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西部遺跡管理事務所 業務日誌  作者: 青桐 臨
第三章 調査係 テーテ・ペルセウスの箒
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カギモト・カイリの怒声


 ティーバもナナキも作業机の方にいる。トレックが2人を手伝っていた。まだ席に戻ってくる様子はない。

 

「それは……カギモトさんが修理代をテーテさんに貸すってことですか?」

 少し考えるように首を傾げた後、ソナはそう尋ねてきた。

「いや、そういうことじゃないよ」

「じゃあカギモトさんが自腹で負担するってことですか」とソナは眉間に皺を寄せた。

「その方が早く済むでしょ。それにこう見えて俺けっこう貯金あるんだ。あ、みんなには内緒だからね」

 笑わないだろうとはわかっていながらも軽口を挟んでしまう。案の定ソナは笑わず、真面目な会議の出席者のような顔をしている。

「カギモトさんが自費で払うのをどう思うかと……そういうご相談ですね」

「うん。ちなみにだけど、個人的な修理ってことで勤務時間外に依頼とかするつもりだし、ルール的には特に問題ないはず」

「……確かにその方が早く修理を手配できるので、そういう意味ではいいのかもしれません」

 ですが、とソナは膝の上で拳を軽く握り、やや非難めいた目を向けてくる。

「カギモトさんが一人で負担するのはおかしいと思います」

「あ……そう?」

 真正面からソナにおかしいと言われ、少したじろいだ。

「いや、もちろんテーテが払ってくれるのが一番いいとは思うけどね」

 ソナは俯き小声になる。

「テーテさんは……事情があってあまり金銭的な余裕がないと、さっき帰りに聞きました」 

「でしょ? だから」

「でも個人で負担する額じゃないと思います。テーテさんにお願いされたわけでもないんですよね」

「テーテの重荷みたいになるってこと? 予算がついたとか適当に言って、総務係で手配したってことにすればいいよ。テーテには誰が払ったとか言わないでさ」

 ソナは一瞬こちらの顔を見つめ、小さく首を横に振った。

「言い方がよくないとは思いますが」と目を伏せ、言葉を選ぶようにゆっくりと告げる。

「カギモトさんがお金を出すっていうのは、その場しのぎなんじゃないかなって……私には、そう見えます」

 どきりとした。

「これから先も、壊れることがあるかもしれないじゃないですか。やっぱり早く直してほしいってなりますよね。その時またカギモトさんが払うんですか。カギモトさんじゃなくても、他の誰かが」

「それは、その時じゃない? とりあえず今回は……」

 まさにその言葉こそ、その場しのぎで済まそうという俺の考えの表れだ。

 それに気づいて先を飲み込むと、ソナが遠慮気味に口を開く。

「私は、時間がかかっても、申請してみるのがいいような気がします。それでもし予算が通ればそれが実績になって、今後同じように壊れたときも対応しやすくなるんじゃないでしょうか」


 ソナ・フラフニルは先を見ている。

 彼女にそんなつもりはないだろうが、「おまえは今をやり過ごすことしか考えていない」と突きつけられているような気がした。


「でも」

 それでも笑みを浮かべながら反論してみる。

「申請が通る可能性は低い。それなら最初から割り切って自腹でやったほうが無駄がないと思うけど」

「無駄……」

 ソナは口の中で呟くようにした。

「それを無駄だと、私は思いませんが」

「無駄だって」

 ソナの言葉に被せるように言う。

「できることはさっさと終わらせていかないと回らなくなる。俺たちはやるべきことで日々手一杯だから」

 手は、自分の机の上に積まれた仕事の書類を示していた。

 自分が損するだけで大きく手間が減るのならそれでいい。

 それに金銭的な損なら、俺にとっては大した損ではない。

 つまり、俺が身銭を切ることにメリットはあっても、デメリットはほとんどないということだ。


 ──そうだろう?


「カギモトさん……?」

 ソナがじっとこちらを見ている。その視線は、居心地が悪い。

「早く直すのが最善だ」

 繰り返す。

「テーテだってそう思ってるよ。直りさえすれば金の出どころなんて……俺が払ったって気にもしないだろ」

 どうせ、と何かに追い立てられるように口走っていた。

「あいつ俺のことは空気みたいにしか思ってないんだし」

 言って、すぐに後悔が押し寄せる。


 この世界に来てどれほど自信を失くしても、惨めでも、自分自身を卑下するような言葉は決して吐かないと、そう決めていたはずだった。


 ソナは薄灰の瞳を見開いて固まっている。

 反応に窮しているのは明らかだった。

 よくわかる。相手の自虐ほど返事に困るものはない。

 フォローの言葉が頭には浮かぶ。でも口からは出てこない。

 どう言い繕っても、大人げなくてみっともない。

 どうしてこの子の前だと、うまくいかない時があるのか。

 そもそも俺は、何を求めてソナに相談しようと思ったのだろうか。

 思考がまとまらない。

 ……まずい。気持ち悪くなってきた。


「どうした、カイリ」

 いつの間にかティーバが席に戻ってきていた。

「2人で何の話? 深刻そうな顔して」

「仕事の話だよ。もちろん」

 ソナより早く答える。答えながら、ポケットの中の吐き気止めの薬を探す。無い。

 少し焦って全部のポケットを忙しなく探る。

「カイリ?」

 ティーバの声色は怪訝そうだ。

 返事もできず、ようやく、コートのポケットに入れっぱなしだと思い出す。

 立ち上がって椅子の背に掛けてあったコートを取ると、その拍子にポケットから薬のケースが転がり出た。

 あっと思う前に、それは灰色のカーペットで弾んで隣席のソナの足元で止まる。

 気づいたソナは椅子に座ったまま身を屈めて手を伸ばした。


 ──瞬間。


 様々な感情が噴出した。

 よくわからない、冷たくどろりとしてどす黒いものだ。

 ただの吐き気止めだ。おかしくない。やましいことなどない。 

 なのに。


 ソナの指先がケースに届きそうになって。


「──触るなっ!!」


 びくりとソナが身を震わせた。

 同時に、いくつもの視線が自分に集まるのを感じた。顔を上げ、総務係のフロアを見回す。

 係長も、ティーバも、ナナキも、シンゼルさんも、セヴィンさんも、トレックも……

 まるで奇妙なものを見るような目。

 そんな風に俺には見えてしまって。

「あ──」

 頭が真っ白になる。

「あ、その……」

 それでも薬を直ちに回収せよと命じられたように、体が動く。

 周りからの視線を意識の外に排する。

 ソナが拾いそうになったそれを引ったくるように掴み上げた。

 俺を見るソナは青褪め、怯えた顔で、

「ご……ごめんなさい……」

 声がか細く震えていた。

 彼女は何も悪くない。


 他人に対して節度ある態度が取れなくなったら、その時俺は本当に終わりだと──


 突如、胃がねじ切れるような感覚に襲われた。

「う……」

 薬のケースを握り締めたまま廊下の方へと駆けた。

 誰かに名前を呼ばれた気がしたが、よくわからない。

 そのまま廊下に出てトイレに飛び込んだ。

 たぶん誰もいない。

 個室に閉じこもり、耐え難い吐き気を堪える。

 しばらく亀のようにじっとして呼吸を繰り返し、やがて、何とか収まった。

 震える手でハンカチを出し、額にじっとりと浮かんだ脂汗を拭う。

 手洗場の方に出た。

 冷たい水で手と顔を洗い、うがいをする。

 鏡に映る自分の顔は、紙のように真っ白だった。


「これじゃ、だめだ……」


──ここは北部じゃないのに。


 唯一の居場所とも思えるここですら、このざまだ。


 吐き気止めを手のひらに出して飲み込もうとして……やめた。ケースに戻す。

 頬を何度か両手で挟むように叩いてみる。少しだけ、血色が戻ったように見えなくもない。


 ──みんなにどう思われただろう。


 執務室に戻ったときの総務係の反応を、ソナの顔を想像すると、また胃がざわりとしてくる。

 いや、と固く目を閉じた。


 体調が悪かっただけだと取り繕うことくらいできる。できなきゃ困る。


 瞼を開ける。

 いつものカギモト・カイリがいる。

  何があっても、俺の芯の部分が損なわれることはない。

 そのはずだ。でも今は少し、自信がない。

 さらに何度かうがいをして、薄暗い廊下に出た。

 すぐに人影が視界に入ってぎょっとする。


 ゴシュ係長が壁に背をもたれるようにして立っていた。

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