探索士 ノダ・アヤセの楽しい異世界生活 3
食事を終えて店を出た。
薄い三日月が見える。
入口の邪魔にならないところで明日の待ち合わせ時間なんかについて立ち話をしていると、店の脇の方から物音がした。
たまたま店の角の方にいたあたしは音がした方を覗いた。
暗がりでしゃがんでがさがさと何かしている人がいる。まだ子どものようだ。
「ゴミ漁りだろ、関わるな」
ニコラスの囁きにはあからさまな軽蔑が込められていた。
ニコラスの言うとおり、店の脇には恐らく飲食で出たゴミの袋がいくつか置かれていた。その子供はまだ食べられそうなものを探しているようだった。
この世界は貧富の差が大きい。日本ではほぼ見かけない光景にカルチャーショックを受けることはこれまでも何度かあった。
「はいはい、見ない見ない」
ヴァンもそう言ってあたしを店の前に引き戻した。
「でもまだ小さい子なのに」
かわいそう、と正直な気持ちを呟くとニコラスが呆れ顔になった。
「同情するなよ。たかられると困るじゃねえか。変なやつ」
「育ちがいいんだろ、アヤセは」とヴァンがフォローする。
「でもニコの言うとおりだ。関わるときりがない」
2人に当然のようにそう言われてしまうと、あたしの感覚が間違っているのだと思えてくる。それが、この世界の考え方なのだ。
でもあたしは。
ヴァンの手を払い、鞄から財布を出して、男の子か女の子かもよくわからないその子に近づいて数枚のお札を差し出した。
ゴミ袋から顔を上げた子どもはびっくりしたように目を見開く。しかし警戒しているのか手は出さない。
生ゴミの匂いに顔をしかめながら、あたしは仕方なく地面にお札を置いて飛ばないように石を乗せた。
そうしてニコラス達のところに戻ると、心底呆れたような目を向けられた。
「やっぱ変」
「いいの」
あたしの中には満足感があった。
「見て見ぬふりが一番いやだから」
へえ、とニコラスが肩をすくめ、ヴァンが苦笑いしていた。
今のは本心だ。でもそれと同時に、この行動を取ることは“らしい”気がしたのだ。
この世界にきたあたしの振る舞いとして正しく“らしい”だろう。
そのまま待ち合わせの再確認をして、ニコラスとヴァンとは別れた。
2人はあたしとは別のマンスリーアパートに住んでいる。いくら仲間とはいえ異性と同じ部屋で寝泊まりするのは気が引ける。この世界ではそれも珍しいことではないらしいけれど。
あたしは2人よりも少し家賃の高いアパートを中央での生活拠点としていた。
美味しいものを食べてまた気分がいい。
まだそこまで遅い時間でもない。喫茶店でホットコーヒーをテイクアウトすることにした。
さすがにカップを片手に持ちながらの飛行は危ないので、箒のケースを肩に抱えてコーヒーを飲みつつ夜の街を歩く。飲食店の並ぶ通りは若者が多く、危ない感じもない。
なんとなく人の少ない道を通りたくなり、一本路地に入る。狭く、急に街灯が減った。
でもこんな道だって、この世界のあたしなら何の危険もない。不審者に襲われたって片手で追い払う力くらいある。
その時だ。
「──おい、ノダ」
まったく気配のないところから声がして心臓が跳ねた。
振り返ると、いつの間にか男の人が立っている。
男にしてはやや長めの黒髪に金のメッシュ。暗がりでも目立つ真っ白のスーツに金のネックレスをじゃらじゃらと鳴らし、胡散臭い笑みを浮かべていた。
この人は。
「……マツバさん」
マツバ・トオル。
魔法取締局の職員で、あたしを向こうの世界から回収した人物。
この人も日本人で、あたしと同じ被回収者だと聞いている。
こちらに来たばかりの頃は、言葉や文化などの面でも色々とお世話になった。
「わーお久しぶりです!」
あたしはマツバさんに駆け寄った。見た目は怪しげだが、とても感謝している。
「その様子だと、元気にしてたみたいだな」
「めっちゃ元気ですよ。なんでここに?」
「レンちゃんに用があってな。あとは、被回収者への定期面談」
「面談って、こんな不意打ちみたいに」
あたしは笑った。
マツバさんの力は底知れない。いつも神出鬼没だが、何かしらの方法であたしの居場所を感知しているのだと思う。魔法取締局に入れるくらいの人は、同じ被回収者でもあたしとはレベルが違うらしい。
「おまえがこっちにきて1年半くらいか」
マツバさんはだらしなくズボンのポケットに手を突っ込んだ姿勢で立っている。
「何か困ってることはないか?」
「ほんとに面談だ」とあたしはまた笑う。
それから考えてみる。
「うーん、困ったことかぁ。お金は稼げるし健康も問題ないし」
「何もなさそうだな」
「いや、そんなこともないですよ」
一切悩みのない人間だと思われるのも微妙である。元々あたしは悩み多き人間で。
不意に、さっきニコラスとヴァンと食事をしていた時に感じた空気を思い出した。
「困ったことじゃなくて、疑問、なんですけど」
「おう、なんだ」
「この国に、日本人ってどれくらいいるんですか?」
マツバさんは一瞬黙った。
「なんでそんなことを聞く」
「何となく」
答えてから「いえ」と言い直す。
「たまーに、気兼ねなく日本語話したいし、日本の話をしたい気分になることもありまして。こっちの仲間は好きだけど、やっぱり根っこが違うというか」
「ホームシックか。ちゃんとカウンセリングに行ってるってのはレンちゃんから聞いてるが」
「そういうのじゃなくて」
あたしは自分でもよくわからないながらに否定する。
「元の世界への未練とかじゃないんです。でもやっぱり、共通の話題がある人がいるとちょっと嬉しいなって。まあ、その程度のことなんですけど」
「おまえが言ってるのは日本のことをちゃんと知ってる日本人……日本人の被回収者ってことだろうが、個人情報にあたるからな、存否含めて俺からは言えねえよ」
マツバさんは肩をすくめた。
何となく予想はしていた答えだけれど、少しがっかりした。
マツバさんは日本人なのに日本語を話してくれないし、日本の話もしてくれない。甘えるな、と睨まれるだけだ。
コーヒーを飲み切り、何となく俯く。
足元は自分の足も見えないくらいに暗い。
「ノダ」
マツバさんの声に顔を上げた。
「和食風のうまい店なら教えてやるよ」
「えっ、ほんとですか? あるんですかそんなとこ」
「まあ、あくまで“風”だからな。本物じゃねえぞ」
「全然それでもいいです! 肉じゃがとかきんぴらごぼうとかありますか?」
「確かあったと思うぜ。それっぽいのな」
「わあ、行ってみたいです! どこにあるお店なんですか?」
マツバさんはあたしを暫し眺め、じゃあ今度連れてってやる、と微かに笑い、背を向けた。
「面談は終わりだ」
短く告げ、硬い靴音が遠ざかっていく。
現れるのも突然なら帰るのも唐突である。
口調は乱暴で素っ気ないが、マツバさんはやっぱり優しい。
「和食かぁ、楽しみ!」
独り言を呟きながら、あたしは箒に乗る準備をした。




