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番外編 趣味についての雑談 2/2

 

 まひろは一つ一つの絵を、その横に添えられた説明書きと共にじっくりと眺めている。

 美術館というものはいつも静かで、ふざけることを許さないような厳粛な空気で満たされている。

 自分はこの空間にとてつもなく場違いに思えた。

 館内の監視員の目を気にして欠伸を噛み殺していたがもう諦め、隠しもせず連発しながら、俺は彼女の後ろをついて歩いていた。


 ミュージアムショップで列に並んでまひろが数枚のポストカードを購入するのを待ち、これまた列に並んで近くのカフェに入り、ようやく息をついた。

 冷たいコーラが身体に染みわたる。

「ごめんね、疲れちゃった? 鍵本くん」

 アイスコーヒーのストローから口を離し、まひろが少し心配そうに尋ねた。

 顔に出てしまっていたらしい。

「全然」

 と言ってから、まひろの前で見栄を張るのもよくないなと思った。

「いや嘘。目から入る情報量が多いよね、美術館って。何ていうか、俺の脳の処理が追いついてない」

「うん。私も疲れたよ。ありがとう、付き合ってくれて。この企画展、来たかったから」

 控え目にまひろが微笑む。

「俺芸術とか全然わかんないからさ。自分一人じゃできない体験ができます。こちらこそありがと」

 今度はもう少しまひろの笑顔が大きくなった。俺も笑っていた。

 まひろは値段の割に小ぶりな白いチーズケーキにフォークを刺し、小さな一口を口に運ぶと、美味しそうに顔を緩ませた。

 そんな彼女を眺めながら、

「趣味、芸術鑑賞ってかっこいいというかお洒落だよね。俺もそう言いたい。無理だけど」

 俺の軽口にまひろはくすりと笑い、それからふっと目を伏せる。アイスコーヒーの氷が溶けてことりとささやかな音を立てた。

「実はね、ちょっと見栄張ってるだけなんだよ」

 ぽつりと呟く。

「え?」

「私、ほんとはそんなに好きなこととか、熱心になれることとかなくて。でも自分に趣味っていえるものが欲しくて、それで何となく、美術鑑賞を続けてるところがあって」

 まひろはテーブルの隅に置いていた、購入したばかりの鮮やかなポストカードに触れた。

「続けてると本当に興味も持つんだけど、でも、本当は攻略したい、みたいな。スタンプラリーみたいに、私は美術展全部鑑賞してますって言いたいみたいな。何ていうか……」

 後付なんだよね、とまひろは困ったように笑っていた。

「きっと、そうすれば、自分が少しは高尚な趣味のある人間に見えそうっていうか、まあ、そういう下心もあったりして」

 そう言ってストローに口をつけた。


「正直だよね、入江さんって」

 俺も正直に感想を伝えた。

「がっかりした?」

 まひろは笑っているが、どこか不安そうにも見えた。

「しないけど。でも自分に厳しいよね。隠しててもいいのに、俺絶対わからない自信ある」

 まひろのチーズケーキを勝手に一口もらう。

「言われなきゃ、ああ、入江さんって高尚な趣味持ってて教養人だなー、としか思わないよ」

「でも私」

 まひろは笑わずにまた視線を落とした。

「まだちょっと……信じられないんだ。私が、鍵本くんと付き合ってるの」

「え、突然何の話?」

 俺は笑いながら聞き返したが、まひろはやはり真顔だった。

「だって鍵本くん、人気者だし、私と全然世界が違うっていうか」

 自信のなさそうな瞳がアイスコーヒーのグラスを見つめている。

「私のどこがいいのか、よくわからなくて。変に自分をよく見せて、あとで幻滅されたくないなって思って……」

 人気者と言われると何だか気恥ずかしいが、確かに俺は人に合わせることは得意だし苦でもなくて、交友関係は広い方だと思う。対してまひろはクラスでも大人しい方ではある。

 彼女曰く、そこに引け目のようなものがあるらしい。

「なんか、不安にさせてたらごめん。でも俺、見栄張ってても張ってなくても、それを正直に言っても言わなくても、入江さんが好きだよ」

 まひろが目を見開き、顔を背けるようにした。

「鍵本くん、そういうことさらっと言っちゃうから……」

 言えてしまうのだ、これが。本心なのに、逆に薄っぺらく聞こえてしまうのかもしれない。たぶん、自分の悪いところだ。

「じゃあさ、クラスにももうバラそうよ。そしたらより事実って感じしない?」

「いやだよ」とまひろは顔をしかめて辺りを見回す。

「今だって誰か知ってる人に見られないかすっごく心配してるのに」


 高校3年の春の終わりから付き合い始めて3か月目。まだ互いに名字で呼び合ってた頃。

 学校内では付き合っていることを内緒にしてほしいとまひろには言われていた。

 俺は全然何も気にならないのだが、まひろは違うようだ。まあ、秘密にしながら学校生活を過ごすスリルみたいなものもあるのだが。


「俺と出掛けるの、楽しくない?」

 嫌な聞き方をしてみると、慌てたように「ちがうよ」と答えた。

「楽しくて……嬉しい」

 言ってから、まひろは恥ずかしそうにまた俯く。

「俺もね」

 こっちも少し恥ずかしくなり、コーラを飲みきった。

 店は混んでいる。そろそろ出た方がいいだろう。俺はテーブルの端に置かれた伝票に目をやる。

「また出掛けよ、一緒に。クラスのやつらに会わなそうなとこってあんまりないけどさ」

「うん」

 顔を上げ、まひろははにかむように微笑んだ。  


 支払いをするときは慎重になる。

 俺は十分な小遣いを親からもらっていたが、入江まひろは少し微妙な家庭環境で、経済状況があまりよくないらしいとふんわりと聞いていた。 

 だからといって俺がすべて金を出すのをまひろはよく思わない。しかし、割り勘というのはやはり彼女には負担だろう。結果的には俺が多めに支払うことがほとんどだ。

 この時も先に伝票を取ってなんやかんや理由をつけて、そんな感じにした。

「ありがとう」と、まひろが僅かに曇った笑顔を見せる。

 無力感にも似た、いつも何とも言えない気持ちにさせられる表情だったが、高校生の俺にはどうにもできないことだった。


 

 家の近くで誰かと遭遇するのが嫌だというまひろの意見を聞き入れ、美術館の前で別れることにする。

 見える空は半分くらいが夕焼けで橙に染まっていた。公園の中にある美術館だから、あたりは緑に包まれている。風が吹き、木の葉が揺れる音が気持ちいい。


「じゃ、ばいばい」

 俺が手を振ると、まひろも胸のあたりで小さく「ばいばい」と手を振った。

 その仕草がいつも可愛らしいと思っている。


「──入江さん」

 去っていく小柄な背中に思わず呼びかけた。

 まひろは不思議そうに振り返る。

「えっと、今度は、どこ行こうか」

「え、今決めるの?」とまひろが笑う。

 別に今じゃなくていい。もう少し話していたかっただけだ。

「でも、受験勉強もあるしね」

「合間見てさ。息抜きも必要だよ」

「うーん、そうだね」

 躊躇いながらもまひろは頷いた。

「今回私に付き合ってもらったから、鍵本くんの好きなとこでいいよ」

「俺の好きなとこか……」


 人に合わせるのは得意で苦でもない。

 だからやっぱりまひろが喜んでくれそうなところを考える。あまりお金のかからないところの方が、彼女も気楽だろう。

 俺も、特別好きなことや趣味なんてものはない。

 そのことを恥じる気持ちもないし無理に作ろうとも思わない。


 一緒にいるだけで楽しくて嬉しい気分になる相手となら、どこに行って何をするのも構わなかった。

 それくらいで、十分に満たされるような時間を俺は過ごしていた。

 

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