ティーバ・ラヴァンデリオの後悔 4
重いです。不快に感じる方がいたらすみません。
一部表現修正しました。
「──ラヴァンデリオくん」
「えっ」
パーティーの光景から現実に引き戻される。
午後の陽の満ちた生暖かい教室。
教師が、同級生達が、こちらを不思議そうに見ていた。
「問題の答えを聞いているんだが」
何ページの、どこの問題だ。
全く聞いていなかった。
手元の教科書を凝視する。
「わからないのかね。君が」
「あ、いえ……」
いくつもの視線だ。
ラヴァンデリオ家のティーバは、こんな問題もわからないのか。
いや、そもそも聞いてすらいなかったようだ。
なんと不真面目なことか。
相応しくない。
あの子はラヴァンデリオ家の跡取りに相応しくない。
そんな声が聞こえる気がして──落ち着けばいいだけなのに、焦っていた。
さっきは、どこの話をしていた。
教科書の文字を追っても内容が滑っていく。
正しい答えは。
「ぼくわかります!」
勢いよく手を挙げたのはヒューだった。
「56ページの問8は459年のテルトリアス山脈での戦いですよね」
教師が苦々しい顔になる。
「君に聞いていない。それに私が許可する前に答えるんじゃない、クロディ」
「あっ、すみません。でも正解ですよね?」
ヒューはわざとらしく肩をすくめてみせたが、教室の空気は冷めていた。
「まあそうだが」と教師は渋い顔で手元の教科書に視線を落とす。
「じゃあ、ラヴァンデリオくんは次の問題を」
わざわざページと問題番号まで述べたヒューの解答のおかげで、どこの話をしているのかがわかった。それさえわかれば難しくはない。これにはすぐに答えることができた。
教師は「正解だ」と満足そうにして、次のページの説明を始めていく。
僕が斜め後ろの席のヒューをそれとなく見ると、朗らかな微笑みを向けられた。
胸の奥が冷える気がした。
周囲には、いつも答えたがりのヒューがまた出しゃばったのだと思われた……はずだ。
しかし、あの笑み。
彼の意図はどうあれ、僕の体面は“杖無し”に守られたと、そう受け取る者もいるかもしれない。それは屈辱よりも──恐怖に近かった。
§
ヒューがクラスで鼻につく行為をすれば、その“報い”は彼自身に返ってくることになる。
授業で僕を差し置いて先に答えたことは同級生達に咎められ、放課後、ヒューは校舎裏に無理やり連れてこられていた。そして僕もそこにいた。
「今日は浮遊魔法の練習だな。どれくらい重いものを浮かせて飛ばせるか」
調子のいい同級生が周りに意見を求めるように見回した。
「いいね」
「あいつが的ってことだろ」
僕は黙っていた。
蔦が這う校舎の壁を背に数人に囲まれてヒューは逃げられない。どうせ魔法で転倒させられるのはわかっているからか、逃げようともしていない。時が過ぎるのをじっと待つように鞄を抱え、静かな目をしていた。
同級生達は最近授業で習った浮遊魔法で辺りに落ちている石を浮かび上がらせる。
その中には小さくないものもあったが、皆は構うことなく一斉に、ヒュー目掛けて飛ばしてぶつけた。
同級生達の魔法のレベルにはばらつきがある。ヒューまで届かずに落ちるものもあったし、見当違いの方に飛んでいくものもあった。これなら普通に手で投げた方がましだろう。
それでも魔法を使うのは、使えない者への当てつけのようなものだ。
いくつかは鋭い速さでヒューに当たった。顔と頭を腕と鞄で覆ってはいるが、ヒューは痛そうに小さく呻く。
本当にくだらないし、不愉快さも感じていた。しかし、水を差すこともできない。
足元の土を見ていることにする。僕もまた、時が過ぎるのを待っていた。
「おい、おまえも俺達の血を飲もうとか思ってんのかよ。野蛮なやつ」
一人が嘲るように言った。
例の、“杖無し”による連続殺傷事件のことだろう。
「そこまでして魔力が欲しいのか、“杖無し”って。ほんと浅ましいよな」
「そんなの迷信だよ。僕は信じてないし、別に魔力が欲しいとも思わないし」
ヒューはきっぱりと言い切った。
「それこそ信じられるか、犯罪者予備軍が」
もう一人がいくつかの石を一度にぶつける。
「おまえ、ほんと学校辞めろよ。いるだけだクラスの雰囲気が悪くなるんだよ」
「辞める理由なんてない」
毅然とした返事に同級生は呆れたような溜息をつく。
「なあ、ティーバもそう思うよな?」
「……」
俯いていた顔を上げ、僕はヒューを見た。
今日の授業のことを思い出す。今ヒューがこのような状況に置かれているのは、僕を助けたからに他ならない。
──だったら何だというのか。
と、ラヴァンデリオ家の人間なら思うべきか。
父なら、何と言うだろう。周りは僕にどんな言葉を求めているだろう。
冷たい風が僕達の間を吹き抜けて、砂埃が舞った。
「そうだ」
何かを断ち切るようにして僕は答えていた。
「君がいることで、場が乱れるのは確かだ。自分の立場をよく理解した方がいい。せめて」
自分の声が、まるで自分の声ではないように聞こえる。
「普通の“杖無し”らしく、首を引っ込めているべきじゃないか」
分を弁えて振る舞うのなら、何もしない。
僕は暗にそう伝えたつもりだった。
それがこの狭い社会に置かれた“杖無し”である彼の、一番ましな在り方だと思ったから。助言だったのだ。
ふ、とヒューは口端を僅かに持ち上げる。
僕を馬鹿にするような、いやむしろ、憐れんですらいるような笑みだ。そう見えた。
顔が熱くなる。
「ティーバくん」
ヒューは平然として口を開いた。
「ぼくが思うに、君はとても窮屈なところにいて、がんじがらめになっているように見える。その道しかないって、思い込んでるんじゃない?」
「何言ってんだおまえ」
同級生の一人が噛みつくように言う。しかしヒューは無視をして続けた。
「そんなことはないと僕は思うんだけどね。僕だって、“杖無し”だからって、何も諦めちゃいないんだよ」
「何だよあいつ、意味不明」
「おいティーバ、これ使えよ」
体格の良いいい同級生が、両手で抱えるほどの大きさの角ばった石をよろよろと持ってきて、僕の足元に重たげな音を立てて置いた。
「ティーバならこれくらい、飛ばせるだろ」
「……」
ちりちりと、炙られるような痛みをどこかに感じるような気がしていた。
「やめた方がいいよ。これは助けを乞うてるわけじゃなくて。いや半分はそうだけれど」
ヒューは怯えているようにも怒っているようにも見えない。
「でもその方が、ティーバくん自身のためだと」
「うるせえな」
同級生が遮った。
もう終わりにしてこの場を離れたい。
でも僕なら、これくらいできると見せつけなければならない。
それは何のために? 誰のために?
……ヒューが言ったように、窮屈なのは僕の方なのか?
そんな疑念がよぎっても、半ば麻痺したような思考の中、魔力を込めて足元の大きな石を危なげなく浮遊させる。
さすが、すごい、と囃し立てる声が聞こえるが、やかましい。
いずれにしても、ヒューに当てる気まではなかった。誓ってもいい。
石を浮かばせれば僕の役目は十分だろうと思っていて、適当な理由をつけてそのまま降ろすつもりだった。
いや浮かび上げる必要すら……そもそも僕は……
なのに。
「お、やっぱりティーバでも重そうだな」
手伝うよ、と隣から別の同級生が魔力を加える。
止める間もなく、僕が浮かせた大きい石を弾くように、ヒューの頭に向けて飛ばした。僕の魔力と相まって勢いが強い。
どすっという鈍い音がした。頭への直撃は鞄で防いだようだが、ヒューは後ろによろめく。
「しぶといやつ」
すかさず別の同級生が魔法でヒューの足をすくった。
その身体がさらにバランスを崩し、背中から倒れていく。
受け身を取るような体勢ではない。
尻もちをつくと同時に、足元に転がった大きな石の角に、ヒューは頭を打ちつけた。
瞬きする間のその一連の場面が、随分ゆっくりとして見えた。
倒れたヒューは、ぴくりとも動かない。
空気が凍りついていく。
「おい、やばいぞ」
誰かがそう言った。




