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カギモト・カイリの休日の過ごし方 3/4


 車にしばらく乗せられ連れてこられたのは、所謂「和風」の店だった。この世界に日本人は少ない方だが、こういう店もちゃんとあるらしい。

 ドラマなどに出てくる料亭のような建物ではあるが、畳風のカーペットが敷かれた個室に案内された。店員も着物ではなく洋服である。

 なんだかちぐはぐだ。

「ま、料理は悪くないんだよ」

 マツバは座布団風のクッションにどっかりと座りながら、彼にしては珍しく弁明するように言った。 そのマツバの後ろには、床の間と呼べそうなぽかりと空いたスペースがあり、掛け軸のつもりなのか縦長の絵が飾られている。

「こっちに来てから食べてないだろ、和食」

「まあ、そうですけど」

 とりあえず座る。とにかく疲れた。テーブルの上のメニュー表に手を伸ばす。

「へえ……蕎麦とか焼き鳥とかあるんですね。さすがに寿司はないか」

「生魚は食わねえからな、こっちの人間は」

 マツバは店員を呼んで注文を始める。

「これと、これと……あ、焼き鳥頼んどく? じゃあこれ、タレで。あとは、このロズナ酒の炭酸割り1つ」

「マツバさん、飲酒運転ですよ」

 思わず止めるが、マツバは「おまえのだよ」と当然のように言う。

「は? いや俺酒は……」

「飲みたくなるかもしれないだろ。──後はただの炭酸水ひとつ。うん、それでお願い」

 にこやかに店員を見送るマツバをじっと睨むが、それにも疲れて溜め息をついた。


「あの可愛い子」

 髪を後ろに縛りながらマツバが唐突に口を開く。

「おまえのボディガード。あの子とどうなの? 彼女?」

「……いきなり何ですか」

 心底呆れた声が出た。

 ソナ・フラフニルのことだ。

「ボディガードじゃないですし、同僚ですよただの。俺が教育係をしてるだけです」

「教育係って……何か怪しい響きだな。何教えてんだよ」

「その絡み方気持ち悪いんでやめてくれます?」

 ふんと鼻で笑い、マツバは覗き込むようにしてこちらを見る。

「でも、好きなんじゃねえの? なんかあの時も微妙な距離感だったよな、2人」

「違いますよ」

 時々会う親戚が無神経に絡んでくるようなものだ。適当にあしらうに限る。

「誰が好きだとかそういうの、俺には──」

 言いかけて、その先の言葉に詰まる。

 俺には……なんだ?

 喉の奥で何かが引っかかる。口にしてはならないと押し留めようとする。

 俺にはこの世界で、そんな資格なんて。

「おいおい」とマツバの声が思考を遮った。

「これくらい適当にあしらえよ。真面目か」

「……」

 失礼します、と襖風の引き戸が開き、店員が料理と飲み物を運んでくる。

 目の前に薄桃色の酒が入ったグラスが置かれる。氷がたっぷりと入っていて、見ていると無性に喉が渇いた。疲労感にむしゃくしゃした気持ちが混ざって、ひと思いに飲み干してしまいたい気持ちに駆られる。

「とりあえず、お疲れさんってことで」

 マツバがにやりと自分の炭酸水のグラスを掲げた。

 無言でグラスを手に取り……しかし、飲まずに置いた。気にしない様子でマツバは炭酸水をぐっと飲む。

 先に運ばれてきた料理は根菜の煮物と卵焼きだった。箸もあり、食器も和風柄でこだわりを感じ、見た目にはよくできている。

「……いただきます」

 四角く切られた大根のような根菜を箸で摘み、口に運ぶ。

 噛むと柔らかく、醤油のような味がした。味がしっかりと染みていて、出汁の香りもする。

 不味くはない。むしろおいしい方ではあるが、記憶にある煮物とは──似て非なるものだった。

 当たり前だ。原料となる素材から何からすべてが違うのだから。


「うん、うまい」

 マツバは嬉しそうに食べている。

「おいしいです」と言うしかなかった。


 マツバ・トオルは──自分とそれほど変わらない歳の頃にこちらに来たと聞いている。10年近くは経っているということだ。

  既に元の世界の味を忘れてしまったのだろうか。

 ──俺もいつか、そうなってしまうのだろうか。

「あの」

 異国の香りがする卵焼きまで手をつけてから、箸を置く。

「向こうのこと……近況とか、教えてくださいよ」

「ああいいぜ」と食べ進めながらマツバは世間話のように語り出した。

「まずはおまえのご両親だ。健康も仕事も何も問題なさそうだ」

 それを聞いて安心する。

「で、兄貴のところは先日子どもが産まれた。女の子だとよ」

「あ、無事に。良かった」

 思わず笑みがこぼれた。奥さんが臨月だとは前回聞いていた。

 あの兄が、どんな顔をして我が子を抱いているのか想像もつかない。そもそも2年前に結婚した兄の奥さんという人の顔も知らないが。

 それからマツバは数人の学生時代の友人の名を挙げた。特に変わりはないとのことだ。

 やがて焼き鳥やら焼き魚やらもテーブルに並べられ、それらを突きながら話を聞いていた。

「最後に、イリエ・マヒロだが」

 焼き鳥の串を取り落としそうになった。

 そんな自分をマツバが眺めていたが、何事も無かったかのように串を掴み直し、たっぷりとタレのついた肉をかじる。

「俺はおまえに気を遣ったりはしない。だから正直に事実を伝える」

 マツバは2杯目の炭酸水を飲み干して、グラスを置いた。

「結婚したってよ。会社の同僚の男と」

 咀嚼していた肉をごくりと飲み込む。

「……そうですか」

 それは、そうだろう。

 まひろだってそういう年齢だ。何もおかしくない。当然のことだ。むしろ喜ばしいことだ。

「よかったです」

「なあ」とマツバがだらしなくテーブルに頬杖を突く。

「やっぱもうやめねえ? 向こうの話をおまえに教えるの」

「……」

「おまえがいなくなったあとも、変わらず生きていく向こうの世界の人間たちの話を聞いて、おまえにとって何になる? ──虚しいだけだろ」

「ちがう」

 食って掛かるような言い方になってしまった。じろりと睨んでくるマツバから目を逸らす。

「……俺にとっては、必要なことなんで」

「なんでだよ」

 マツバの声は低い。

「初めの頃は、単なるホームシックだと思ってた。俺もおまえをこっち連れてきたことに対して多少なりとも罪悪感もあった。だからわざわざ調べてやってた」

 でも、とマツバは続ける。

「もう4年だ。おまえがこっちに来て4年も経ってる。ただの未練じゃない、執着だ。こんなのは、健全じゃねえ」

「俺は──」

 言いかけて、やめる。

 この男に言ったところで何にもならない。そう思えば熱はすっと冷めた。

 置いた箸を再び手に取り、何を食べようかと料理の皿を眺める。

「“俺は”……何だよ」

「別に、何でも……」

 マツバの溜め息と、それから息を吸う音が聞こえた。

「鍵本海里!」

 体がびくりと反応する。


 マツバが発したのは──俺の名前だ。

 この世界の発音ではない。

 元の世界の……久しく呼ばれることのなかった日本語での音だ。こっちとそう違うわけじゃない。それでもその懐かしい響きに、気持ちがぐらりと揺れるような気がした。

 きつく唇を噛む。

 マツバは酒のグラスをこちら側に押しやりながら日本語で続ける。

「──酒飲めよ鍵本。氷も溶けちまってる」

「……いりません」

 反射的に日本語で返してしまう。

「おまえは少し」

 溜息混じりにマツバが言う。

「いやかなり、内に籠もりすぎだ。思ってることは時々出すべきだ。カウンセリングに……レンちゃんのところに行かないんなら、こういう時に吐けよ」

「……」

「できないんなら、次回は無理やりでもレンちゃんのとこ連れてくからな」

 この男のこういうところが、本当に嫌いだ。こちらが反抗できる力を持たないのをいいことに、いつも自分の言いなりにさせようとする。

「……酒に頼らなくたって言えますから」

 ロズナ酒のグラスを離れた所に押し戻した。

「俺は」  

 感情を乗せずに淡々と伝えるだけだ。何も難しいことじゃない。

「前に言いましたよね。向こうの世界での自分の思い出が、俺の支えだって。それがあれば、こっちでどんな扱いを受けたって俺は大丈夫なんです」

 マツバは細い瞳でこちらを見据えている。

「でも、こっちにいるとその記憶が少しずつ、曖昧になってくる。もしかして全部俺の……妄想なんじゃないかって。妄想に縋ってるだけなんじゃないかって、思う時が」

 視線を落とし、テーブルの木目を見つめる。

「そう思い始めると、どうしようもなく気分が沈むんです。だから、向こうの世界は俺の記憶と地続きに存在するんだって、それを再確認したいだけです」


 親しかった人たちの喜ばしい話を聞いて嬉しくなる気持ちが、聞きたくない話を聞いて痛む心が、確かに俺はあの世界にいたのだと証明する。妄想なんかじゃないと、俺を繋ぎ止める。


 ひどく喉が渇いていた。

 無意識に酒のグラスに視線が向いてしまうが、なけなしの唾を飲み込んで顔を背けた。


「それを未練とか執着だとか、そう思うんならそう思ってください。でも、だから俺は。そうしないと、俺……」

「わかった」

 マツバが割り込んだ。箸を持つ手を顔の前で振っている。

「わかったもういい。──飯が不味くなる話だ。しつこく聞いた俺が馬鹿だったよ」

「……」

 再び部屋の扉が開き、店員が空いた皿を片付けに来た。

 店員が出ていって扉が閉まるのを見届けてから、マツバは箸を置き、床にごろりと寝転んだ。

「俺はもう腹一杯だ。残りはおまえが全部食え。そしてさっさと帰る」 

 テーブルの上に残された冷めた料理を眺める。


 見てくれだけなら、故郷の料理だ。自分を騙すことはできそうな気がする。

 義務のように黙々と平らげていく。

 そんな食事は随分と──虚しいものだった。


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