第8話「読み筋はどこに」
将棋部の部室が荒らされてから二日。
噂はあっという間に校内を駆け巡り、騒ぎが広まるのに時間はかからなかった。
「副部長の小田原が怪しい」とか、「一年の誰かが恨みを持ってた」とか、根も葉もない話ばかり。
けれど俺は、違うと感じていた。
それは、“現場”の空気だ。
あの部室の荒らされ方は、乱雑に見えて、どこか「計画的」だった。
駒はバラバラに散っていたが、一つひとつは壊されておらず、棚も倒されてはいなかった。
壊すことが目的ではなく、「荒らされた印象を残す」ために整えたような跡。
あまりに、作為的だった。
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放課後。俺は一人で再び将棋部の部室を訪れた。
部屋はざっと片付けられていたが、それでも違和感は残っている。
破られた部誌の一部はゴミ箱に残っていた。ページの端が妙にきれいに裂かれている。
──まるで、特定の部分だけを狙って破いたような痕跡。
部誌には、過去の大会出場記録や、顔写真つきの部員紹介ページもある。
ターゲットは“将棋部全体”ではない。
あるいは、“ある部員”をピンポイントで狙った可能性がある。
だとすれば──誰が、何のために?
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翌日、俺は空き時間に図書室で過去の部活動記録に目を通した。
将棋部の最近の成績は目立ったものではないが、部誌に載っていた写真に見覚えのある顔があった。
小田原だけじゃない。
昨年の文化祭で展示を手伝っていた外部の生徒や、隣のクラスの生徒など──断片的に、何人かの名前が頭に浮かんでくる。
中には、将棋部に短期間だけ在籍してすぐ辞めた人物もいた。
──可能性は複数ある。
部員による内部犯。
将棋部に近しかった元部員。
あるいは、部とは関係ないが、特定の人物に執着している誰か。
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俺は紙に、それぞれの“仮説”を書き出してみた。
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① 内部犯説
•利点:鍵の所在や部室のレイアウトを熟知している
•動機:部内の人間関係、嫉妬、もしくは保身
② 元部員説
•利点:過去の部誌に関与していた可能性、部誌が破られたのはその記録を消すため?
•動機:かつてのトラブル、復讐的な感情?
③ 外部犯説
•利点:部誌の情報から部員に個人的な感情を抱いている者(恋愛、羨望、劣等感)
•動機:将棋部員の誰かが気に入らなかった、あるいは鎌倉ほのかとの接点に嫉妬した?
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メモを見ながら、俺はふと気づいた。
犯行があったのは中間テスト直前の週の放課後。
誰もが忙しく、教室から部室へ足を運ぶ生徒は限られている。
逆に言えば──「その時間にわざわざ動ける人間」が、犯人か、それに近い存在ということだ。
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さらにもう一つ、気になる点があった。
──将棋盤の駒の配置。
事件当日、盤上は「中盤戦の途中」で終わっていた。
だけど、残されていた駒の位置は、将棋としては不自然な動きだった。
俺はスマホの将棋アプリで再現してみる。
……うん、おかしい。
誰かが途中から、無意味な手をいくつか指していた形跡がある。
あえて“戦況が分かりにくい形”にするような──
「偽装」だ。
将棋に詳しくない人間なら気づかないが、少しでも指せる者なら、駒の並びに違和感を覚える。
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誰かが、将棋盤を「事件らしく見せかけるため」に触っていた。
つまり犯人は、将棋部の部員ではない可能性がある。
なぜなら、ちゃんと将棋が指せる人間なら、あんな雑な手は打たないからだ。
となると、やはり外部犯?
でも、ここで問題になるのは動機だ。
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俺は、部誌の破れた部分を再度思い出す。
ちょうど破かれていたのは──写真が並んでいたページ。
表紙やコラム部分ではない。
顔を見られたくなかった。
もしくは、顔を消したかった。
あるいは、そこに写っていた“誰か”に怒りが向いていた?
その中には、鎌倉も写っていた。
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その日の夜、スマホで文化祭や部活動紹介ページを検索していた時、俺はある事実にたどり着いた。
去年の文化祭、将棋部と演劇部が合同で展示を出していた年があった。
その時、ある男子が短期間だけ将棋部に出入りしていたという書き込みが、SNSに残っていた。
──ただし、すぐに退部している。
そして、彼の名前は、俺が昼休みに書き出したメモの端にあった人物だった。
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俺は推理をここで止めた。
まだ決めつけるには、証拠も材料も足りない。
ただ──確かに、“将棋をちゃんと知らない誰か”が、
“将棋部に対して何かの怒りや嫉妬”を抱き、
“事件に見せかけて混乱を作りたかった”。
その線は、少しずつ浮かび上がりつつある。
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翌朝。
教室に入ると、鎌倉がプリントを机に置いてきた。
何気ないやり取りの中、彼女が小さくつぶやいた。
「……あの事件、将棋部の子がかわいそうだったね」
「小田原のこと?」
「うん。あの子、ずっと前に……図書室で、私に話しかけようとして、結局できなかったことがあって」
「そのとき、誰かに見られてた?」
鎌倉は驚いたように目を丸くした。
──図星か。
つまり、事件の起点はそこだ。