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西部遺跡管理事務所 業務日誌  作者: 青桐 臨
第三章 調査係 テーテ・ペルセウスの箒
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係長 ゴシュ・テルライド


「係長……」


 誰かはいるかもしれないとは、少し思っていた。

 それがソナでもティーバでもトレックでもナナキでも、たぶんシンゼルさんでもセヴィンさんでも、俺はへらへらと笑って取り繕おうとしただろう。

 しかし、ゴシュ係長が待っているとは思わなかった。いや、係長も執務室にいたのだから、さっきの出来事は見ていたのだろう。それなら係長が様子を見に来て当然といえば当然か。

 強張っていた体の力が変な具合に抜けた気がした。


「総務係を代表してってことでね」 と係長はいつもどおり暑そうに袖をまくり、顔の汗を拭いている。

 トイレを出たところで突っ立ったままでいると、係長の方から近づいてきた。

「気分転換に外で話そうか」と執務室ではなく、通用口でもなく、同じ廊下にある非常口の方に向かう。

 係長は上司だ。上司の指示だ。

 重たい足取りでついていく。

 

 非常口から外に出ると、非常用の外階段が屋上まで伸びている。係長はその階段を数段上って腰を下ろした。それだけの動作でまた噴き出たらしい汗を拭う。

 自分は座らず、係長より下の方で錆の浮いた手すりにもたれるようにして立っていた。

 何となく見上げると、雲の多い夜の空だった。


「僕はちょうどいいんだけどね、カギモトくん寒くない?」

「いえ……平気です」

 外の空気は澄んでいて、今の気分にも悪いということはなかった。

「さっきのことだけどね」

 係長はいつもの早口で話し始める。

「君があんなふうに職場で声を荒らげるのはちょっと、びっくりしたよ」

「……すみませんでした」

「いや、それだけ君が切羽詰まってたのかなって」

 係長は苦笑いを浮かべる。

「悪かったね。いちおう係の長にいながら、そういうことに事前に気がつけなくて」

「係長は別に。俺の……問題です」

 本当ならね、と係長が続ける。

「少し休んだら、と言いたいところではある。カギモトくんの有休消化率、一番悪いし」

「仕事、溜まってるんです。それに俺、休みを取ったところで、やりたいこともやれることも、ほとんどないので」

 家族も友人もいない、気軽にひとりで外を出歩くことすら憚られる。

 結果的に、仕事をしている方が精神衛生上良いとすらいえる。

 そっか、と係長は頷いた。こちらの返答をわかっていたような反応だ。

「ソナさんから少し聞いた。調査係の箒の修理、自腹でやろうと思ってるって?」

 ソナが係長に伝えるのは当然の判断だろう。

 でも少し、ソナに見限られたような気もした。

「ちょっと、考えてただけです。トレックにもまだ相談してません」

「悪いけど僕は反対だよ」

 あっさりと係長が言った。

「……どうしてですか?」

 係長は座って突き出た腹に組んだ手を乗せている。

「僕は自分の部下にそんな乱暴な仕事の仕方はしてほしくない」

 はっきりとした口調だ。

「乱暴、ですか」

「君は自分が身を削れば万事解決すると思ってるんじゃないかな? 僕も似たような時期があったから何となくわかるけど、その思考はよくない。癖になると、もっとよくない。最後は何でもそれで済ませばいいって考えるようになる」

「身を削るとか……そんな大げさなことでは」

 金に執着はない。

 大金を使っても、身を削るというような感覚ではない。

「大げさに思えないならそれこそ僕は心配だよ。カギモトくん、君は」

 係長は言葉を切り、少し考えるように黙った。

「別に答えなくていいからね。ただ僕は君が、うちに……この世界にいつまでもいるつもりはないんだって、そういうふうに見える時がある」

「……」

「それもひとつの考えで、カギモトくんの自由だと思う。でも、だからって、今ここにいる自分を無下に扱ってもいいってわけじゃない」

 係長の言葉が、深いところに染み入ってくる。寄りかかりたくなるくらいの温かさがあって、同時にそれが、怖くもあった。

「そんなつもりはないんですけど」

 係長に背を見せるように外を向き、階段の手すりを握り締めた。

 事務所の裏手は街灯が少ない。魔導車のライトが時折行き交うのが見える。

「……でも、係長が行けって言ったんじゃないですか、工房。俺はフラフニルさんとトレックに任せてもいいと思ってたのに。関わるから結局責任も感じてしまって、どうやったら修理できるかって、色々考えてしまって」

 そんな、拗ねた子どもみたいなことを言ってしまう。

「それもごめん」と係長は謝罪する。

「正直君の負担をあまり考えてなかった。これは言い訳だけど、カギモトくんはいつも何でも上手くやってくれるから、僕もつい頼っちゃうんだよね」

 ほんと申し訳ない、と係長は再び頭を下げた。

 部下に何の躊躇いもなく頭を垂れる係長を見ると、こちらが申し訳なくなってくる。

「いえ、係長にはいつも気を遣っていただいてます。すみません、八つ当たりみたいなこと言って」

 係長は顔を上げ、笑った。

「いやいや、さっきの件も含めて、カギモトくんにもそういうところがあるんだなって知れたよ」

 手すりを掴んで立ち上がり、係長はいつもよりゆっくりとした口調になる。

「若いから、無理もきくよね。多少の無理ならしたっていいと僕は思ってる。でも今、君は少し大変そうだ。箒の件も他の仕事も、カギモトくんひとりで抱えなくていいから、みんなで考えてやろうよ。そのための係だから」

 珍しくトレックくんも頑張ってるし、と係長は冗談めかした。

「ルドン係長にも、修理には時間がかかるし場合によっては直せないって僕から言っておくから。調査係も仲間内で協力し合ってくれってね」


 調査係のルドン係長とは、きっと一悶着あるだろうと容易に想像できてしまった。

 ゴシュ係長は、自分の部下を大事にしすぎるところがある。言ったことはやり遂げようとするだろう。

   

 わかりました、と頷いた。


 そう答えながらも、手すりを掴んだまま体はなかなか動かない。

「職場の空気……大丈夫ですかね」

「大丈夫大丈夫」

 階段を降りながら間髪入れずに係長が答える。 

「僕の部下はね、君含めだけど、そう簡単にはどうもならないよ」

 やはり、部下びいきが過ぎるのではないだろうか。

 係長は非常口の扉の前で「ただね」と足を止めた。

「ソナさんには、君からもフォローしておいてくれるかな」

 怯えた目をしたソナを思い出すと、胸の奥の方がちりちりと痛む。

「新人さんだし、教育係の君にさ、あんなふうに怒鳴られたらやっぱりちょっと、ね」

「……」

 俺が執務室を出たあと、ソナはどんな様子だったのか、知りたかった。でも、聞けない。

 係長はこちらを振り返る。

「ソナさんは、どうして君に怒鳴られたのか、理由はわかってなかったみたいだよ。僕は君が理不尽に怒るとは思えないけど、ちゃんと2人で話せるかな。必要なら僕も入るから、言ってね」

「……はい」

 持ち歩いているの薬は市販の容器そのままだ。

 だからソナには、あの時拾おうとしたものが薬だとわかったはずだ。わかったけれど係長には伝えなかったのか。それとも、よく見ていなかったのか。

 彼女には一度嘔吐したところを見られている。あれが吐き気止めの薬だとわかれば、一時的な体調不良ではなかったと気づかれてしまう。

 たとえ市販薬でも、薬を常に持ち歩いている人間だと……薬に頼るような人間だと思われるのは、耐え難いことだ。表面的には平気そうな顔をしているのだから、なおさら滑稽だ。

 でもそれが、彼女を怒鳴りつけていい理由になるわけがない。


「じゃあ、それそろ戻ろうかな」

 係長は非常口の取手に手を掛けた。  

「君は、もう少しここにいるかい? 落ち着いてからでもいいよ」

「いえ、戻ります」

 後始末は早い方がいい。

 引き延ばすほどに、皆は出来事の意味や俺の状態について憶測を立ててしまうかもしれない。場を乱したことをすぐに謝って、影響は最小限に留めたい。


 廊下は短い。執務室まではあっという間だ。

 係長はさっさと執務室に入っていく。

 頭の中で謝罪までの流れをイメージしてから少し遅れて中に入ると、「係長」とナナキがゴシュ係長に駆け寄っていた。ただならない様子だ。

「どうしたの?」

「ソナさんが」とナナキが懸案そうに伝える。


 見ればソナ・フラフニルの姿は執務室にはなかった。鞄や上着なども机周りにないから先に帰ったのだろうが、机の上が少し乱れたままなのは彼女らしくなくて、妙にざわついた。


 何かあったのだろうか。

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