久しぶりにやってきた村
私は久しぶりにこの村に戻ってきた。
さぁっと風が吹いている。
干ばつが深刻だった村は雷神様が降らせた雨のお陰か、前までの村に戻ろうとしている。
「雷神様、少し村の様子を見てもよろしいですか?」
「ああ、好きにすればいい。俺は行かねばならない場所があるからそちらを見てくる」
雷神様にもやるべきことがあるのだろう。
「これをお前に預けておく」
差し出されたのは、透きとおる薄青の結晶でできた耳飾りだった。
雫のかたちをしていて、光を受けるたびに雷のような紋が淡く揺らめく。
「これは……?」
「お前に何かあった時にかけつけられる守り石のようなものだ」
小さな結晶を両手で受け取るとほんのり温かさを感じた。
「……ありがとうございます」
雷神様、優しいな……。
ここに来たいと言ったのも私のワガママなのに。
そっと耳飾りを耳に当てる。
すると雷神様は、宙に浮きそのままどこかへ行ってしまった。
この耳飾りがあるからか、不安も少しぬぐえた気持ちだった。
私はその足で、村の作物がある場所へ向かった。
「良かった……作物も耐えたのね」
作物の様子を見てほっとした。
これだけの作物が実をなしているのであれば村の人にも笑顔が戻るだろう。
そんなことを考えていた時、背後から誰かの声が聞こえてきた。
そこにいたのは、背を丸めた老人だった。
「お……お前……もしかして美鈴か!? 雷神様の生贄になって死んだんじゃなかったのか……!」
私をまじまじと見つめ、顔色を引きつらせ震える声で言った。
「あ、あの……」
なんと説明したらいいだろう。
戸惑っていると、その老人は急いで村のみんなのところへ戻っていった。
そして知らせあげるように声をあげた。
「みんな聞いてくれ!生贄が……生贄が戻ってきてるぞ!」
畑のあちこちで農具を持っていた人々がこちらを振り返り、目を見開いて立ち尽くす。
するとそれを見た別の男の人が、ひどく怯えたように叫んだ。
「呪いの子だ……またアイツが返ってきたぞ!」
気づけば村の人みんなが集まってきていた。
まずい。
そう思ったがもう、遅く私は村の人に取り囲まれてしまった。
「村から出ていけ、災いを呼ぶ女め!」
「呪いの子じゃ、呪いの子が帰って来てる!」
彼らの手には石が握られていて、それが私に向かって投げられる。
「い、痛……っ」
その石は私の頬や体にぶつかる。
「お願いします……やめてください……」
「こやつ、また雷神様に拒否されたんだ……」
次々に飛び交う声に、私の胸は締めつけられた。
「ちがい、ます……おやめください」
村の人々の冷たい視線が全身に刺さって苦しい。
「出てけー!!村から出ていけー!」
今度は若い女性が、手に持った農具を私に向けて振り回す。
「お前のせいで私たちは貧困に苦しめられてる……」
「えっ」
もう干ばつは収まったんじゃなかったの……?
「取れた作物はほとんど没収され、もらえるのはチリだけの賃金。村をそんな風にしたのはお前だ!!!」
その女の人が釡をふりあげる。
ぶつかる!
ぎゅうっと目をつぶった時。
──バリバリバリ!
大きな音と共に低い声が聞こえた。
「何をしている?」
それは雷神様のものだった。
彼は片手で釡を抑えつけ、睨みながらたずねる。
「何をしてると聞いているんだ」
そしてギリギリと力を入れると、その釡を粉々に砕いてしまった。
「ヒッ……っ」
声にならない悲鳴をあげる女性。
「か、怪物だ……!!」
村の人たちは今度は雷神様を見て騒ぎ始めた。
みんなは、雷神様を実際に見たことがないから分からないんだ。
パニックになってる。
「雷神様……ここはひとまず別の場所に避難しましょう」
私は雷神様を連れて、人がいない場所に避難することにした。
静かな森の中で雷神様が私にたずねる。
「何を言われた?」
「い、いえ……大したことではありません」
「ではなぜ頬を怪我しているのだ?」
雷神様はそっと私の頬に手を伸ばす。
さっきの石がぶつかったはずみで、頬が切れたようで少し血が出ていた。
「それより、なぜ雷神様はここに来てくださったんですか?」
「お前に授けた守り石から、悲しみが伝わってきた。何かあったんじゃないかと思って戻ってきたんだ」
この守り石にはそんな能力があったんだ……。
「ありがとうございます、雷神様」
やらなきゃいけないことがあるって言ってたのに、戻ってきてくれるなんて本当に優しい人……。
すると雷神様は私の頬に手のひらを向ける。
そこはさっき私が切ってしまったところだった。
「雷神、さま?」
雷神様の手から小さな光が出て、その光が私の頬にあたる。
温かくてなんだか心地いい気分だった。
「お前のキレイな肌に傷口は似合わん」
そう言って手を降ろすと、頬のジンジンとする痛みが消えていた。
「えっ」
「傷を消しておいた」
「そ、そんなこと出来るんですか!?」
私が声をあげると、雷神様は言う。
「神だからな」
「す、すごい……」
改めて雷神様の力をすごいと思った。
「キミは母から譲り受けた力があると言ったな。だったら村人にあんな仕打ちを受けるのはお門違いじゃないか?美鈴を生贄として捧げる意味もよく分からん」
「そ、それは……」
話してもいいのだろうか。
私の身に起きたことを。
雷神様を見つめると強い眼差しで言った。
「お前はなぜ生贄に出されたんだ?」
言わなくちゃ。
今、私は雷神様に拾ってもらってここにいるのだから。
私は覚悟を決め、口を開いた。
「私は神話守という、神様と話せる能力を受け継ぐはずだったんです。しかし、妹に毒を飲まされ神話守の式典中に倒れてしまった。式典は神聖なもので、継承がうまく出来なかった時、神様が拒否しているとみなされるんです。神が拒否した子は災いを呼ぶ。だから災いの子。私はそう呼ばれています」
「……なるほど。それで今はその妹が権力を持っているということか」
「…………」
私はうつむいた。
妹は今、どうやって村を守っているのだろう。
「俺は人間を求めたことはないがな。人間はやはり愚かだ。神に縋るばかりで自分たちで策を考えようとしない」
「私たちは弱いから……そうするしか出来ないのです。でも雷神様の言う通りです。自分のできることを探すことは怠ってはいけないと私は思います」
雷神様は遠くを見つめた。
「それでどうする?」
「せっかく来ましたし、お母様からもらったペンダントだけはどうしても取り戻したくて……」
「そうか、なら行こう」
雷神様は前を向いた。
こうして私と雷神様はお父様たちが住む家にむかうことになった。
「姿を消して、俺が取りに行くことも出来るが本当に尋ねるのか?」
「はい……逃げてばかりじゃダメだと思いますし、自分の今の状況を話しておきたい……」
話すことで何かが変わるかもしれないから。
「なら分かった。俺は近くで待っていよう」
「ありがとうございます」
深呼吸を一つ。
そっと戸を押し開けると、玄関先に灯りが漏れていた。
人の気配がする。
一歩、踏み出すと、床板がぎしりと鳴った。
「……誰?」
涼やかな声。
そして、そこに立っていたのは、麗羅だった。
薄紫の豪勢な着物を着こなし、髪を結い上げた姿をしている。
「……麗羅……」
声が掠れた。
麗羅はしばらく言葉を失ったように私を見つめていた。
「ウソ……あんた生きてたの!?」
麗羅は信じられないとでもいいたげな表情で私を見た。
「どこで生き延びた……!お前は死んで役割を果たすはずでしょう?」
鋭い声が響き渡った。
「あ、あの……」
どこから話していいか分からない。
「麗羅……」
「お母様―!お父様来て!呪いの子が帰ってきたわ!」
麗羅が叫び声をあげると、お父さんとお母さんが慌てた様子でやってきた。
そして私を見るなり目を丸めた。
「……お前」
父の目が細くなり、母の眉がひくりと動く。
「……生きてたのか」
父が唸るように言った。
「まぁ……なんて図太い子なの」
「何のつもりだ。今さら戻ってきて」
父が一歩、私に近づく。
「母から譲り受けたペンダントを返してほしくて……ただそれだけなんです」
家に戻りたいなんて言わない。
ペンダントさえ返してもらえれば……。
そう思った時、はっと我にかえった。
麗羅の首元に私のお母さんがくれたペンダントがあった。
「か、返して!それを返して欲しいんです」
私は思わず麗羅の手を掴んだ。
「何を言ってるの?これはもう私のものよ」
勝ち誇ったように笑う麗羅。
「お願い、返して!それはお母さんが私にくれた大事なもので……」
「痛……っ」
思わず力が入ってしまった。
「ご、ごめんなさい」
ぱっと手を離した瞬間。
「いい加減にしなさい!」
──パシン!
高い音が響き渡った。
頬を打たれ、じくじくと痛みだす。
お母様が私を殴った。
「……っ」
「生贄になれなかったのなら……もう一度生贄になりなさい。それがお前の務めと教えたでしょう」
母の瞳が私を射抜く。
「それをのこのこと帰ってくるなんて、なんて恥知らずな子なのかしら」
低く、冷たい声。
この家には、もう私の居場所はない。
分かってはいたけれど、やっぱり胸が痛くなった。
涙がこぼれそうになったとき、背後から低い声が響いた。
「全く、見るに堪えない醜さだな」
ビリビリと電気を放った雷神様が後ろに立っていた。
「は?誰よ、この人……」
麗羅が驚いたように視線を上げた。
人ではないなにかに、怯えるような目をしている。
「我が名は雷神」
静かな声が、空気を震わせる。
「ら、雷神……!?」
父の顔が青ざめていくのがわかった。
そして母が唇を震わせ、一歩後ずさる。
「ウソ……ウソよ。そんなはずないわ……」
「人に情けも礼もなく、家族とて容赦のない醜さは見るに堪えない」
「雷神って……神様が美鈴の味方をしたというの」
お母様は高い声をあげる。
「そんな……どうして」
お父様まで信じられないとでもいいたげに声をあげた。
「……美鈴が求めているものを返せ」
雷神様は質問には答えず、鋭い声を響かせた。
麗羅がぎゅっとペンダントを握りしめながら後ずさりする。
「これはもう私のものよ。絶対に渡さないわ!」
「そうか」
すると、雷神様の声は低く落ちた。
白金の髪がふわりと揺れる。
雷神様は右手を胸の前に掲げると、指先をわずかに曲げた。
「ならば、多少手荒くても文句は言うなよ」
一瞬、空気が震える。
「その石よ、持ち主のところへ帰りたまへ」
次の瞬間。
──バチバチバチ!
「きゃあっ!!」
麗羅が身につけていたペンダントがビリビリと電気を発した。
「い、痛い……や、やめて……」
バチバチと強い電気を発しながら、麗羅の首元にあるペンダントはすうっと浮かび上がると、首元から外れる。
「なっ……!?」
麗羅が驚いて手を伸ばすが、細い鎖はするりと逃れるように宙へ昇っていった。
銀の小さな鈴が、かすかな音を立てた。
「わ、わたしのよ……!」
麗羅がペンダントを掴もうとするが、掴めない。
「これは……!」
お母様が恐ろしげに息を呑んだ。
ペンダントは、まるで意思を持つように私の方へゆっくり戻ってきた。
「今一度言う。美鈴になにかしようものなら我が黙っていない。どうなるか、分かっているな」
それは低く、そして鋭い声だった。
雷神様の能力を見たお母様たちは震え上がるようにして身を寄せていた。
「美鈴、帰ろう」
「は、はい……」
それから、白く霞む雲の上を、雷神様の背に揺られて帰った。
冷たい風が頬を切り、涙を乾かしていく。
それでも、胸の奥の痛みは消えなかった。
あの村に私の居場所はなかった。
分かっていたけれど、いらない存在なんだと思うと心がじくじく痛んだ。
天上につくと、マルンとモルンの2人が出迎えてくれた。
「あれれ?美鈴なんだか元気ないんだジョ」
「どうしたんだゾ?」
心配そうに私の顔をのぞきこむ。
「ごめんね、大丈夫よ!元気だから」
笑顔を作って見せるけれど、二匹は顔は明るくはならなかった。
私はそっと布団の端に腰を下ろす。
胸元のペンダントをぎゅっと握りしめ、大丈夫だと自分に言い聞かせた。
これを取り戻すことが出来たのだから大丈夫だ。
お母様は私の味方をしてくれるんだもの。
でも……。
視界がにじんだ。
そのお母様はここにはいない。
涙を拭おうとしても、次から次へと溢れてくる。
「……っ、う」
袖で目元を隠す。
どこで間違ったんだろう。
何をすれば、こんなふうにならずに済んだのだろう。
答えはどこにもなかった。
ふと、襖の向こうで足音が止まる気配がした。
気づくと、雷神様がそこに立っていた。
白金の髪が淡い光を返し、瞳は静かに私を見ていた。
「……泣いているのか?」
低い声が、静けさを破った。
「……ご、ごめんなさい」
私は慌てて涙をぬぐう。
「いい。無理に拭おうとするな」
雷神様は何も言わずに部屋へ一歩だけ入る。
足音が止まると、布団の縁に影が落ちた。
雷神様は静かに、私が泣き止むまで待っていてくれた。
「落ちついたか?」
「はい……」
「なぜ泣いていた?」
「……私も、分かりません」
掠れた声が、空気に溶けた。
「そうか……」
「もしかしたら、村の状況がよくなったら受け入れてくれると信じていたのかもしれない、ですね……」
村の状況が悪かったから、みんな余裕がなくて私を生贄に授けたと思いたかったのかもしれない。
でもそうじゃなかった。
私は村でいらない人間だと思われていたのだ。
だから生贄として出されたのだ。
ただそれだけだったんだ。
うつむいて告げると、一拍置いて、雷神様の声が低く落ちた。
驚いて顔を上げると、雷神様の指先がそっと頬に触れる。
「……雷神、さま?」
温かかった。
まるで人が花びらを傷つけぬように触れるみたいに、優しかった。
「ここを帰る場所にすればいい」
「えっ」
私はばっと顔をあげる。
「美鈴の家は今日からここだ」
どうして、この人はこんなにも優しいのだろう。
何もない私を救ってくれて、居場所まで提供してくれる。
これほど優しい人は村にもいないというのに……。
「雷神様は優しすぎます……」
「そんなことない。言っただろう?俺のために生きてみろと」
そんなに誰かのために生きたいなら、俺のために生きて見ろ、と。
視線が絡む。
そして雷神様は言った。
「俺のために生きることが悪くないと美鈴には思ってもらわないと困る」
どういう意味だろう?
それは私が一生雷神様に従うコマになるということ?
それでもいい気がした。
誰かの役に立てるのなら、それで……。
それがまた雷神様なのであれば嬉しい。
「よろしい、のですか……?」
こんな捨てられた人間を置いてくれるのだから。
なんの役割も果たせない私を、ここにいてもいいと言ってくれるのだから。
すがるような気持ちで伝えると、雷神様はこくんとだけ頷いた。
「……ありがとうございます」
息を整え、一度だけ深く瞼を閉じる。
雷神様と一緒にいるのであれば、私に唯一出来ること。
返せることを伝えなければいけない。
「私は……生涯、雷神様に仕えることを誓います」
丁寧に、深く頭を下げる。
視界に白木の床が映る。
沈黙が降りた後、やがて低い声が頭上に落ちた。
「……違うな。それじゃあ意味がない。俺に仕えようと思うな。俺と共に生きるのだ。お前の命は俺が救う。キミを不自由にはさせない」
共に生きる……?
「美鈴が選べ。そして自らの人生を誰と生きるか決めるのだ」
そう、か。
ぽたり、と涙が目から流れた。
『いい?美鈴。村のことを考えるのはいいことだけど、村に全てを捧げるのが美ということではないのよ』
あの時は難しくて分からなかった、お母様の言葉。
でもそれは、今なら分かる気がする。
『あなたが共に生きていく世界を幸せにするの。誰かのために自分を犠牲にするのではなくて、誰かと共に生きてゆくのよ』
「雷神、様……」
雷神様の言葉で今、気がついた。
「私と共に生きてください。この場所が雷神様の大事にしているもの、住む場所が幸せであるように私も勤めます」
共に手を取り生きてゆく。
それは、もう、縛られるためにここにいるのではないと教えてくれているようだった。