。 

 そう直感し、全身に緊張が走った。

 社交的な場での大人への対応には慣れていたが、今回はわけが違う。


 そもそも、僕も僕側の大人を連れて来る必要があったのだろう。当事者同士、ヒューやヒューに近しい人と単身で顔を合わせるべきではなかった。しかしこの時は、そんなことに思い至るほどの余裕はなかった。


 何かあったら……

 扉と窓に視線を巡らす。


「ヒューの母です。ジーナ・クロディ」

 正面に注意が引き戻される。喉が絞められたような気がした。

「ぼ……僕は」

「ティーバ・ラヴァンデリオさんですよね?存じてますよ」

 有名ですから、とヒューの母は付け加えた。

 唾を飲み込む。

「僕は、お見舞いに、来たんです。あと、あ、謝りに。クラス委員として、代表で……」

 それも嘘だが、自分が訪れた理由が必要だと思っていた。

「学校からの報告書は読みました」とヒューの母は静かに告げた。

「今回の件は子供同士がふざけあった結果の不幸な事故だと。あなたはあの子のためにすぐに救急を呼んでくださったと。そうなんですね?」

「……。……はい」

 ここで、「概ねそのとおりです」などとは答えられなかった。しかし、自信を持って「そうです」とも言えず、何とも半端に頷いた。

「そう」とヒューの母は口の中で低く呟く。

 そして体の前で手を組み、背筋を伸ばして僕を見据えた。

「あの学校の関係者が来たら、ここに通すよう病院には伝えておりました。せっかく来ていただきましたが、あの子はあなたに会いません。あの学校の、誰にも」

「……」

「ねえ、ひとつ聞きたいんですけれど」

 がらりと口調が変わり、僕は思わず身構えた。

「あなた、どの面下げてお見舞いに来たのかしら?」

 強く殴られたような気がした。

 どの面下げて、だって?

 そんな口の利き方を他人にされたのは、初めてだった。

 咄嗟に言葉が出ない。ヒューの母の目は凍てつくように冷たい。

「ヒューから聞いています。あなたが直接あの子に危害を加えること自体は少なかったけれど、あの子を虐げる空気を作っていたのは、実質的にあなただったって」

「ヒューがそんなことを? ち、違います……」

 さすがに困惑の声が出た。

 それは、違う。

 僕が同級生達をけしかけていたわけじゃない。彼らが勝手に盛り上がっていただけだ。本当はだめなことだと、心の中では思っていた。

 ……思っていただけだが。


「もちろん非魔力保持者を嫌う者もいます。ですが大半は、“南のラヴァンデリオ”の跡取りの意を汲んだ行動を取っていた。そう、ヒューは言っています。あなたがやめろとひとこと言えば、やめたでしょう」


 僕は絶句した。

 違う。

 みんなの……父の……世間の意に沿わねばと躍起になっていたのは、僕の方だ。周囲が、僕に強いていたはずだ。

 ──“杖無し”なんかと関わるべきではないと。

それなのに。

 クラスのみんなも、僕に望ましいと思われるような振る舞いをしていただけだというのか? 僕が父の顔色を伺うように。

 そんなこと……


「僕は……」

 混乱する頭で必死に口を動かす。

「ヒューに謝りたいんです。説明したい。直接話をさせてくれませんか」

「今さら何を話すんでしょうか。話したところで何も変わりません」

「僕は……確かにみんなを止めるべきだったと、思ってます。責任を感じています。ですから」

「あなた、そうやって反省の言葉をヒューに伝えて、区切りをつけたいだけですよね?」

 僕の、目を背けたくなるほどの醜い感情。

 それを淡々と、ヒューの母親は突きつけてきた。

「そんなことをさせるつもりはありません。だから会わせないんです。絶対に」

「……でも」

 見苦しいとわかっていながら僕は食い下がる。

 ああ、そうだ。

 心の底から申し訳ないと思っている。後悔している。しかし、ヒューが被った結果の重さを見れば、許されることなんて期待するべくもなかった。

 取り返しのつかないことに深く関わってしまった事実は変わらない。

 罪悪感と呼ぶべきそんな重苦しい感情に耐えられるほど、僕は強くなかった。

 とにかく謝りたかった。そうすれば、僕の中では折り合いをつけられそうな、そんな気がして……


「自分勝手で、傲慢な方なんですね。そもそもヒューのような子を、あなたたちの学校に通わせた私達親に非があるとでもお思いなんでしょう」  

 

 一言一言が突き刺さる。

 沈黙が流れた。じっとカーペットを見つめる。

 足元から沈んでいきそうなほどに、空気が重い。


「ティーバ・ラヴァンデリオさん」


 判決を下されるかのようだ。

 項垂れていた頭を上げる。

 彼女は、慈母のような微笑をたたえていた。

「ヒューは、あなたのことを許していますよ」

「え……」

 一瞬意味がよくわからなかった。

「あなたの立場は理解できると、仕方がなかったのだろうと言っていました」

「そ……そう、なんですか?」

「──そんなわけないじゃないですか」

 ぐっと声が低くなり、冷めきった瞳に僕は狼狽える。

「あの子はあなたを大変憎んでいます。一生許すことはない、と」

「え……、え?」

 僕の気持ちも思考も既に限界を迎えていた。

「何を、仰っているんですか? ど……どっちなんですか? ヒューは僕のことを何と……」

「さあ」

「さあ?」

 ヒューの母親は仮面のような無表情になる。

「あの子からあなたへの伝言を言付かってます」

「伝言……」

 ヒューの母はすっと手を上げると、彼女の赤毛の頭を指で突くようにして見せた。

「──想像してほしい、と」

「な、なにを」

 答えずに、ヒューの母はつかつかと距離を詰める。

 そして棒立ちの僕の手から見舞いの菓子の紙袋を取った。

「……これから言うのは、ヒューからではなく、私個人の言葉です」

 僕の前に立つヒューの母は、泣くでも怒るでもなく、何かを強く堪えるような表情だった。

「時代は、変わるものです。社会の考え方も、価値観もいずれは変わるでしょう。いずれ……魔力の多寡だけでなく、その人自身の価値を見出だすような、そんな平等な時代が来ます。私はそう願っています」

「……」

「そんな時代を想像してみるといいんじゃないでしょうか」


 僕の目にはいつの間にか涙が溜まっていて、壁も、床も、ほんの少し先の視界も何もかもがぼやけて混ざっていく。 


「これ、見舞いの品ですよね。ありがたくいただきますから」

 何も言えない。身動きすら取れない。

 そんな僕にヒューの母は、「見舞いに来てくれたのは家族以外であなただけでした」と告げた。

「あなたがどういうつもりにせよ、無関心でいられるよりはずっと、ありがたいことですね」


 立ち去る足音。 


 扉はゆっくりと閉じられた。


「ごめんなさい」と震える唇の隙間から漏れた。


 「ごめんなさい」と小さく繰り返すが、誰に届くこともなかったし、届いたところで何の意味を成すものでもなかった。



§



 ヒューの両親達は学校からの報告書にそれ以上反論することもなく、静かに、知らぬ間に、ヒューは退学をした。

 ヒューの件は処理済の事項となって、日常は過ぎていく。


 僕の中にはずっと、消えない何かがこびりついていて、ふとした時に頭をもたげ、寒々しい気持ちにさせられた。

 それでも僕は、ラヴァンデリオの跡取りであり続けることしか選べなかった。父の機嫌を伺い、周囲の期待に応える、その在り方しか僕は知らなかったし、考えることもできなかった。

 

 そうして淡々とした学校生活を過ごし、やがて高等学校に入った頃。


 僕が想像することを放棄し続けてきたことへの()()は、突然やってきた。


 今思えば、必然というべきだったのかもしれないが。

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