あなたとの将来
雷神様が目を覚ましてから、数日が経った。
まだ完全に元の力に戻ったわけではないけれど、彼の意識ははっきりとし、少しずつ回復しているのが見て取れた。
私は彼の世話をしながら、温かい眼差しに触れるたび、失いかけた命が今ここにある奇跡を噛みしめた。
ライエン様……本当に良かった。
そして、ある日の午後。
雷神様は静かに私を呼び出した。
「美鈴」
私は静かに彼の隣に座る。
「はい」
「戻ったら伝えたいことがあると言ったのを覚えているか?」
雷神様は風神様と戦う前。
私をここに返す前に、伝えたいことがあると言った。
もちろん覚えている。
「はい……」
返事をすると、雷神様は遠くを見つめながら告げる。
「ずっと考えていた。この先のこと……」
この先……。
その言葉に私は不安になった。
ライエン様が考えるその先に私の存在はあるのだろうか。
ずっと1人で生きてきたお方だ。
風神様と戦ったことで、やはり1人の生活の方がいいと思ってしまったら……。
私を足手纏いに感じていたら……。
「美鈴、お前はどう生きたい?」
「どう、生きる……?」
「お前はもう自由だ。自分で人生を切り開くことが出来る」
以前の自分だったら、自分の力だけで生きていくなど考えられなかった。
でも、ライエン様と出会い、共に過ごした日々が、私を強くしてくれた。
たしかにそう……もう誰かの助けがなくても、私は歩いていけるのかもしれない。
「でも……」
そこで私は言葉を止めた。
私の心は、決まってる。
「それでも……私は、ライエン様と生きていきたい」
私の言葉に、ライエン様は静かに私を見つめた。
「美鈴……」
「ライエン様と一緒に、この日々を分かち合いたい。喜びも、悲しみも、この先の長い人生を、ライエン様と歩んでいきたいのです」
あなたと生きることが幸せだと知った。
だから変わらずそばにいてほしいのです。
すると、彼の真剣な眼差しがこちらに向けられた。
「美鈴……俺も同じ気持ちだ」
その言葉にほっと胸をなでおろす。
そしてライエン様は言った。
「俺の妻となり、これからも共に生きてくれないか?」
その瞬間、私ははっと顔をあげた。
私の瞳から自然と涙が溢れる。
「俺は神だ。人とは違う。俺と共に生きる道は、決して平坦なものではないだろう。だが、たとえどんな困難が待ち受けていようと、俺はお前を守り抜くと誓うよ」
ライエン様の力強い言葉は、私の心を温かく包み込んでくれるものだった。
彼は……いつもそう。
そうやって私に寄り添ってくれた。
大好きな人を見つけられた。
一緒に幸せになれる人を。
この人と共に歩んでいきたいの。
「はい……」
私は再び頷き、ライエン様の胸に顔をうずめた。
彼の腕が私をそっと抱きしめる。
彼の鼓動が、一つ、また一つと、私の心に響く。
私はもう、迷うことはない。
この先、どんな未来が待っていようと、この温かい胸のそばで、私は生きていく。
「これから、あなたの妻として共に生きていきたいです……」
風が窓から吹き込み、部屋の中を通り抜けていく。
それは、まるで私たちの未来を祝福しているかのようだった。
ーーー。
天上の空に、淡い朝日が差し込むころ。
あやかしたちがそわそわと慌ただしく動き回っていた。
「さあ美鈴、こっちに来るんだゾ」
「今日は特別な日なんだジョ!」
マルンとモルンに手を引かれ、美鈴は雷神の住まう神殿の奥、普段は決して通されることのない“織衣の間”へと案内された。
そこは、神に仕える者たちの装束を織る特別な場所。
光の粒が舞う静謐な空間の中央には、金糸と白布が交わる神秘的な衣がそっと置かれていた。
「これを……私が、着るんですか?」
「そうなんだゾ」
「これは、正式に“お側に置く者”にしか与えられぬ神衣なのですジョ」
着物のように重ねられたその衣は、天の雲を編んで仕立てたと伝えられるもの。
柔らかな白銀の生地に、雷光をかたどった金糸の刺繍。
まるで空の光をまとうような清らかさと力強さを兼ね備えていた。
「キレイ……」
美鈴は息をのむ。
自分のような人間が、こんな神々しいものを着てもいいのかな……。
戸惑っていると、マルンとモルンが手際よく身支度を整えてくれた。
髪は金のかんざしでやさしく結われ、頬にはほんのりと紅が差される。
鏡に映るのは、見慣れた村の娘ではない。
「……これが、私?」
なんてキレイなんだろう。
「美鈴、準備はできたか?」
静かな足音が響き、雷神様が姿を現す。
その目が、私をとらえた。
すると、いつも無表情なはずの彼のまなざしが、わずかに揺れた。
「……キレイだ……」
まじまじと見つめ、伝える雷神様。
「その姿……お前によく似合っている」
「雷神様……」
胸の奥が熱くなる。
この人のそばにいたい。
共に人生を歩んでいきたい。
そう強く思えたのは、彼の優しさに触れたからだ。
光の粒が降ってくるような、静かな神殿だった。
幔幕が風に揺れて、白く透きとおった空間に、私の心臓の音だけが響いている。
私は、雷神様の隣に立っていた。
神々の前での正式な婚儀――この天上で“伴侶”として認められるための儀式だ。
夢のような装束を纏って、私は鏡の中の自分が自分でないような気持ちだった。
でも、雷神様の隣に立つと、少しだけ胸を張れる気がする。
それは彼がいつも私を肯定してくれるからだろう。
マルンやモルンが見守ってくれている中、神殿の中心で、雷神様が私の手を取った。
大きくて、あたたかくて、でもどこか頼もしいその手。
そのまま、胸元へとそっと引き寄せられ、私は雷神様を見上げる。
目が合った。
それから、雷神がふと口を開いた。
「……かつて、俺は孤独であることを望んでいた」
低く落ち着いた声が、風に紛れて届いてくる。
「他者を側に置けば、自分が弱くなるとさえ思っていたからだ。だが……お前に出会って、その考えは砕かれた」
私は驚いて、そっと雷神の横顔を見つめた。
「お前という守りたい存在があるからこそ、生きて帰れる。守る存在がある方が強くいられるんだ」
雷神様はゆっくりと彼女の方へ向き直り、正面から見つめる。
「俺はお前を生涯を通して守ると誓おう」
私の胸が、どくんと音を立てる。
その一言に、心臓が跳ねた。
「これから先、どんな未来が待っていようとも、お前の涙を拭うのは俺であり、お前の笑顔を守るのも、俺でありたい」
私の瞳から、音もなく涙が溢れた。
だって、それはずっと、誰にも言ってもらえなかった言葉だったから。
そのまっすぐな視線が、私の心を優しくほどいていく。
ああ、私は――。
ようやく、本当に救われたのかもしれない。
家族に捨てられ、村に拒まれ、生贄として差し出された私。
でも今……私は、雷神様に選んでもらえたんだ。
涙が頬をつたっても、止めようとは思わなかった。
こんなに嬉しい涙なら、何度でも流していいと思った。
「……はい」
声が震えていたけれど、しっかりと答えた。
「わたしも、雷神様の隣で、生きていきたいです。あなたと共に……この空の下で」
その時、ふわりと風が吹いた。
神殿の天井の高い部分が開け、雲の間から光が差し込んできた。
淡い虹が、天の回廊を横切っていくのが見えた。
雷神様の手が、そっと私の手を包み込む。
少しだけ、その手が震えているのを感じた。
それが嬉しくて、私はもう一度、彼の顔を見上げた。
「……ライエン様」
名前を呼ぶと、彼は静かに頷いた。
きっと、これが私たちの“はじまり”。
もう、誰も私の生きる意味を問うことはない。
私は、自分の意思で、この人……ライエン様と共に生きていく──。




