フー・ミンチェンとの対話
親近感すら湧きそうな“東洋系”のフー所長であるが、どうもあまりいい感じがしない。
いつも胸ポケットに入れているペンを偽装した護身道具──警備棒らしい武器の存在をさりげなく確かめておく。使うようなことにはならないと思うが。
「──あの」
先に口火を切る。
「うちの職員が、大変申し訳ありませんでした。あなたがたに対してヘルベティアは魔法を発動したんですよね。許されないことです」
フー所長に頭を深く下げた。
「お怪我とかされたり、壊れたものとかありませんか。うちの上司とも相談しますが、補償の方を」
「大丈夫ですよ、ご覧の通り特に被害はありません。ほら、他の職員が見にも来ないでしょう?」
フー所長は部屋の中に視線を巡らせる。
「部屋にも遺物のケースにも強い防御・防音結界が付されていますから。それに、私もアルも怪我はありません」
「それは」
よかったです、と心から言う。
賠償事案は厄介で長期間に渡ることが多い。仕事が増えなくて本当に良かった。
一度息をつき、フー所長の細面を見上げる。
あまりこの人と長話をしたいわけではないが、最低限事情くらいは聞くべきだろう。
「ヘルベティアと何があったのか伺っても?」
「別に大したことは」とフー所長は少し歩き、ガラスケースに置かれた黒い小箱を手に取った。
「これが、北部で発見された例の特殊遺物です」
ぎくりとした。
特殊遺物は危険だ。あまり近づきたいと思わない。
「そんな顔しなくても、この箱にはきつい結界が張られてるので大丈夫ですよ」
「はあ……」
「キィト所長とヘルベティアさんに見てもらったんですが、やはり古代文明のもので間違いないようです。それで、キィト所長がしばらくお借りして研究したいと仰って」
図々しくも借りて帰るつもりだったらしい。この特殊遺物を持って移動するなんて、嫌すぎる。
「お貸しするのは構わないのですが、研究結果をこちらにも教えてほしいと申しましたら、ヘルベティアさんがそれは一族の秘密だから一切できない、と」
フー所長の顔が僅かに曇る。
それでさっきの「琥珀の民は情報等を独占する」云々の話になったということのようだ。
「──癪に障りますよね」
「え?」
まるで「今日はいい天気ですね」と気軽に同意を求めるような口調だった。
フー所長はどこか忌々しそうにも思える表情で、特殊遺物の箱を見つめている。
「ただ昔から存在している。それだけでその民族や民族の知識文化に一層の価値があるなんて、おかしいと思いません? 本来、人や民族の間に優劣などないのに」
「えっ……と」
「迫害されてきた歴史には同情はしますが、それを逆手に取って特権階級になろうとするのは──浅ましいことです」
これは何か、俺の思想を問われているのだろうか。
よくわからないという顔をして黙っていると、フー所長は遺物の箱をガラスの上に戻してにこりと微笑みかけてきた。
「失礼を承知でお聞きしますが、カギモトさんは、非魔力保持者の方ですね?」
「……そうですけど」
なるほど、とフー所長はなぜか感慨深げに何度か頷いている。
「非魔力保持者でありながら、国家公務員でもいらっしゃると」
少し間を開けて、「まあ」と濁した返事をした。
「もちろん学校は出られてるんですよね? どちらの学校を? ああそれと、ご両親はどういったご職業を?」
「……」
なんだこいつは。
「あの、僕の話は別に」
「いやあ素晴らしいことですよ」
細い目を少し見開くようにしてフー所長は俺を見た。あの侮蔑でも好意でもない、何とも言えない目だ。
「あなたのような人こそまさに、平等を体現していると言える」
ああ。
その言葉を聞いて悟る。
フー・ミンチェンという男は、そっちのタイプの人間だ。
たまにいる。
俺のような“杖無し”──自立した生活を送ろうとする“杖無し”を、まるで自分の思想の象徴かのように祀り上げたがる類の人間……あるいは集団。
──平等派。
そう言えば聞こえはいいが、俺からすれば、強い思想を他人に押し付けてくる点でノイマン達とそう変わりはない。
「いくら平等法が施行されているといっても、あなたのように先を切り拓く者がいなければ、単に先進を気取る国のお飾りの看板に過ぎませんよね」
「あの、僕はそんなたいそうな者では」
話が長引きそうだ。仕事に何の関係もない。愛想笑いを浮かべて腕時計を確認する。
「そろそろうちの所長の様子を見に……」
「──苦難の道でしょう」
フー所長は痛みに耐えるような表情で厳かに告げた。
遺物保管室の中の静謐な灯りに照らされるこの男は、どこか敬虔な信者のようにも見えてくる。
「魔力を持たずに日の当たるところ行こうとするのは、他者と対等に渡り歩こうとするのは、針の筵にいるようなものではありませんか?」
「……」
「あの琥珀の民の姫と同僚というのも、かなりのご負担でしょうね。キィト所長は何を考えていらっしゃるのか」
半ば無意識にポケットの護身道具に手を触れつつ、口元には笑みを作る。
「幸い、今の職場には恵まれていると思ってるので」
「それは素晴らしい」
笑顔で言いながらフー所長は、ですが、と続ける。
「所詮公務員ですから。いつその環境が変わるともわからないですよね」
そんなこと、おまえに言われなくてもわかっている。
内心で毒づきながら、情けなく笑う。
「それはあまり……言ってほしくないですね」
ああ、本当にそろそろ切り上げなければ。
「あの、ご迷惑おかけして本当に申し訳ありませんでした」
早口に告げる。
「またご連絡しますから、本日のところはこれで」
「カギモトさん」
急ぎ出ようとする俺の背に、フー所長は鷹揚に呼びかけた。
まだ何かあるのかと振り返ると、手を差し出してくる。その手にはカードらしきもの。天井からの光を受けてちらりと白く輝く。
名刺だろうか。
社会人らしく反射的に両手で受け取ってしまう。
白く薄い、紙ではない素材の硬いカード。
そこにはフー所長の名前ではなく、本をモチーフにしたような青色の図柄が描かれていた。
「『アーテヌ』。知を極め真の平等を求める私共の組織です」
「……」
「ぜひ一度集会にいらしてください。西部でもやっておりますから」
フー所長の声は静かな部屋によく響く。
「そちらを国立の図書館の梟に見せていただければご案内いたします。ああ、集会といっても別に胡散臭くはないですよ。本など読みながら意見を交わし合うような場です」
フー所長は三日月のように目を細め、口端をつり上げた。
「私が思うに、あなたに今の立場は相応しくありません」
「僕は……何者かになりたいとか、特別な立場を得たいとか、特にないです」
カードを見ながら呟いていた。
「ただ誰かになるべく頼らずに、自分の力で普通に生活したい。それだけです」
謙虚ですね、とフー所長は満足そうに微笑んだ。
「ですが、多くを望まないのは、あなたが闇の中にいるから。希望を見ることすら許されないと思っているからではありませんか」
──闇の中。
自分の中の何か大切な部分がじわじわと、冷たいものに浸されていくような気分だ。
嫌な感覚が蘇ってくる。
──冷たく重たい、海の底にいるような。
忘れていた寒気を思い出す。
「『アーテヌ』でならばきっと、カギモトさんは希望を見出すことができる。そう思いますよ」
いつでもお待ちしております、とフー・ミンチェンは優雅に一礼をした。
何も言えず、曖昧な笑みだけを返す。
怪しげなカードを今さら突き返せるわけもなく。
半端に頭を下げ、「休憩室は1階ですよ」という親切な声を背に聞きながら遺物保管室を逃げるように出た。




