琥珀の民の姫
フー所長の前には冷たく輝く青色の結界。彼の羽織る紫のローブの後ろで、アルブレヒトが震えていた。
人にも建物にも被害らしい被害は見受けられないが。
「は──」
事故。器物損壊。人身傷害。損害賠償。始末書。懲戒処分──
頭の中を不吉な単語が一瞬で駆け巡る。
ヘルベティア。お前は一体、
「なにを」
「ヘルベティア!」
ティーバが駆け寄りヘルベティアの腕を掴み上げる。
「自分が何してるのかわかってるのか」
「だってティーバ様!」
涙目のヘルベティアが反対の手でフー所長を指さした。
「そいつ……そいつがあたしを、琥珀の民を侮辱した!」
「侮辱と受け取られるとは心外です。そんなつもりはなかったのですが」
指を向けられたフー所長の表情は涼し気だ。そして目を細めてこちらを見る。
「お騒がせして申し訳ありませんね。琥珀の民の姫様と少し、見解の相違があったようでして」
「違う! おまえがあたし達を金の亡者だと」
「そうは言っていませんよ。あ、キィト所長は気を失ってるだけなので、とりあえずご心配いらないかと。ヘルベティアさんを止めようとしてくれたんですけれど」
倒れたキィト所長の元へ向かう俺に、フー所長が告げた。
石張りの冷たい床にうつ伏せになっているキィト所長の目は、固く閉じられている……が、息はしている。怪我もなさそうだ。顔色も悪くはない。
フー所長を疑ったわけではないが、確かに気を失っているだけのようだ。
ともかくひとまずは安心した。
「許さない」
ヘルベティアが低く唸った。
「おまえのところに我が一族の宝なんて預けておけない。遺物を返せ!」
「だからそういうところですよ」
フー所長は困ったように肩をすくめた。
「皆に有用な知識や遺物を琥珀の民だけで抱え込み、地位や財産と引き換えに情報を勿体ぶって開示するというのは、少々アコギなやりかたではないかなと思うんですよね。──ああ、あくまで個人の意見です。組織としての見解ではありませんので」
後半はヘルベティア以外のこの場の人間に向けての弁明のようだ。
「まあともかく、遺物は発見された遺跡の管轄の遺跡管理事務所で管理することになっていますから。所有権を主張するのであれば、正式に書面でお願いいたしますね」
ヘルベティアが歯を食いしばる。
「どこまでも馬鹿にして……っ」
ティーバが押さえるヘルベティアの手に、黄金色の光が集まっていく。室内が明るく照らし出される。
金は──古代魔法の色。
ヘルベティアは今は杖を持っていない。それでも、この事務所を軽く破壊してしまうくらいの威力はあるだろう。冷や汗が滲む。
所長を抱えながらの逃げ道を無意識に探していた。
「やめろヘルベティア!」
必死に制止するティーバの声は、金の瞳をぎらつかせるヘルベティアには届いていないようだ。
ヘルベティアがティーバを突き飛ばす。
魔法が発動してしまう。
「くそっ」
ティーバが悪態をつく声。
同時に、ばちんっと破裂するような高い音。
ヘルベティアが小さく呻き──腕を押さえてよろめいた。
ティーバの魔法だ。
魔力の残滓は“杖無し”の自分には見えないが、ティーバが魔法を即時発動をしたのは何となくわかった。
ヘルベティアの金の魔力の光は急速に萎んでいく。
「──ごめん」
ティーバはすぐにヘルベティアを支え、その顔を覗き込んだ。
「落ち着くんだ、ヘルベティア」
ヘルベティアは呆けたようにティーバを見る。その声がか細く震えた。
「ティーバ様なんで、あたし……間違ってない……」
「ヘルベティア、君は……」
「あたしは!」
言いかけるティーバを再び押しのけて身を離す。
肩で息をするようにして、ヘルベティアはぎろりと辺りを睨んだ。
「……っ」
何も言わず、唇を噛み締め踵を返すと、部屋を飛び出していった。
床を打つヒールの音が忙しなく遠ざかっていく。
「ティーバ!」
立ち尽くしているティーバを強く呼ぶ。
「あいつを追いかけた方がいい!」
「でも……」
ティーバはヘルベティアの消えた方とこちらとを交互に見る。
「こっちは俺が話をする。ヘルベティアが外でも問題起こしたら困る。あいつはおまえにしか頼めない」
ティーバは唇を結んで頷くと、すぐに駆け出していった。
その足音も聞こえなくなり──部屋には俺とフー所長、アルブレヒトが残された。
固まった空気を砕くように「アル」とフー所長が呼ぶと、背後でへたり込んでいたアルブレヒトがびくりとした。
「キィト所長を休憩室に運んであげてもらえますか」
「あ……は、はい……」
「あ、いやそれは僕が」
キィト所長を抱えようとする。
「いやいや、運搬魔法でやれば楽ですから。──アル?」
「は、はいっ」
アルブレヒトは立ち上がり、キィト所長に運搬魔法をかけると軽々と担ぎ上げた。
「あと、他の職員にも心配ないと伝えておくんだよ。戻りが遅いと思ってるだろうから」
まだ怯えた顔をしながらも頷き、アルブレヒトは意識のないキィト所長とともに部屋を出ていった。
そうして、フー・ミンチェンと向き合うこととなった。
つい先ほど、関わらないことを強く願っていた相手だ。
遺物保管室に、何とも言えない静寂が訪れた。




