宿の夕食
「やあ、遅かったね」
1階にいる職員に場所を尋ねて休憩室に行くと、キィト所長はけろりとした顔でベッドから身を起こしていた。
何か文句を言いたいのに何から言えばいいか定まらず、結局黙ってベッドの近くに行く。
学校の保健室のような簡易的なベッドとその周りにカーテン、ひとつの窓があるだけの部屋だ。
今は所長と自分しかいない。
「……とりあえず、大丈夫そうで良かったですね」
「うん。でもヘルベティアがひどいんだよ」
所長は鼻を鳴らす。
「いや、きっかけはフーさんなのかな。でもとにかく、あんなに貴重な遺物がたくさんあるところで魔法を放とうとするなんて許されないよね。それで止めようとしたら、腹にどかんと」
……魔法を食らったらしい。
そして、ヘルベティアを止めようとした理由に呆れる。他人や自分の身よりも遺物の方が大事とは。いや、さすがは所長と言うべきか。
「──で、ヘルベティアは? ティーバくんも」
「ヘルベティアが飛び出して行ってしまって、ティーバが追いかけてます。あいつなら大丈夫だと思いますが……。とりあえず僕たちは宿の方に戻ろうかと」
「そうだねえ、そろそろ夜ご飯だしねえ」
所長はベッドから降りてもつれた銀髪の頭をぼりぼりとを掻いた。
腹に魔法をくらっても食欲の方は大丈夫らしい。
「フーさんはどんな感じ? 怒ってる?」
「ひとまず大丈夫ですよ。改めて謝罪はしないといけませんが」
「面倒だねえ」と呟き、眠そうな青い瞳がふと俺を見る。
「なんだか顔色が悪いんじゃないかな、君」
「……少し、寒気がします」
正直に言うと、
「ええ? 風邪かい?」
僕にうつさないでくれたまえよ、と非常に迷惑そうな顔をして、所長は部屋を出ていく。
抱えていたコートを羽織り、所長について行った。
1階の職員に軽く挨拶をして、ようやく北部遺跡管理事務所を出た。
夜になると、やはり気温が低い。
コートの前を合わせ、吹き付ける風に首をすくめる。
事務所から宿までは徒歩圏内だ。しかし、ティーバ頼りで一度歩いただけの道を、自分が覚えているはずもない。
鞄から地図を出し、辺りを見回し、今自分たちが何通りにいるのか確認をする。
「こう行って、こう行って……ここで曲がる感じだったかな」
「カギモトくん、そもそも地図の向きがおかしくないかい」
いつものことだ。
結局地図を読むのは所長に任せてついていく。
北部は西部より栄えている分、道も広く車通りも多くて賑やかだ。
そんな通りから一本路地に入ったところを少し行くと、街灯にも紛れそうなほどの淡く輝く光が近づいてくるのに気がついた。
空から舞い降りてくる伝心蝶で、所長の手へと優雅に降りた。
「ん、ティーバくんからだね」
所長が伝心蝶を広げた。
路地の端に寄り、一緒に覗き込む。
伝心蝶によれば。
ティーバはヘルベティアと合流して彼女を宥め、夕食は外で2人で取ってから宿に戻る、とのことだった。
内容はティーバらしく簡潔で淡白で、実際にどんなやり取りが2人の間で交わされたのかは欠片も読み取れない。
まあ、結果的には大丈夫だったということだ。
「良かった良かった」
所長は呑気そうに頷いて伝心蝶を消す。
「じゃあ僕たちも宿で夜ご飯だね」
§
夕食のため宿内の食堂に向かい、まずはティーバとソナの分の食事はキャンセルすることを詫びた。
そして自分と所長の分の夕食券を見せると、年輩のスタッフはやや戸惑ったように告げた。
「お食事はお部屋にお運びします」
その言葉に軽く首を傾げる。
スタッフの後方の食堂では既に食事を取っている客も数組いて、食欲をそそる良い香りが温かな空気とともに漂っていた。
「夕食は食堂で、と聞いていますが」
スタッフは「オーナーが」と言いにくそうに口を開く。
「食堂は他のお客様もご利用されますので、と」
「……」
「申し訳ありません。オーナーはあの……保守的な人でして。お客様は、ほら、その……」
ごにょごにょとしたスタッフの言葉を聞いて察する。
“杖無し”と同じ空間にさせたくないという、他の客に対するオーナーの気遣いだということだ。
かつては公共交通機関も宿泊施設もその他諸々も、“杖無し”はそれ以外の人々から隔離されていたと聞く。その頃に比べれば、同じ建物に滞在させてもらえるだけ恵まれていると思うべきだろう。
「わかりました。それで結構です」
笑顔で伝え、「え、僕もかい?」と不満そうな所長を無視して部屋へと戻る。
所長はどちらでも好きにすればいい。
所長に部屋の鍵を渡して別れ、ティーバとの相部屋に入る。
コートを脱ぎ捨て鞄を投げ捨て、ループタイを外して灯りもつけずにまたベッドに倒れ込んだ。
脚の付け根に違和感がある。
ズボンのポケットにあるフー所長のカードだ。
何となしに取り出し、うつ伏せのまま眺める。
カードは薄暗い部屋の中でも微かに冷たい光を放つ。
──希望を見ることすら許されないと思っているからではありませんか。
フー所長の笑顔を思い出し……忌々しさが胸に広がる。
自分の気持ちを、さもわかっているかのように他人に代弁されるのは、不愉快だ。
しかし……『アーテヌ』。
気にしておいた方がいいだろう。
遺跡管理事務所の管理職の地位にあるフー・ミンチェンが所属している。また、国立の図書館をその活動に利用しているということは、それなりの立場の人々がそれなりの規模を持って集まった組織の可能性がある。
今後、どんな形で関わることになるかもわからない。魔法取締局のマツバにも情報を聞いておこう。
「……寒い」
ふと呟きが漏れる。
体の奥底から冷えるような悪寒がする。
本当に風邪でも引いたのかもしれない。そういえば飛行魔導車に乗っていた時から何となく頭痛もしていた。
カードを再びポケットにしまい布団にもぐっていると、そのうちノックの音がした。
「夕食をお持ちしました」
声からして恐らく、先程の宿のスタッフだろう。
食事はきちんと取らなければならない。
億劫ながらも体を起こして扉を開ける。
やはり食堂にいた年輩のスタッフだった。遠慮がちに食事に載ったトレイを渡される。
「わざわざありがとうございます」
にこやかに言うと、困ったように頭を下げて去っていった。
その背を見送り、扉を閉じようとすると「カギモトくん」と呼ばれた。
所長が同じトレイを持って廊下から顔を覗かせていた。
「食堂行かなかったんですか」
「慣れない土地でひとりの食事というのも味気ないからねえ、部屋に入れてくれるかな」
「でもここのテーブル狭いし、椅子はひとつしか……」
僕は構わないよ、と勝手に扉を押し開けて部屋に入ってきた。




