雷神の過去
今から13年前──。
領地侵略の権力争いが激化していた頃、俺と風神は毎日のように刃を交え戦いを続けていた。
「強いのは俺だ、雷神」
「ふん、ぬかしたこと……」
戦いは均衡。
どちらかが勝つこともなく1カ月にも渡る激しい戦いが続けられていた。
その戦いの末、俺たちは力尽きたようにどちらも人間界へと落ちていった。
「クッソ……」
俺は人のいない森の一角に横たわっていた。
身体がぴくりとも動けない。
声も出ないか……。
相当エネルギーを使ったらしい。
かろうじて目は開けるが、これはかなり長い時間休息が必要になるだろう。
風神との争いで受けた傷が痛み、身体の力が抜けていく。
意識が遠のいていく時、ほんのり温かい感触が体を包み込んだ。
「大変……ヒドイ傷だわ」
ゆっくりと目を開けるとそこにはか弱い人間の少女がいた。
人間か……。
彼女は、細い手で自分の服の袖をちぎると、俺の腕から流れている血を止血するように布で巻き付けた。
何をしてるのだ……。
こんなことしなくても、俺は休んでいれば治るというのに……。
「どうか、治って……」
彼女は祈るように手を合わせた。
そしてポケットの中から自分が食べるはずだった米を俺の前に差し出した。
当然手は動かない。
そっと口もとに近づけてくる無垢な彼女。
人間が食べるものを食べても仕方ないのに。
何にもならないことを知らないのだろう。
しかし、俺はゆっくりと口を動かした。
するとぱあっと顔を明るくさせて彼女は笑う。
「良かった……」
どうして人のことなのに、こんなに嬉しそうにするんだろう。
人間は弱くて愚かな生き物だとずっと思ってきた。
しかし、そうではない人間もいるらしい。
それから、彼女は来る日も来る日も俺のいる場所にやってきた。
時には雨に濡れ、時には泥まみれでそれでも笑って言った。
「今日も無事で良かった」
年端もいかない娘で、たった一人で森に分け入る姿は、どう見ても危うい。
だがその足取りにはためらいがなかった。
俺の傷が癒えていくにつれ、彼女は遠慮がちに言葉を交わすようになった。
「……森に入ったことがバレたらお母様に怒られてしまうから、秘密ね」
布に包んだ握り飯を手渡しながら、彼女は目を細めて笑う。
俺の横に座って、花の名前や村での出来事を話してくる。
人間は嫌いだ。
全てを神が動かしていると信じてやまない。
そういう愚かさが嫌いだった。
でも、この少女はどこか違う気がした。
「早くよくなってね」
彼女の手が、私の傷に優しく触れるたび、心が動かされる何かがたしかにあった。
それから3日が経った頃。
彼女はいつもの時間になっても来なかった。
そろそろ飽きたか。
別に楽しくもないことを続ける義理も少女にはない。
これでいい。
そんなことを考えていた時。
──ドスン、ドスン。
地響きのような音と共に、黒い塊が姿を現した。
「ッ……」
巨大な熊のような獣……いや、それ以上だ。
人間の三倍はあろうかという巨体。
毛は斑に逆立ち、赤黒く濁った目がぎらついている。
その獣は動けない俺を捉えた。
なるほど。
殺そうというのか。
そういう眼差しをしていた。
ただ、俺はまだ指先をピクリとも動かせない。
身体を動かせなければ食われて終いだ。
するとその時。
「ダメ……!」
木陰から、あの少女が駆け出してきた。
「この人に手を出さないで……!」
そんなことを言って俺に覆いかぶさるように手を前に広げた。
なにをしているのだろう。
か弱き人間が、神などを守れるはずもないのに……。
この少女はどうして、自分を犠牲にしてまで知らない者を守ろうと思えるのか。
──知りたくなった。
動かない身体を奮い起こす。
やらねばならいない。
その巨体が、地を蹴った。
こちらに向かってくる獣。
俺は、立ち上がった。
半壊した神力を無理に繋ぎ合わせる。
この状態でどれくらいできるか。
肉体は軋み、視界は赤く滲む。
だが、それでも構わなかった。
「……吠えるな、下等獣」
雷の奔流が、大気を裂く。
そして一瞬で、空気が変わった。
轟と音を立てて、稲妻が獣の足元を貫いた。
「グォォッ!!」
獣が吠え、後ずさる。
雷がまとった熱気と力の奔流に恐れをなし、獣は木々の間を跳ねるように逃げていった。
少女は呆然と立ち尽くしていた。
「あ、あなたは一体……」
その瞳に、俺の姿が映っている。
そして怯えるように俺を見ていた。
何かを言いかける唇。
だが、それを制するように俺はそっと手を上げた。
「借りは返した。もうここへは来るなよ」
そう言い残し、俺は全身から力を解き放つ。
空が割れるように光を放ち、俺の姿は霧のように消えていった。
「はぁ……はぁ……」
なんとか天上に戻ってくることが出来た。
本来ならもう少し時間が必要だっただろう。
彼女を助けなければという使命感を俺を動かした。
バタっとその場に倒れ込む。
「クッソ……」
身体は動かなかった。
彼女から離れたのは、もうこれ以上彼女を危険にさらさないため。
森の中は何がいるか分からない。
人間のか弱き少女が適うものではない。
仮は返した。
もう必要はないだろう。
そして、時は過ぎた。
それから彼女に会うことは一度もなかった。
そう、あの時、生贄として彼女が差し出されるまでは。
『村……を、村に雨を……』
あの日、神に捧げるものとしての儀式が行われていた。
またやってるのか。
愚かな者たちだ。
いつも興味を持つことはない。
でも今回は違った。
生贄の岩と呼ばれたところに横たわる娘がいた。
あの時の娘だとすぐに気づいた。
なぜ彼女がここに……?
人間は困った時、神になにかを捧げようとする。
まさか……彼女が選ばれたのか。
そう思ったら、俺はとっさに助けていた。
大きな稲妻を鳴らし、彼女の身体を支え天上へと連れていく。
娘はひどく衰退していた。
「全く、愚かだな……」
助けられた仮はもう返した。
だから返す必要はない。
でも……。
なぜか見逃すことが出来なかった。




