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西部遺跡管理事務所 業務日誌  作者: 青桐 臨
第三章 調査係 テーテ・ペルセウスの箒
151/166

屋上にて



§


 2日後。


 西部遺跡管理事務所の屋上。


 空は高く澄んだ水色で、うっすらと白い雲がいくつもたなびいている。


「いつでもいいぜ」


 トレックが声をかけると、テーテが小さく頷いた。

 サングラスを慎重にかけ直し、テーテはエメラルドグリーンの箒のハンドルを握り直す。  

 すうっと音もなく箒は浮かび上がった。


 中空で一瞬止まったかと思うと、矢のような速さで飛び始めた。


「わあ」とソナが横で小さく感嘆する。

 アドネさんはローブのポケットに手を突っ込んだまま、眩しそうに目を細めて空を見ていた。

「問題なさそうだな」

 道具箱を手にしたストリンドベル氏は、満足そうだ。足元には他に2台の美しい箒が置かれている。

 一切を失ったストリンドベル氏は、同業者や顧客からの支援もあり、現在は知り合いの工房で仕事をしているらしい。



 俺は。



 抜けるような青空を見ながら、今回のテーテ・ペルセウスの箒の件で自分は一体何の役に立ったのかと、そんなことを考えていた。




──結局。



 テーテはストリンドベル氏の提案を受け入れた。

 ソナの話では、最初は頑なに拒んでいたらしい。あの壊れた箒でなければだめだ、と。

 それをトレックが説得した。というよりも、「俺はもう乗れないから、特製箒はテーテに乗ってほしい」と、そういう趣旨のことを伝えたらしい。

 トレックのことだからそれは説得の言葉ではなく、本心だったのだと思う。

 それが彼女に響いたのかどうかは知らない。

 何を考えているのか俺にはわからないままだし、別にどうでもいい。 


 テーテは器用に宙返りをして、まだ飛び続けていた。

 腕時計を見る。


 ──先に下に戻るか。

 

 ストリンドベル氏の特製箒は3つあり、テーテが試運転をしてそのうちの1つを選ぶことになっていた。トレックに誘われたので見学しに来たが、俺が見る必要もないことだ。他にやることはいくらでもある。


「カギモトさん」

 ソナがそっと近くに寄ってきた。

「ん、何? 俺、もう下に戻ろうかなって」

「あ、じゃあ、私も……」

「このあと、ストリンドベルさんと書面のやり取りあるでしょ? トレックと一緒にいた方がいいと思うけど」

「……」

 ソナは迷うように口を閉じ、飛行を続けるテーテにちらりと視線を向け、またこちらに戻す。

「私、どうしても、カギモトさんに伝えたいことがあって……」

 自分の中の警戒心が跳ね上がる。

「それは……仕事の話?」

「はい。まあ、そうです」

 ソナはやや自信なさそうに頷いた。

「……テーテさんのことです。テーテさんが、どうしてカギモトさんとはお話をしないのかということについてです」

 思い詰めた顔のソナを前に、困った気分で頭を掻いた。

「それは、別にどうでもいいかな。聞いたところで、特に何も変わらないと思うよ」

「余計なお世話だとは、思ってます」

 不意にソナは強い瞳を向けた。屋上に吹く風で、一つに束ねた蜂蜜色の髪が揺れている。

「でも私は、テーテさんから聞きました。テーテさんからカギモトさんには伝えられないので、私が代わりに。テーテさんから許可ももらってます」

「……」

 正直、聞きたくはなかった。

 先にソナに伝えたとおり、別にどうでもいいことだ。テーテにどんな事情があろうとも、俺とテーテとの間に対話が存在しないことに変わりはないし、無理に変える必要もない。今後は──極力関わらないようにするだけだと考えていたのだ。

 とはいえ、仕事に関係ないとも強く主張できず、拒絶できるほどのもっともらしい理由が咄嗟には思い浮かばない。


 ──なら聞き流せばいい。


 また“適当にあしらわている”などと言われないよう、ソナ・フラフニル相手にはうまくやる必要があるが。


 「じゃあ聞こうかな」とソナを促した。

 ソナは屋上の端の方に移動する。

 遠くの山がよく見えた。


「テーテさんの学生時代のお話です」とソナは控え目に語り始めた。

「テーテさん、元はトレックさんと同じ学校だったようですが、お引越しに伴って転校したんです」

「ああ、それは聞いたよ。トレックから」

 その相槌にソナは頷き、話を続ける。

 どことは言わなかったが、転校先は北部にある私立の学校だったようだ。その頃にはテーテの目の病気が急速に進行していたらしい。

 問題が起きたのは、その転校先でのことだという。


「教育理念として、“平等”を強く掲げる校風のようで、比較的新しくて、私もよく知らない学校なのですが」


 “平等”。

 しかも北部ときた。

 嫌な響きに胸がざわつき、否応なしにフー・ミンチェンと『アーテヌ』を思い出す。


 ……ソナの話に集中しよう。


 その校風から、当該の学校は以前から“杖無し”も積極的に受け入れているところらしい。先進的といえるだろう。


「テーテさんは非魔力保持者の方がうまく認識できませんから」とソナは目を伏せた。

「気がつかず無視するようになってしまうことが何度かあったようです。テーテさんの目のことはもちろん周知されてはいましたが、そのテーテさんの態度を“非魔力保持者の方への差別だ”と指摘する生徒の方がいたらしくて」

「……」

「それに同調する生徒の方も多かったみたいで、厳しく非難されて、テーテさん……かなり辛い思いをしたそうです」

 それが理由になっていいとは思いませんが、とソナは重々しく前置く。

「非魔力保持者の方を前にすると、どう接していいのかわからなくなってしまう、と言ってました」

 テーテはいつの間にか着陸していて、トレック経由でストリンドベル氏と箒の話をしているようだ。アドネさんも入っている。

「カギモトさんがいつも丁寧に優しく話しかけてくれるのはわかってます、と。それでも、体が言うことを聞かなくなるのだと、それがとても申し訳ないと……そう言ってました」


 ソナが明かしたテーテの話に、嘘や誇張はないと思った。

 テーテはその転校先で本当に酷い思いをしたのだろう。

 恐らくだが、“杖無し”と接すること自体が、当時の嫌な記憶を引き出すトリガーになっているのかもしれない。

 であれば、俺を前にすると反射的に言葉が出なくなるのも、理解はできるというものだ。

 それで溜飲が下がるわけではないが。

 それに心の問題があるのなら、改善も簡単ではないだろう。テーテにはカウンセリングをお勧めしたいが、結局のところ俺とは距離を取るというのが現実的な正解だと思う。


 さて、ソナには何と返すべきか。


「それは大変だったんだね」とソナを見ると、まだ話し終わってはいないというように、硬い面持ちをしていた。

「今の話で」

 ソナはゆっくりと口を開く。

「カギモトさんが何かに納得したとは思ってません。ただ情報として受け取ったのかなって、そう思ってます。なので別に、それらしい返事は、なくてもいいです」

 一段深く理解されていることに、再び警戒心が湧き上がる。

 笑みは崩さない。

「……そう思ってて、どうして俺に今の話をしたの。意味なくない?」

 ソナは僅かに顔を歪める。

 息を吸い、決意したように薄灰色の瞳で俺を見た。

「私はさっきみたいに、カギモトさんに、周りの人のことを……“どうでもいい”って切り捨ててほしくないんです」


 そう来るとは思わなかった。

 が、他人とどんな距離の取り方をしようと俺の自由だ。とやかく言われる筋合いはない。

 そう言いたいが、言わない。

 ソナ・フラフニルには。

 俺の一番見せたくない部分を晒してしまった相手には。

 今後俺がどううまく取り繕っても、ソナ・フラフニルの中には“軽蔑しないでくれ”と弱々しく訴えた俺の姿があるだろう。

 彼女がそれを他人に知らせることはないと確信はしている。彼女は優しいから。

 あれは“なかったこと”として扱う暗黙の了解がなされたのだと思っている。

 しかし。

 あの事実は俺にとっての汚点であり脅威でしかない。

 これからはより一層、彼女に慎重に接さなければならない。


「そんなふうに感じた? 切り捨てるとかそんなつもりは全然ないんだけどね、気をつけるよ」

「……」

「でもほら、ここは職場だし、仕事しに来てるだけだし、切り捨てるとか捨てないとか、少し次元が違う話じゃない? 仕事上問題なければ何でもいいと思うけどね、俺は」

 言い過ぎな気もしたが、同じ話をされないためにも牽制しておく必要もあった。

「あ、ほら、トレック達終わったみたいだ」

 話題を変えるように指をさす。本当に試運転を終えたようで、片付け始めていた。

「──あ、カギモト!」

 トレックがこちらに気がついたらしい。ずかずかとやってくる。

「おまえまた隙あらばソナさんと2人でこそこそ話しやがって」

「はは、内緒話してたんだ」

「このやろう」と悪態つきながらも、トレックの表情は明るい。

「やっぱテーテの飛行はすげえよな。良い箒だとさらにすげえ」

 ソナは俺を一瞥し、それからトレックに頷いた。

「そうですね」

「うん、きれいだったよ」と俺も言っておく。

 自分が褒められたかのようにトレックは笑い、アドネさんの後を箒を抱えてちょこちょこついていくテーテの方に顔を向けた。


「けっこう気まずかったんだ、あいつと。あいつは活躍してるのに俺は……って思うこともあって。でも今回の件で、何かそういうのなくなったっぽい」

「雑にまとめたな」

「結果オーライだろ。ほら、下戻ろうぜ」


 屋上には日差しがたっぷりと降り注いでいる。

 快活なトレックに連れられるように、階段室の入口に向かってソナの後ろを歩いた。


 トレックにとって良かったことだったのなら、今回の件は確かに結果オーライなのだろう。

 そう思えば自分も少し満足した気分になれた。

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