ちゃんと謝る
こちらも踵を返して階段室に戻ろうとすると、扉の前でナナキが書類を手に立っていた。
「あ、カギモトさん」
遠慮がちにナナキが微笑む。その表情の意味を考えようとしてしまう。
「……俺がちゃんとやれるか見に来たとか?」
「えっ?」
ナナキは目を丸くした。
「ちがいますよ。ルドン係長に用事があって」
随分と卑屈なことを言ってしまった。
「あ、そう。ごめん、何でもない」
テーテにとりあえず説明はしたから、と笑顔で告げ、ナナキの横を通り過ぎて階段室へと入った。
階段を降りていく。
気分はもちろん悪くなっていた。しかし薬には頼りたくない。
──ソナはそろそろ帰って来るだろうか。
さっさと謝って、肩の荷を早く手放したいものだ。
§
執務室に戻ると、そのソナがいた。
俺が3階にいる間に、ストリンドベル氏のいる病院から帰ってきたらしい。
ティーバと並び、上着を片手にゴシュ係長に報告をしている様子だ。
その後ろをそろそろと通って自分の席に戻る。座って、端末の画面をつけ、途中で放っていた机上の書類を整理する。
「あの時は怒鳴ってごめん」と謝るだけだ。「君は何も悪くない」と。
あれは本当に俺が悪いのだから、謝ることは何も難しいことではない。
社会人なのだ。謝罪は慣れている。
何度か頭のなかでそう言い聞かせているうちに、ソナが席に戻ってきた。
目が合うとソナは浅く頭を下げ、上着を足元の棚にしまうと静かに椅子に座った。
「お疲れだね」
普段どおりに話しかける。
「大丈夫だった? ストリンドベルさん」
一瞬こちらを見て固まったソナだが、はい、と小さく頷いた。
「……火傷は大したことなくて、念のため一日入院してましたが、今日退院するそうです」
それはよかった、と相槌を打つ。
「君のお母さんも」
やや食い気味に続けてしまった。
「えっと、大丈夫だったのかな」
「はい。家の中で転んで頭を打ってしまったようで。でも、大丈夫です。ご心配おかけしました」
「あ……いや、それはよかったね。というか何というか」
何だろう。
ソナは丁寧だが、言葉の端々が冷たく感じられる。
有り体にいうならよそよそしい態度。
少し理不尽だ、と思ってしまった。
彼女だって初めの頃は、俺に対してかなりきつく当たっていた。それでも俺は辛抱強く──
いや……今それを持ち出すのは間違っているだろう。そういうことではない。何を回りくどいことをしているのか。
さっさと謝ればいいのだと考えていたばかりではないか。引き延ばすほどに変なわだかまりができてしまう。
「あのさフラフニルさ──」
向けられる薄灰色の瞳が冷たくて言葉を呑み込んだ。
「何でしょうか」
「え。えっと……」
「カギモトくん」
係長に呼ばれて「あ、はい」と反射的に立ち上がる。
ちょっと、と手招きするのを見て、ソナには何も言わずに係長の席へと向かった。
以前、彼女に対してもっとスマートに謝罪ができた。当然できるはずだ。そのはずなのに、どうして今回はすんなりと言葉が出てこないのか。
「──テーテさんには?」
目の前の係長に問われ、はっとする。
「あ、説明はしましたよ」
「どうだった?」
「どう……」
テーテの様子を思い浮かべる。
「特に反応はいつもどおりというか。でもアドネさんも聞いてましたし、伝わってはいると思いますよ。また何かあれば報告するということで終わりました」
そう、と係長は頷いた。汚い机を前にして腕を組み、良いとも悪いともつかない顔をしていた。
「嫌な役引き受けてもらって悪かったね」
「いえ……」
「ソナさんとは?」と今度は係長は声をひそめた。
「えっと、はい、これから謝罪しようかと」
「僕も入ろうか?」
「いえ、大丈夫です。自分がやったことなので」
ありがとうございます、と礼を告げる。
係長はどこか案ずるような、微かな笑みを浮かべた。
「……君なら大丈夫だと思ってるけど、何かあったら遠慮せず言ってね」
頭を下げ、係長の前から辞す。
戻ると席にソナはいなかった。
「あれ、フラフニルさんは?」
辺りを見回し、端末画面を見つめていたティーバに尋ねる。
「地下の資料室」
ティーバは眼鏡の位置を直して短く答えた。
「今回の件のことで、調べ物に行ってくれてる」
続けて箒がどうこうとティーバが話していたが、聞き流していた。
謝る絶好のチャンスだろう。何だかんだ執務室だと周りの目も気になってしまうので、資料室はちょうどよい。
「俺も行ってくる」とティーバの話を遮っていた。
「……カイリ」
「ん?」
ティーバは呼び止めておきながら少し躊躇うように口を閉じた。
「え、何」
「今日、移動中に彼女と少し話した。あまり僕が言うのはよくないかもしれないけど、カイリは、あの子に謝った方がいい。ちゃんと」
「……わかってる。そのつもりだよ」
苦笑いで答えた。
行き違いになると困るので、足早に地下へと向かう。
薄暗い廊下。資料室の扉は少し空いているようで、光がうっすらと廊下に漏れていた。
驚かせるといけないので、軽く扉をノックしてみる。
「はい」と小さい声が中から返ってきた。
息を吸う。
「あの、俺だけど」
資料室に入ると、ソナは床に置かれた文書箱の中を漁っているところだった。
こちらを見て、ソナは顔を強張らせる。
その反応に自分も少しだけ怯むが、ただ必要な謝罪を尽くすだけなのだから、何も気負うことはない。
「仕事中にごめん。でも俺、この間のこと、フラフニルさんに謝りたくて」
「……」
ソナは立ち上がった。
「あの時は、君のこと怒鳴りつけて、本当にごめん」
俺は誠心誠意、心を込めて、深く頭を下げた。




