第12話 階段室にて
改行等一部修正しました。
古びた照明の頼りない明かりの中。
階段室で足を止めたカギモトは、「屋上は別にいいか」と独り言のように呟いてから、くるりとソナに振り返った。
「──どうだった?」
ソナは少し驚いた。
カギモトにしては、と思うのもおかしいかもしれないが、随分とぼんやりした問いに聞こえた。
ソナは少し考える。
「……あまり職員の方には会えませんでしたが、それぞれの係の特色や雰囲気が感じられました」
これは特に脚色もない正直な気持ちだった。
「そう」と満足そうにカギモトは微笑んだ。
そのあと続く言葉が何かあるのかと思ったが、カギモトはふっと表情を真顔に戻すと、黙ったまま。しかし下に降りようとするでもない。
何かを考えるように、無機質な薄灰色の壁に目をやっている。
ソナは勝手に下に降りていいのかもわからず立ち尽くす。
ややあって、「あのさ」とカギモトがソナを見た。
急に向けられたまっすぐな視線が受け止められず、ソナは目を逸らす。カギモトの背後の壁についた、染みのような汚れを眺めることにした。
「俺がフラフニルさんを他の係に連れて行ったのは、もちろん顔合わせっていうのが主な目的なんだけど」
「……」
「俺が、この職場でどんな風に扱われているのかを知ってほしかった、っていうのもある。この職場には、俺に肯定的な人と否定的な人、両方がいるから」
ソナは微かにどきりとした。
カギモトの口振りに深刻さはない。
「わかってたと思うけど、俺は、魔力無し……いわゆる“杖無し”だよ。そんな人間がどうして君の教育係にって、驚いたと思うけど」
ソナは頷きも否定もせず、ただカギモトが何を言うのかを聞いていた。
「申し訳ないんだけど、俺も理由は聞かされてないんだ。ただの所長の気まぐれかもしれない。気まぐれでそういうことをしかねないんだよね、あの人」
冗談っぽく言われたカギモトの言葉だが、カギモト自身も正確な事情を知らないことにソナは軽く衝撃を受けた。
あのキィトという男がいっそう胡散臭く、適当な人間に思えてくる。
「それでも俺も、3年目だし実務経験はある。教育係としてしっかりやりたい、とは思ってる。でも」
いつの間にか、ソナはカギモトを正面から見ていた。
階段室の弱々しい明かりが、カギモトの少し笑ったような表情に陰影をつける。
「“杖無し”を心の底から嫌っている人がいることはよく理解してる。もし君が今の環境を不満に思っていても、俺はそれを否定しない」
「……」
「だから、無理とかしないで、何かあれば言ってほしい。何を言われても平気だからさ、俺は」
カギモトの言葉に卑屈さはなく、あるのは確かな誠実さだった。
それはソナにも十分すぎるほどに感じられた。
しかし、そうであっても。
──だからこそ。
ソナは冷めた目をカギモトに向けた。
拒絶の態度を隠しもしない相手に対して、こうも誠実そうに振る舞えるとは。
この“杖無し”は一体何を企んでいる?
例えば、ソナが教育係を変えてほしいと申し出たとして。
この人の良さそうな顔をした男は“、杖無し”であることを理由に不当な扱いを受けたと訴えたりするのではないだろうか。
ソナのような新人を陥れても何のメリットも無いだろうが、“杖無し”は何をするかわからない。
自分の立場を良くするためなら何でもするかもしれない。
“僕を助けてくれるんでしょ?
と、世界中の不幸を背負い込んだような顔をして、図々しくも言い放った男を思い出す。
どろりとした不快な感情が湧き上がる。
「言いにくかったら、ゴシュ係長とかナナキとかに言ってくれてもいいからね」
沈黙するソナにカギモトが付け加える。
そんな配慮も、わざとらしく思えてしまう。
カギモト・カイリという人間は、その優しさの裏に何を隠している?
ソナは無意識に髪を結ぶ髪紐に手を伸ばし、その編み目に触れた。
それを知るまでは、この男が吐く優しげな言葉に迂闊に乗ってはいけないだろう。
だから。
「……大丈夫です」
低い声でそう答えたソナを、カギモトは何ともいえない顔で見つめていた。
やがて、「そっか」と呟く。
「それならいいんだ」
柔らかく微笑むカギモトを見ると、ソナは言いようのない苛立ちを感じてしまう。
それはどうにも抑えられなかった。




