ティーバ・ラヴァンデリオの後悔 3
今日は朝から眠くて疲れていた。学校の授業に身が入らない。
昨晩のパーティーは予定よりも長引いて、寝るのが遅くなってしまった。
ラヴァンデリオグループの重要な取引先の社長の屋敷で開催された、その社長の誕生パーティーだった。
父だけでなく家族総出だ。苦しい礼服を身に着け、社交辞令を交わし、長ったらしいスピーチを聞くのは11歳の僕には苦行だった。まさかそれを、顔や態度に出すなんてことはしないが。
そして……そのパーティーで面倒くさそうな相手と関わってしまった。
──ヘルベティア。
“琥珀の民の姫”と呼ばれる少し年下の少女。
教師ののんびりとした歴史の説明を聞き流しながら、昨晩のことを思い出していた。
§
ヘルベティアは社交界デビューだったらしい。姿を直接見たのは初めてだった。
古代魔法文明の末裔、“琥珀の民”の代表として皆の前でスピーチをさせられていたが、緊張で言葉が出ず、パニックになって泣き出してしまった。
どう取り繕うこともできないほどに、あれは大失敗だったといえる。
その後壇上を降ろされた彼女が、“琥珀の民”の関係者らしい大人達に取り囲まれ叱責されてまた泣いているのを、僕は遠目に見ていた。
パーティーは子供に楽しいものではなく、僕は誰かと挨拶を交わすのにも飽き飽きして、寒さも構わず庭の方に抜け出た。
夜の庭はパーティーのために準備されたのか、細かな灯りが茂みのあちこちに装飾されていて、星空のように幻想的だった。
水音の方に少し歩けば、彫刻の施された白い噴水があり、美しく水が湧き出ている。
寒さのせいだろう、パーティーの他の出席者は外にはいない。
と、思ったが、微かなしゃくり声と鼻をすするような音が聞こえた。
見回すと、茂みの下からはみ出したフリルのスカートの裾。
僕は退屈だった。だからこっそりと近づいて、茂みを覗き込んだ。
しゃがんでいた少女がはっと怯えた様子で顔を上げた。
桃色の長い髪。大きな金の瞳。涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていたが、それでも人形のように愛らしい顔立ちなのはわかる。
“琥珀の民の姫”、ヘルベティア。
どうやらこっぴどく叱られたあと、姿が見えなくて帰ったのだと思ったら、ここで隠れて泣いていたらしい。
「……君、寒くないの」
肩を出したドレス姿だ。この冬空ではかなり冷えるに違いない。
しかしヘルベティアは「もうやだ、もう帰りたい」と泣いているだけだ。
自分の問いが無視されたことが少し不満だったのかもしれない。
「酷い失敗だったからね、あのスピーチ」
そんな言葉が出てしまい、少女はさらにはらはらと涙を流す。
仮にも“琥珀の民”の代表に対して失礼が過ぎた。
ヘルベティアにアイロンのきいたハンカチを差し出す。
「悪かったよ。顔、拭いて」
ヘルベティアは目の前のハンカチをじっと涙目で見つめるだけで、動かない。
仕方がなく僕もしゃがみ、弟の世話をする気分で彼女の顔にハンカチをあてる。実際、彼女の方が年下なのだ。
「なんで……」
消え入りそうなヘルベティアの声。
「あたし、こんなこと、やらなきゃいけないの」
「……」
「きついドレスで、難しい言葉覚えて、大人の人ばっかりの前で、間違わないようにしゃべらなきゃいけなくて……」
拭っても、涙が出てきてしまう。
「やりたくないの。でも、やらないと怒られちゃう。あたし、普通でいいのに。どうすればいいの」
わからない、とヘルベティアは細い肩を震わせて、またしゃくり上げ始めた。
この時。
子供らしい感情を素直に吐露できるヘルベティアの事が、羨ましくもあり、苛立たしくもあったのだと思う。
だから、突き放すように言っていた。
「そんなわがままを言える立場じゃないんだろう、君も」
ヘルベティアは濡れた金の瞳を上げる。
この時初めて僕に気がついたような顔をしていた。
「あなた……誰なの?」
「ティーバ・ラヴァンデリオ」
「ラヴァン、デリオ……。四大家門の……」
さすがに知っているようだ。
「僕たちは大人の言う事を聞くしかないんだ。そうしないと、今ある立場を失う事になる。それはわかる?」
ヘルベティアは戸惑ったような顔で微かに頷いた。
「僕が君に助言をしようか」
“琥珀の民”の代表というヘルベティアの方が、僕なんかより遥かに複雑で微妙なところに立っている。このくらいの年齢の子供にはどう考えたって荷が重いに違いない。
だから純粋に、助けになろうという気持ちだった。
「周りに見捨てられたくなかったら、みんなに望まれる姿を死に物狂いで演じることだ」
ヘルベティアはじっと耳を傾けていて、噴水の水音が涼やかに響いていた。
「君は“琥珀の民の姫”だろう。みんなが君にその姫として、どんな振る舞いを、どんな言葉を求めているのか。“琥珀の民”が何を目指しているのか、よく考えるんだよ」
自分より幼いこの子には少し難しいだろうか。
そう思った時、僕の名を呼ぶ声が聞こえた。パーティーは終わったらしい。思ったよりも長く抜けてしまった。叱られるかもしれない。
急いで立ち上がる。
「ハンカチ、返してもらわなくていいから」
「あのっ」
そのハンカチを握りしめたまま、ヘルベティアがか細い声を上げた。
「あなたも、そうしてるんですか」
「うん。今までも。これからもそうするつもり」
「そう、なんですか……」
噴水を背に、パーティー会場の方へと足早に戻った。
その後も似たようなパーティーで、ヘルベティアとは何度も顔を合わせることになる。
その度に、ヘルベティアは“姫”らしくなっていくのがわかった。
僕を「ティーバ様」と呼び、嬉しそうに後をついてくるようになった。
彼女が変わったのは、僕のせいだった。
北部遺跡管理事務所 出張編 「ティーバとヘルベティア」のエピソードで、ティーバがカギモトに語ったヘルベティアとの回想シーンです。




