予約
何か、ひやりとしたものが自分の中を駆け抜けた。
最初は渋っていたトレックに、やれる範囲でできることはしたいと言って箒の件を引き受けたのは俺だ。それでいて、テーテの箒が直せないと聞いた途端、業務が減ることに安堵し、喜んですらいる……
「──あれ?」と首を傾げていた。
「どうかしましたか? カギモトさん」
ナナキの声が耳を素通りしかけたが、適当に返事をした。
俺は一体何をやっているのか。
何をどうしたいのか、何だか自分でもよくわからない。
わからないが……総務係が3人も外に出た。今の職場は手薄だ。自分は残った他の職員とともに、日常業務を回さなければならない。あまり余計なことは考えない方がいい。
電話を取り、窓口の対応をして、細々とした日々の処理をこなしていく。
探索士からの申請書類を睨むように読んでいると、窓口からぱたぱたと足音を立ててシンゼルさんがやってきた。
「カギモトくん、いいかしら。窓口にカギモトくんとお話したいって子が来てるのよぉ」
「子?」
窓口の方に目をやると、見覚えのある素朴な身なりの少年が立っていた。短い癖毛に、意志の強そうな瞳。
あれは……探索士を目指す少年、リケだ。
窓口に出ると、リケ少年は満面の笑みになった。
「“杖無し”の兄ちゃん!」
「リケさん。お久しぶりです」
リケと会うのは例のアレス遺跡事件……クルベ通りでの事件以来である。
「もしかして、試験の申し込みですか」
「うん! やっと準備ができたんだ」
クルベ通りでの出来事のせいで生活拠点が壊滅的に破壊されたリケは、当初受ける予定だった探索士試験の受験ができなかった。
リケに申込用紙を渡そうとしてふと思い出す。
「代筆しますか?」
「いや、簡単な文字ぐらいは覚えたんだ」と得意げに答え、リケはペンを取って一生懸命に記入し始める。
「今日はねえちゃんは休みなのか?」
ソナのことだ。
「今出掛けてるんです。リケさんのこと気にしてたから、良かったです」
リケは再び嬉しそうに微笑むが、ふと視線を下げた。
「……ドードーの兄ちゃんはまだ戻ってこれないんだよな」
「詳しいことはこちらもわからないんですが……たぶん、まだしばらくはかかるかと」
探索士ドードー。
クルベ通りの孤児たちから慕われていた彼は、アレス遺跡の特殊遺物に操られ、クルベ通りで暴走を起こした末、現在キィト所長の研究室で治療を受けている。
「そっか……。でも俺は俺のこと頑張らないとな」
そうですね、と申込用紙を受け取り、不備がないことを確かめる。
「でもやっぱ、魔法取締局ってかっこいいな」
不意にリケが独り言のように言った。
「魔法取締局? ……そうですか?」
真っ先にマツバ・トオルの顔が浮かぶので、思わず否定的な声色になってしまう。
「だってあの時、クルベ通りでドードーの兄ちゃんを止めたのが魔法取締局だろ? すげえよな。俺も学校とか行けるんならな、ちょっとなってみたい」
子供らしく無邪気そうに語る。
クルベ通りでの事件は、一応は自分とソナ、そしてヘルベティアで事態を収めたのか事実だが……特殊遺物を表に出したくないうちの本部と魔法取締局が協働して、一帯の目撃者達の記憶を改変した。
その結果、生活に困窮した探索士がやけになって起こした暴走を魔法取締局が解決した、という話に塗り替わっていた。
リケもまた、あの時の記憶が操作されているのだろう。恐ろしいことだ。
「たぶん、探索士からの登用もありますよ」
「そうなのか。まあ、まずは探索士に受かってからだよな」
照れたように笑う姿に、思わずこちらも笑顔になる。
「ありがとな、“杖無し”のにいちゃん。ねえちゃんにもよろしく」
「はい、伝えます」
リケは元気よく去っていった。
素直なリケとのやり取りに、少しだけ心洗われるような気がした。
人のためになることはしたいし、感謝されれば嬉しい。俺は、他人の不幸を喜ぶような人間ではない。
気分良く席に戻り、面倒で後回しにしようと思っていたレンさんへの電話を勢いに任せてすることにした。
直通電話にかけるとしばらくコールして、繋がった。
〈──はい、レン・ファーレン〉
「カギモトです」
名乗った途端、レンさんが小さく息を呑んだのがわかった。
〈あ……カギモトさん? そっちから掛けてくるなんてびっくりしたわよ〉
「仕事中なんで手短に」
昨日届いたレンさんからの手紙を出して眺める。
「予約しますよ、カウンセリング。来週末はどこか空いてますか」
電話口でレンさんは暫し黙った。
「レンさん?」
〈……いえ、連絡ありがとう。来週末なら大丈夫よ。じゃあ午前中、10時でどう?〉
問題ありませんと答える。
〈ねえカギモトさん〉
「はい」
〈くれぐれも、ドタキャンはなしよ〉
釘を刺すようなレンさんの言葉に思わず笑いが漏れた。
「そんなことするわけないじゃないですか」
〈……まあ、いいわ。それじゃあ当日よろしく〉
こちらこそ、と言って電話を切った。
斜め向かいから、ナナキの何とも言えない視線を感じた。
「ん、どうかした?」
「いえ」とナナキは言い淀む。
「聞き耳立ててたわけじゃないんですけど聞こえちゃって。ついに行くんですか、カウンセリング。ちょっと意外で。ずっと嫌がってましたよね」
「行かないよ、もちろん」
即答するとナナキがきょとんとする。
「いい加減しつこいからさ。少しあの人黙らせたくて」
「そう……ですか」
ナナキは曖昧に頷き、自分の仕事に戻る。
思うところはあるが踏み込まない。まさしくそんな態度だ。
適切な距離。
それをこそ、この職場で俺は求めている。ティーバなんかは時々お節介が過ぎる時があるが、基本的に総務係は皆このスタンスである。だから総務係は、居心地がいい。
そのはずなのだが。
ちょうど、昼休みを告げるチャイムが鳴り始めた。




