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西部遺跡管理事務所 業務日誌  作者: 青桐 臨
第三章 調査係 テーテ・ペルセウスの箒
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懇願


 ソナは先の係長と似たような、良いとも悪いともつかない表情のまま、ただじっとこちらを見ている。

 資料室の灯りは今日も不安定そうに時々瞬いていた。


「急に大きい声出して驚かせたよね。本当に悪かったと思ってる」

「……」

 もちろん、単に謝るだけではだめだ。理由も伝えなければならない。

「あの時落とした、君が拾おうとしたやつ、あれ……吐き気止めの薬なんだ」

「吐き気止め……」

 ソナは僅かに目を見開いた。

 白状するとね、と軽い感じで明かす。

「こないだ俺吐いたでしょ? あれから時々気持ち悪くなることがあるんだ。まあ本当に吐くことは滅多にないんだけど、お守り的な感じで薬を持ち歩いてる。それだけ」

「……」

「でもそれを人に知られるのって恥ずかしくて、それで、拾われたくなくて思わず……」

 少し言葉を切り、控え目に微笑んで見せた。

「だからフラフニルさんには何の落ち度もなくて、完全に、100%俺が悪いです。本当にごめん」


 もう一度、深く頭を下げた。


 ──これで、済んだだろう。


 説明するべきことは伝えた。本当は言いたくもない薬を持ち歩く理由も正直に告げたし、これで誠意を尽くしたと言えるはずだ。


 しかし顔を上げると、ソナは口を閉じ、薄灰色の瞳でじっと俺を見つめている。

 元々きつい目元がさらにきつくなっている。

「ふ……フラフニルさん?」

 沈黙続き、怖くなってきた。

「あの、何か言ってくれないかな」

 ソナは僅かに首を横に振って、俯いた。

「どういうこと?」

「今説明された内容は、理解しました。でも……」

「でも?」

 ソナはぐっと強い眼差しを向けた。

「……納得はいきません。適当にあしらわているみたいな気がします」

「え、そんなこと」 

「私……頼ってほしいとか、そんなことまで思いません。でも」

 ソナはいつもそうするように、必死に言葉を選んでいるようだ。

「抱えきれなくなったら、あの時みたいに吐いたりする前に、少しでも伝えてくれたらなって、そう思ってるんです。それらしい説明だけで済まそうとするのは、何というか、私は」

「──わかった!」

 思わず手を前に出してその先を止めようとした。

「わかったよ、わかったから」

「……何がわかったんですか」

 ソナの口調は硬く、こちらも僅かに身構える。

「えっと。もっとちゃんと、みんなに事前に相談するようにするよ、なるべく。……そういうことでしょ?」

 わざとずらした受け答えをしているのはわかっていた。

 ソナの目に、落胆と悲しみの色が見て取れた。

「そう……ですね」

 そういうことです、とソナは呟く。

「すみませんでした。偉そうな口をきいて」

「え、いや、フラフニルさんが謝ることじゃ……」

 

 再びの静寂。

 やがてソナは口を開く。

「体は大事ですから……無理はしないでください」

 そう言うと、浅く頭を下げた。


 何かを踏み間違えた。

 そんな気がしていた。

 いや、俺はあえて踏み間違えている。

 ……別にそれでいい。

 これが俺にとっての他人との適切な距離で、日常を円滑に過ごしていくにはそれで十分だ。俺はそう遠くないうちにこの世界からいなくなるのだから。


 ソナは俯いてしゃがみ込む。

 再び箱の中の資料に手を伸ばす。


 ……ソナ・フラフニルはただの同僚でしかない。


 数カ月前に新人職員としてソナが配属された時、何の因縁があるのか彼女は“杖無し”を酷く憎んでいて、教育係の俺に対しても一貫して冷たい態度で、ぎくしゃくした時も何度かあった。

 でも、結果的に彼女は俺と対等でありたいと、そう言ってくれた。

 この世界で、そんな言葉をはっきりと向けられたのは初めてで、救われたような気分になったのは確かで、そんなソナが隣の席にいて過ごす日々は、少し楽しくもある。

 けれども、彼女の優しさやまっすぐさは怖い時もあり、時々深く踏み込んでくる彼女の前では──カギモト・カイリという人間が揺らいでしまうこともあった。


 とてもよくないことだと思っていた。


 今が本当にぎりぎりのラインだ。越えれば、後悔なんて生易しいものじゃ済まなくなる。

 だから、今回の彼女とのやり取りは、あれで正しい。


 わかっているのに。

 こんなにも足元がぐらつくのは。


 ソナとの間に、見えない何かが閉じていくような気がして。


「あ……」


 言いようのない焦燥感に駆られた。


「ふ、フラフニルさん」

 ソナが僅かに顔を上げる。

「あの……」

 さっきと違って、声が震えて掠れた。

「本当に、ご、ごめん……」 

「謝っていただくのはもう」

「ちがう」と一歩近づく。足元にあった箱の角に躓きそうになった。

「俺……薬のこと、本当に、恥ずかしくて、誰にも知られたくなかった。君にも……」

 感情を剥き出しにする必要なんてないのに、うまく制御できない。カギモト・カイリらしくなくてみっともない。

 でもとにかく何かに急き立てられていた。


「俺のこと、許さなくてもいいから。でも──」


 唾を飲み込む。


 その先は言いたくない。

 絶対に他人に向けて言葉にしたくない。 


 でも、どうしてか、彼女には。

  

 埃の積もった足元を見つめて絞り出す。


「俺を……弱い人間だって、け、軽蔑しないでほしくて……」


 心臓が痛いほどに脈打っている。

 言ってしまった。


 これはただの……惨めな懇願だ。


 この世界で、俺の信じる自分自身を、誰かにも認めてもらおうなんて虫が良すぎる話だ。俺のことをどう思おうが、ソナの自由なのに。

 顔を見ることができない。

 癖になったように、どう言い繕うべきかを急いで考える。


「えっと、すごい情けないこと言ったね今。ちょっと自分でも信じられないっていうか……言われても、困るよね」

 ごめん、と口が勝手に動く。笑えているのかもよくわからない。落ち着かなくて、下を見ながら首の後ろをがしがしと掻いていた。


 沈黙。

 この沈黙をどううまくはぐらかせばいいのか。

 頭が働かない。俺は、焦っている。


「どうして」

 ソナの呟きに体が強張った。

「私がカギモトさんを軽蔑するなんて、そんなこと、思うんですか」

「……だ」

  一瞬詰まり、考える。

「だって、薬を持ち歩かないと安心できないとか……格好悪くない?」

「それって、カギモトさんが、薬を持ち歩いている人をそういう風に思ってるってことですか。私の母もいつも持ってますよ」

「そうじゃなくて──」  

 反論しようと視線を上げると、再び立ち上がっていたソナと、正面から目が合った。

 その瞳はひどく悲しそうに翳っている。

「私は……カギモトさんが弱いなんて思ってないです。尊敬してます。前にも言いました。それは変わってません」

「……」

「同じ高さに立ちたいって、そう思ってるのに。さっきみたいに、突き放されるような態度は……寂しいです」

 ソナはローブの袖を握り締めている。

「でも今みたいに、少しでも気持ちを教えてくれたら」


 嬉しいんです、とソナは言った。


 緊張に頬を紅潮させながら、それでも目をそらさず、俺と対等でありたいと言ってくれたあの時と同じように。


「あ……」


 ソナの言葉が、胸の奥に落ちて、じんわりと染み込んでいく。

 くすぐったくなるような温かさと抉られるような痛みを伴って、もうこれは、どう誤魔化してもなかったことにはできないのだと感じていた。


 踏み込まれたら、踏み込ませたら、形式的な関係でいられなくなる。


 それだけでは足りなくなる。

 もっと理解してほしくて、肯定してほしくて、寄りかかりたくなる。


 ──引き返せなくなる。


 僅かに後ずさりしていた。

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