番外編 趣味についての雑談 1/2
時系列的には、テーテの箒の件が一応の解決した後、アヤセが事務所に来る前のエピソードになります。
トレックが花柄の包装紙に包まれた細長い小箱を、ナナキに捧げるようなかたちで差し出した。
「こちらでよろしかったでしょうか」
ナナキは黙ってその箱を受け取り、丁寧に包装紙を開いていく。かさかさと紙の擦れる音になぜかこちらまで緊張感が高まってくる。
慎重な動作で小箱から取り出したのは、持ち手に猫の絵が描かれた万年筆だった。
ナナキはその万年筆を手に、にっこりとした。
「確かにこれで──間違いありません」
瞬間、ぶはあっとトレックが息を吐き出す。
「うわーよかった。これで違うとか言われたらやばかったマジで」
始業前の執務室である。
週明け、やけにトレックの出勤が早いと思ったら、トレックが溜め込んだ入力作業をナナキが処理してくれたことへの礼──リリエズデパートで限定販売された万年筆を渡すため、だったらしい。
「発売日、用事があって行けなかったので、よかったです。ありがとうございましたトレックさん」
「いやあれやべえよ。万年筆ってあんなに人気あるもんなのって感じ。整理券もらうのに並ぶだろ、それから買うのに並んで、早朝から半日費やしたわ」
「万年筆、というより、このデザイナーさんの文具が人気なんですよ。ふふ、かわいい。ふふふ……」
机に頬杖をついて万年筆を眺め、ナナキはご満悦である。
ナナキは文具マニアだ。彼女の机には可愛らしく個性的な文具がいくつも置かれている。
「職場の備品で済むものにそんなにお金をかけるのはよくわからないけど、それでナナキが気分よく仕事できるんならいいと思う」
既に仕事に取りかかりながらティーバがあっさりと感想を述べたが、俺も全く同意見なので頷いておく。
ソナがナナキの机の方に行く。万年筆を見ようとしているらしい。
「あ、ほんとかわいいです。好きなものに囲まれて仕事するっていいですね」
「そうですね」とナナキはまだ満足げに万年筆を見つめている。
「職場で荒んでいく私の心の癒やしですよ、この文具達は」
「あ、そう……なんですか」
ナナキの朗らかな毒舌に、ソナの微笑みが引き攣った。明らかに困ったような反応だ。
「なあソナさんも好きなもんとか、なんか趣味とかってある?」
話題を変えようと思った矢先にトレックが何のためらいもない様子で訊いた。
それはプライベートの話ではないか。真正面から聞くのはどうかと少し気になったが、ソナの趣味は何なのか、別の意味でも気にはなった。
「えっと……」
ソナは考えるように斜め上の方を見る。そして沈黙が流れる。
皆は待っていたが、彼女が答える前に始業のチャイムが鳴り出して、話は中断された。
ソナ・フラフニルとは少し気まずい。
と俺は感じている。
それは先日のテーテ・ペルセウスの箒の件で諸々あったからなのは言うまでもない。
なかったことにしようと暗黙の了解を交わしたつもりで、表面上は何のわだかまりもないように接しているつもりだが、やはり何となくやりにくい。
これではそのうち仕事にも支障が出かねない。ここでその流れを断ち切りたい。
そう理由をつけた俺は、思い切っていつもの調子で尋ねてみた。
「結局、フラフニルさんの趣味って何?」
ソナは少し驚いたようにこちらを見る。
「え……」
「何が好きなの?」
ソナは軽く座り直すと肩の力を抜いたように見えた。ただの世間話だと受け取ってくれたのだろう。
引き出しから仕事のファイルを取り出しながら「ありません」と答える。
「考えたんですけど、特には」
「え、そうなの? 読書とか好きそうなのに」
ソナはやや苦い顔になった。
「勉強とか仕事の本は読みます。でも、それ以外は、特に小説とか苦手です」
正直意外だ。あまりアクティブな趣味はなさそうだと失礼ながらに思っていたが、本が苦手とは。
「あ、じゃあ、映画鑑賞」
「しないです。小説と同じで、ストーリーを追うものがだめで」
俺は腕を組んで考える。
「それじゃ、料理」
「嫌いですね。必要だからやってるだけです。掃除とか家事全般、そんな感じです」
「やってるだけ偉いけどね。でも、うーん……」
人のことは言えないが、この子は休みの日とかは一体何をしているのだろうと思う。
ショッピング、スポーツ観戦、散歩……?
いまいちしっくりこない。
「あ、美術館巡り──」
口にしかけてぞっとした。
美術館が好きなのは……入江まひろだ。
また俺は。
いや今のは、と咄嗟に頭の中で否定する。
ソナの佇まい的に美術館なんかが似合いそうだと思っただけで、まひろと結びつけようとするつもりは決して──
「芸術関連も全然興味ありません」
淡白なソナの回答が聞こえて意識が引き戻された。
「……カギモトさん?」
ソナは眉をひそめていた。
「あ……そう」
笑みを作る。
「なかなか予想を裏切るね。じゃあ」
「クイズじゃないですから、正解はないんですよ」
ソナは俺を遮って端末画面の方を向いた。
「何もないんです、本当に。勉強ばかりしてきて。趣味とか、好きなものとか、そういうものは別に」
卑下するような口調ではない。ただ事実を述べているだけに聞こえた。
「……正直だね、フラフニルさんって」
そろそろ仕事に取り掛からなければと、頭では思っていた。手では今日中に処理したい案件の書類を整理し始める。しかし質問は続けていた。
「趣味、欲しいと思う?」
「え……」
問われたことの意図を推し量ろうとするかのように、ソナは微かに首を傾げた。
なぜこんなことまで訊いているのか、自分でもよくわからない。
ただ軽い会話をして、ソナとの間の硬い空気を和らげたかった。それだけのはずだった。
「いえ、あると素敵だなとは思いますが、別に、無理に作るものでもないでしょうし」
「……」
「そういうカギモトさんは──」
ソナは言いかけて、「何でもないです」と口を閉じた。
「俺もないよ、趣味とか好きなものとか。こっちでも、元いたところでも」
ソナは黙り、何とも形容しがたい表情で「意外です」と返した。
「そう? まあ強いて言うなら、今は仕事が趣味かなぁ。残業と休日出勤ばっかり」
「ああ……」
軽い冗談のつもりが、ソナは合点がいったように俺を見て何度か頷いていた。
「でも私もそうかもしれません。休みの日も仕事のことを考えたりしますけど、それも嫌いではありません」
ソナは少しの間を空け、小さな声で「それに」と続けた。
「今は特に興味の湧くものがないだけで、そのうち本当に趣味にしたいことができるかもしれないですよね」
「確かに」
俺は首肯してみせる。
「それはあるかもね」
そろそろ本当に切り上げようと思った時、「甘い物」とソナが急に呟いた。
「最近、甘い物を食べるのが好きですね。そういえば」
美味しかったものを思い出したのか、いつもは涼やかな彼女の顔がふと綻んだ。
俺にそんな柔らかな表情を向けてくれるのは、随分久しぶりな気がした。
それだけで。
少し気分が晴れてしまう。
「……いいじゃんそれ、フラフニルさんの趣味で。スイーツ巡り」
「でも身体に良くはないので、趣味とまでは」
「カイリ」
ティーバがやや不機嫌そうに後ろからやってきた。書類の束を手にしている。
「楽しそうなところ悪いんだけど、そろそろ仕事の話をしていいか」
「もちろん、いつでも平気だよ俺は」
にこやかに答えると、「まったく」とティーバが鼻を鳴らす。ソナは「すみません」と慌てて端末に向き直った。
仕事が趣味。
自分で言ったことだが、妙に納得してもいた。
趣味は、空白を埋めるものだと思う。
この世界で俺がやれることといえば、仕事しかない。だから、隙間を塗り潰すように仕事で埋めていく。
ソナは、俺とは違う。まひろとも。
当然ながら、そういうことだ。
甘い物を食べることでもいいし、これから先、彼女が好きなことに出会い、満たされるような時間を過ごすことができればいいと勝手ながらに思う。
……ソナとの会話の目的は果たしたと言える。
彼女とは、大丈夫だ。これからも普通に接することができるだろう。
ティーバの仕事の相談に適度な相槌を打ちながら、俺はソナとの今ほどのやり取りの結果を、そう評価していた。
トレックのナナキへのお詫びシーンを書きたかったのですが、本編の方にいれる余裕がなかったので。




