短編 トレック・バウハーの憂鬱な休日出勤 最終話
全体の片付けが終わった。
最後に集会室に集まり、参加した職員への感謝と事務的な連絡がマティアスから伝えられ、これで探索士試験準備の面々は解散となった。
再び顔を合わせたマティアス、バルー達だったが、こちらに冷たい視線をくれるだけで何も言葉はかけられなかった。
昼の時間を大幅に過ぎていた。
天を見上げれば、澄んだ青空にちぎったような雲がいくつか浮かんでいる。
ティーバ、トレックの3人と試験会場である市民体育館の敷地を出た。ここまでずっと会話はない。
春めいた緑の並木の立ち並ぶ歩道で、トレックが黙って足を止めた。
「どうした?」
「いや……」
トレックはズボンのポケットに手を入れて、きまり悪そうな笑みを浮かべている。
「ちょっと俺、その辺ぶらぶらしてから帰るわ。……またな」
「トレック」
向きを変え、ひとりで違う方に進もうとするトレックに思わず呼び掛けた。
「昼飯……どうするんだ? 一緒に何か食べよう。ティーバも」
そう言うと、ティーバも小さく頷いた。
トレックは背を向けたまま、「いや、いい」と返事をした。そして立ち去ろうとする。
「──トレック!」
思ったよりも大きな声が出て、通行人が驚いたように振り返る。
トレックも立ち止まり、顔をこちらに向けた。
頭を掻き、迷うように目を伏せ、
「あいつの言ったことは事実だ」
とトレックは静かに口を開く。
「調査の時に案内をミスって、危険な魔獣の縄張りに入った。相棒は死んで、俺は助かった。怪我もしたけど、公務災害でそれなりの金をもらった。卑怯者だって呼ばれて職場にいられなくなった」
淡々と事務報告でもするかのような口調に、並木の葉が静かに触れ合う音が重なる。
「あの時に何があったかは、俺とハモン……その相棒しか知らない。結果はひとつで、俺が何て言ったって言い訳にしかならなくて、みんな、自分がしたいように解釈する。──だから俺の口から言えるのはこれだけだ」
道端に立ち尽くしているスーツ姿の男達を、訝しむように見ながら歩行者が通り過ぎていく。
何かを暴きたかったわけじゃない。無理に共感しようとしたわけでもない。
「……トレックが前の職場で何があったかは、俺には関係なくて」
自分の口からそんな言葉が出たことに少し驚き、少し滑稽な気分になった。
自分は過去ばかり見つめているくせに、他人に対しては「過去は関係なくて今のおまえを見ている」とは。
ただトレックは、俺が“杖無し”だと知っても初めから分け隔てなく笑顔を向け、軽口を叩いてくるような人間だ。
そんなトレックに同僚として……できることならこの世界での友人として、対等に向き合いたかっただけだ。
トレックは黙っている。
空色の瞳をまっすぐに見た。
「俺はおまえの……明るいところっていうのかな、そういう部分に何度も、助けられてきた。俺は、感謝してる」
「カギモト……」
「それは本当だ」
沈黙に雑踏の音が混ざる。
トレックは神妙な顔をしていた。
何かを言いかけて俯き、そして、ひどく深刻そうに口を開く。
「どうしたおまえ──もうすぐ死ぬの?」
「何でだよ」
反射的に言葉を返す。
「え、だって死ぬ前のやつが言いそうな台詞じゃん。死ぬなよカギモト……っ」
「死なねえよ。おい、人が真面目に」
「何やってるの2人とも」
ティーバが呆れたように言うと、トレックがいきなり噴き出し、笑い始めた。
からからと、楽しそうに笑うトレックの様子を見てティーバと顔を見合わせる。
「──ああ、いや、本当に」
徐々に笑いを収めると、トレックは足元に視線を落とした。
「あいつの言ったとおり、恵まれたのかもなって」
柔らかな風の音にも掻き消されそうな声だった。
「トレック……」
トレックはぱっと顔を上げた。その表情に翳りはない。
「やっぱり腹減った。昼はハンバーガーだな」
「言うと思った」
ティーバが歩道の反対側を指差した。
「ちょうどあそこにハンバーガー屋があるんだ」
「じゃあ、行こう」
そう言って先を歩くと、「喉詰まらせて死ぬなよカギモト」とトレックが楽しげに肩を叩いてくる。
「だから死なねえって」
「でも、よく噛んで食べた方がいいのは確かだ」
ティーバの口振りは冗談か本気かわからない。
いつものようにどこかずれた会話を交わしながら、日差しの降り注ぐ横断歩道を渡った。
§
翌日。
ゴシュ係長の机の前に、ティーバ、トレックと3人で呼び出された。
少し離れた席ではナナキはやれやれと言う顔で、ソナは心配そうにこちらを見ていた。
「昨日は休みの日に出てもらってお疲れさまなんだけど」
汗っかきのゴシュ係長は、ハンカチで額をおさえながら、険しくも少し呆れたような目を向けてくる。
「試験課に、もううちから手伝いは出さなくていいって言われたんだよ」
「それは……よかったですね」
とりあえず言ってみると、ゴシュ係長は椅子の背もたれを軋ませて溜め息をついた。
「いやよくないよね。うちの係が信用されてないってことだよ? 何やってきたの君たちは」
「……」
誰も答えないでいると、「それに」と係長は1枚の書類を突き出してくる。
「体育館の扉の修理代を請求されてるんだけど。ほんと、何したの?」
「それは俺っす」とトレックが申し訳なさそうに笑って書類を受け取った。
「すみません、処理は俺がやるんで」
「もう……。次に休日勤務があっても、君たち3人組には任せられないなあ」
「それでいいっすよ」とトレックがあっさりと返す。
「もっと簡単な仕事かと思ったら、けっこう色々大変で」
トレックは俺とティーバをちらりと見て、朗らかに言った。
「休日出勤は──しばらく遠慮したいっすね」
虚を突かれたような顔をするゴシュ係長に少しの罪悪感を感じつつ、俺たちも頷き、そして小さく笑い合った。
完




