強さ
稲光が俺の腕にまとわりつき、閃くたび空の縫い目をさらに裂いた。
「貴様……ここまで人に情を移すとはな、雷神!」
上空に黒雲が渦を巻く。
天上の蒼は押し潰され、夜のような闇が広がっている。
その渦の中心に立つのは、忌々しい雰囲気を醸し出している風神だった。
奴が纏う暴風は視界に入るあらゆるものを薙ぎ払い、斜めに走る雨粒でさえ刃へと変える。
「見損なったぞ」
空を割って無数の閃光が交錯し、稲妻と疾風がぶつかり合う。
「黙れ」
それでも俺は一歩も退かなかった。
「貴様のような者が、天律を語る資格などない!」
奴は杖を軽く打ち鳴らす。
一瞬で無数の風の刃が形を成し、空気を切り裂きながら俺めがけて迫ってきた。
天律を語る気など、更々ない。
天に、神にと勝手に周りが召し上げた。
そんなもの、はじめから望んでなどないのに。
「神は神であり、人とは交わらぬ。……それが秩序だ」
奴の言葉に合わせ、風の層が幾重にも重なる。
見えない壁は山脈のように厚く、ただ立っているだけで皮膚が削がれていくほど鋭い。
「秩序……?くだらん」
吐き捨てると同時に雷が爆ぜた。
掌に集めた雷が槍の形を取り、俺の意思に応じて空へと伸びる。
稲光の奔流がそのまま矢となり、空を切り裂いて風神めがけて突き進む。
しかし、風神は風の壁を展開し、その攻撃を塞いだ。
周囲の空間が軋み、焦げた金属を擦るような嫌な振動が骨に響く。
誰が決めたかも分からぬ秩序。
俺を満たし、救ってくれたことなど一度もない。
「俺たちは何百年でも生き続けることができる」
「それがどうした?」
風神が吐き捨てる。
「だが……お前は何も変わらない」
低く言い放つ。
雷槍の柄に再び雷を呼び、手繰り寄せるように握り直した。
「そうだ。それが最強ということだ。ためらわず戦え、雷神」
勝負を辞める気はなさそうだ。
どちらにせよ、風神を倒さない限り美鈴は守れない。
体力を使い切るまでぶつかり続けるしかないのだ。
俺たちが生まれてから300年近く。
未だかつて権力争いの結果がついたことはない。
「ふん……それでいい」
嵐夜が腕を振り上げる。
風が凝縮し、鋭利な刃と化した。
周囲の雲をすべて巻き込み、巨大な旋風が生まれる。
それはひとつの生き物のように蠢き、唸りをあげながら口を開いた。
「風哭・千裂牙――!」
言うと同時、空が裂けた。
風刃が一斉に降り注ぐ。
瓦は紙切れのように舞い、柱に千の傷が刻まれる。
この周りにいる動物は一瞬にして命を落とす威力だ。
俺は雷槍を横薙ぎに閃かせ、落ちる刃を叩き折った。
「消えろ、神はひとりで十分。俺こそが最強だ」
風神の唇が嗤い、風の層が跳ねる。
地平線まで続くような突風の帯が一瞬こちらへ折れ、圧力の壁となって迫る。
俺は槍先を返し、真っ直ぐに風神へと伸ばした。
雷は矢と化し、一条の運命線のように奴の眉間を狙った。
しかし――次の瞬間、嵐夜の肩がわずかに沈む。
まずい……。
その刹那、風の刃が死角から跳ね上がり、防御の薄い脇腹を裂いた。
「っ――」
身体に熱が走る。
青白い稲妻が瞬き、視界の端で俺の血が霧になって散った。
「ふっ。やはり……人間に情を移したヤツは弱い」
風神が低く笑う。
俺の足元には血が溜まっていた。
「貴様、死を恐れているな。だから今受け身を取った」
奴の声は風に乗って、どこからともなく刺さる。
「…………」
返事は出来なかった。
「昔のお前は自らの死をどうとも思っていなかった。だから自分が死ぬことがあろうとも、隙さえ見せれば突き刺してきたというのに……今は違う」
足がよろけ、視界がかすむ。
呼吸がしづらい。
「守るものに足を取られる小者だ。昔お前はよく言った。守るものがあると弱くなると……俺たちにはそれがない。だから無敵だった」
そうだな……。
昔とは違う。
俺は自らの足で、瓦の端を踏み直した。踵に力を込め、胴の捻りで出血の鈍痛を押し殺す。
もし俺がここで倒れれば、風神は雷鳴山へ向かう。
そして美鈴を追い、躊躇いなく美鈴を殺すだろう。
そんな未来を俺が作り出すわけがない。
「守るものがあると弱くなると、俺は確かにそう思っていた」
血の味を飲み下し、槍を握り直す。
稲光が指骨に絡み、痛みを熱に変える。
「でも今は思う。そうとも言い切れないと」
周囲に散った稲光を呼び戻す。
瓦の隙間から、柱の節から、空の裂け目から……光は糸のように集まり、俺の背に羽を象る。
昔は確かに、失うものがなかった。
それは、自分の命を大事にする存在などいなかったからだ。
だから、自分が生きようが死のうが興味がなかった。
だが今は違う。守りたいものがある。
だからこそ、死ぬわけにはいかない。
なんとしてでも、ここを勝ち抜く力が湧く。
そうだろう、美鈴。
俺は、キミを守り続けると誓ったのだ。
だから約束を果たさなきゃならない。
「守るものがいる方が強い」
俺ははっきりとそう言った。
「バカな」
風神が叫び、天嵐杖を振り下ろす。
巨大な竜巻が生まれ、唸りをあげて襲いかかってきた。
俺は雷槍を握り直し、全力で突き出す。
「……己の信じるもののために剣を取るのを、貴様は愚かと笑うのだな」
稲光が走り、竜巻の中心を貫いた。
風と雷が正面からぶつかり合い、天地が揺れる。
瓦が舞い、柱が砕け、空が裂けるような音が響いた。
「神が人に心を持つなど、愚か以外のなんだ?」
雷と風が何度も衝突する。
風神の風の刃が頬を切り裂き、俺の稲光が奴の肩を焦がす。
「ならば――俺は愚か者で構わん」
互いに一歩も引かず、ただ力と力を叩きつけ合う戦い。
その戦いは1週間も続けられた。
「はぁ……はぁ、相変わらず図太いな雷神」
「そっちこそ」
体力を最大値出し切る戦いにも限界が来ていた。
そろそろ決着がつく。
「これで終わりだ!雷神」
体力が擦り切れていく中、風神が叫び、嵐鳴峡全体を巻き込むほどの旋風を放った。
山々が震え、周りにあるすべてのものが破壊されていく。
美鈴はきっと心配してるだろう。
早く戻らねばならない。
俺は全身の雷を集める。
槍に力を集め空を割るほどの轟音を鳴らした。
「馬鹿な……その傷で、まだ力を出せるのか!」
風神が目を見開く。
「俺は死ぬわけにはいかないからな」
とっくにもう限界は来ている。
でも美鈴のことを思えばまだ一生身体を動かし続けることができる。
強さというのはそういうものなのだと知った。
「馬鹿め……!」
風神が吐き捨て、天嵐杖を振り下ろす。
それと同時に巨大な風の奔流が唸りを上げて迫ってくる。
──ドォン!
大気が裂け、周囲の岩肌が剥がれ落ちるほどの一撃。
その刹那、俺の手の中で雷槍が強く脈打った。
風神は攻撃をした後、隙を見せる。
やはりなにも変わっていないな。
ここで決める。
全ての力を込め、雷槍を突き出す。
「はあっ!」
稲妻が唸りを上げ、一直線に風神の胸元へ。
風の防壁が何重にも立ちはだかるが、雷は迷いなくそれを突き破った。
「……っぐ……!」
耳をつんざく轟音とともに、光の刃は嵐夜の胸を深々と貫いた。
風神の低い呻きが漏れる。
風神の目が大きく見開かれ、驚愕と苦痛の色が交じり合った。
次の瞬間、激しく荒れ狂っていた風が、ふっと力を失ったように止んでいく。
巻き上がっていた岩や瓦礫が重力に従って落ち、嵐鳴峡を包んでいた嵐がウソのように静まり始めた。
終わったのか……。
稲光が散り、静けさの中にただ俺の荒い呼吸だけが響く。
槍を引き抜くと、嵐夜はその場に崩れ落ちた。
天嵐杖が手から滑り落ち、地面に転がる。
風神の身体はぴくりとも動かなかった。
「終わった……」
俺は膝をつき、深く息を吐いた。
全身に走る痛みと重みを感じながらも、その光景を目に焼き付ける。
「はぁ……っ、はぁ……」
俺は荒い呼吸を繰り返し、空を見上げた。
雲の切れ間から一筋の光が差し込む。
――美鈴。
視界が白く染まりかける。
帰らねば……。
ゆっくりと立ち上がろうとするが意識が追いつかない。
その時。
──ドサ。
世界がゆっくりと傾き、音が遠のいていった。




