箒職人 ストリンドベル氏
ソナが横を飛び、こちらを気にしてくれているのを感じる。
あまり無様な姿を後輩に見せたくはない。
が、怖いものは怖い。
手が白くなるほど手すりを固く握り、腰は引けていて、目は開けていられなかった。
テーテはもちろん飛行中も何も言わない。
ただ、ティーバの運転よりもずっと揺れが少ないのはわかる。
これが元飛行競技選手で現調査係エースの飛行技術なのか……と感心する余裕は当然ながらなかった。
「そろそろです」
ソナは箒につけられたナビゲーターを確認しているらしい。
同じ西部地区だからそれほど遠くないのは助かった。
工房近くの空き地に着陸し、箒から降りると膝の力ががくりと抜けてよろけた。
ソナが寄ってきた。
「だ、大丈夫ですか、カギモトさん」
「大変お恥ずかしい限りで」とハンカチで冷や汗を拭きながら軽口で返し、箒を畳むテーテを見やる。
「テーテ、乗せてくれてありがとう。帰りはトレックとトラムで帰るつもりだから」
「……」
テーテはサングラスをかけ直すだけで、返事はない。
無視しているわけではない、とソナは言って、確かにそれはわかるのだが、少し虚しくなる。
「とりあえず、行きましょうか」
場を取りなすようにソナが道を先導し始めた。
西部のリマ地区というのは、箒などの道具や雑貨関係の工房が多い地区である。製作された品を売る土産物屋なんかも立ち並んでいて、観光客らしい人々がちらほら歩いている。
路地の奥、あまり目立たないようにしてストリンドベル氏の箒工房はあった。
道路に面した窓から中を覗いてみるが人の姿はない。
コートを脱いで扉を開けると、鐘がからんと音を立てた。
あまり広くはない店内に、何本もの独特なデザインの箒が掛けられている。他に客はいない。
壁には他に、恐らく飛行競技の選手らしき人達のサインが、色褪せたものから真新しいものまでいくつも飾られていた。
なんとなしに製品の箒を眺め、その値札を見て軽く引く。職場の備品の箒より桁が1つどころか2つ違う。ソナも同じように驚いている様子である。
ややあって、「いらっしゃい」と嗄れた声で店の奥出てきたのは、小柄で白髪のご老人だった。小さい丸眼鏡、作業着の上にくすんで汚れたエプロンをしている姿がしっくりきている。
「あの、ストリンドベルさんですか?」
とりあえず自分が口火を切る。
「お忙しいところすみません。西部遺跡管理事務所から参ったんですが、こちらにトレックという職員は来ていますか」
「ああん?」とご老人はいきなり攻撃的だ。
「遺跡管理事務所だと。あんたらか、あの坊主が呼んだのは」
「ええと……恐らく、はい。箒の修理の見積もりの件でご説明に」
「あの箒!」
ご老人は声を上げる。
「俺の丹精込めて作った箒を真っ二つに折りやがって。あいつ、一体どんな手荒な使い方をしてやがる。今な、あの坊主に扱い方をみっちり教え込んでるところだ。……だが筋は悪くない」
「……」
どうやらこの人がストリンドベル氏で間違いはないようだ。
気が立っているようだが、ひとまずいつものように笑みを作ってみせた。
「それには少し誤解がありまして、ご説明をさせていただきたいのですが」
「ああん? なんだにいさん、あんた、非魔力保持者だな?」
丸眼鏡の位置を直しながらストリンドベル氏がこちらを鋭く見上げる。
「あ、はい」
「悪いがここには、というかこの世界にあんたに扱える箒はないぞ。……その落ち着いた面構えは箒乗り向きだがな」
「え? ええと……そういう話ではなく」
けなされてるのか褒められてるのかよくわかない。妙にまごついてしまい、何だか自分らしくもない。
「あの折れた箒ですが」
ソナが一歩前に出た。俺は口を閉じる。
「こちらのテーテさんの箒なんです」
ストリンドベル氏はソナが示した方をじろりと見た。
ソナの後ろで黙って佇むテーテ・ペルセウスに気がつくと、「む」と小さく声を漏らした。
「んん? 何か見たことあるな、嬢ちゃん」
丸眼鏡を額まで上げてテーテに近づきじろじろと眺め回す。テーテは箒のケースを握り締めて何か言いたそうに口を僅かに開け閉めしているが、声は出ていない。
それからはっと何かに気づいた様子で、遠慮気味にサングラスを外して素顔を晒した。
あまり明るくない店の灯りにも眩しそうに青緑色の瞳をすがめる。
「テーテさんが3年ほど前にこちらで特注で作ってもらったものだそうです。飛行競技用で。覚えていらっしゃいますか」
テーテの代わりに説明するソナの言葉を聞いて、記憶を辿るように首をひねっていたストリンドベル氏だが、ようやく「ああ」とすっきりしたような声を出した。
「思い出した! 確かにあの箒、この嬢ちゃんに作ったな。全国大会に出るってんで、気合入れたやつだ」
というか、特注の品なら顧客リストなど作っていないのだろうか。そんなに思い入れがある箒ならもっとしっかり覚えていてほしいものである。
すっかりソナに話を任せて背景と化しながらそんなことを考えていた。
ソナは説明を続ける。
「それで、職務中に誤ってテーテさんが壊してしまったんです。トレックさんではありません」
「職務中?」
ストリンドベル氏は顔つきを険しくした。
「けしからん。俺の作品をどんな乱暴な仕事に使ってやがる」
「遺跡管理事務所の調査係です」
ソナは臆せず答えた。
「危険な仕事なんです。それで、えっと」
そこで言葉を切り、ソナはテーテに耳打ちするように話しかける。なぜ壊れたかまではまだ聴取していなかったからだろう。
テーテの唇がほんの僅かに動いて見えた。
「遺跡の」とソナはまるで通訳だ。
「遺跡の罠に対処する際に壊してしまったと……いうことのようです」
テーテがソナに顔を寄せてさらに何かを伝えている。
「テーテさんにとって、とても大切な箒なので、どうしても直していただく必要がある、と」
「遺跡管理事務所の調査係……」
ストリンドベル氏は腕を組んで今聞いたことをじっと考え込んでいる。
しばらく沈黙が訪れた。
ソナと視線を交わすが、ソナも少し困惑している。
やがてストリンドベル氏は、「あの時の嬢ちゃんが遺跡調査の係にねえ」と感慨深げに何度か頷いた。
それから孫でも見るような優しげな瞳でテーテ見る。
「あの大会は残念だったなあ、嬢ちゃん。俺も自分の箒が出るからって会場まで見に行ったんだが」
その懐かしむような言葉に──テーテがさっと俯いた。
3年前の大会で何があったのかは知らない。だが、テーテにとっては良い思い出ではないようだ。
「ストリンドベルさん」
背景から脱して話題を中断させる。
「あの、誤解は解けたかなと思うんで、とりあえずあの箒の修理の見積もりをしていただきたいのですが」
「見積もり……ああ」と急に現実に戻されたような顔をしてストリンドベル氏は頷いた。
「そういう話なら、わかった。遺跡での仕事ならまあ、折れることもあるかもしれんな」
ほっとする。
「それと……トレックはどちらに?」
尋ねると、一瞬わからないというように目を瞬くストリンドベル氏。
「水色の髪の」と付け加えると思い出したらしい。忘れられていなくて良かった。
こっちだ、と踵を返して店の奥へと歩いていく。
とりあえず着いて行けばいいのだろう。
テーテはまだ箒のケースの肩紐を握り締めたまま強張った表情で立ち尽くしていて、その様子を隣で心配そうにソナが見ている。
「俺が連れてくるから、2人は待ってて」
ソナはテーテに寄り添うようにして、「お願いします」と答えた。




