第6話「気づきたくなかった視線の距離」
逗子くんの隣の席に座ってるのは、私だ。
だけど、ここ数日──
その「偶然」を意識する回数が、なんだか増えてきた。
「……ねぇ逗子くん、今日は帰り寄り道しない?」
昼休み。私は、できるだけ自然に声をかけたつもりだった。
彼は相変わらず、ノートに何か書き込んでいた。
それが授業内容じゃないことは、もう知ってる。
「今日は無理。ちょっと人と約束してる」
私はその一言に、ほんの一秒だけ心が止まった。
──誰と?
思ってもいない自分の反応に、慌てて笑ってごまかした。
「そっか、じゃあまた明日ね」
いつも通りの声で。できるだけ“気にしてません”って顔で。
放課後。私は少しだけ教室に残って、机に教科書を並べていた。
外がうっすらオレンジに染まっている。もう誰もいないはずだった。
けれど、ふと視界の端で動く影があった。
窓際の席。逗子くんの前の席に──
見慣れない背中が見えた。
……見慣れない、なんて思ったのはウソだ。
その子はいつもそこにいた。ただ、誰も見ていなかっただけ。
ボブカットにメガネ。小柄で、猫背気味。
クラスでもたぶん、話したことのある人は数えるほど。
そんな彼女が、逗子くんの前で、少しだけ笑っていた。
逗子くんも、珍しく……ちゃんと笑い返していた。
──それを見て、なぜか息がしづらくなった。
次の日、彼女はいつもと少し違っていた。
メガネがない。
代わりに、前髪を少し整えたような顔。
クラスの数人が「あれ、誰?」「なんか今日可愛くない?」と囁いていた。
私は黙って席に座り、机の上のペンをじっと見ていた。
「……おはよう」
聞き慣れない声に顔を上げると、その彼女が私の席の隣に立っていた。
「昨日、教室に忘れ物してたよ。これ」
差し出されたのは、ノートだった。
「……ありがとう。えっと……」
「厚木 凛。初めて話すね」
彼女──厚木さんは、そう名乗った。
“凛”という名前が、彼女の無口な印象と少しだけズレていて、
そのことがなぜか、私を余計にモヤモヤさせた。
放課後、昇降口。
私はわざと靴を履くのを遅らせて、階段の向こうを見ていた。
逗子くんと厚木さんが、一緒に歩いていた。
遠くからだから表情は見えない。
でも、空気は分かる。
自然だった。あまりにも。
私と話すときの逗子くんは、少し“間”を置く。
でも今の彼は、リズムが合っていた。隣を歩く誰かと。
……どうして?
何が悔しいんだろう。
彼が別に誰と仲良くしたっていい。私はただのクラスメイト。
でも──でも。
“彼は、私のとなりの席の人”だったのに。
その夜。
スマホの画面を何度もスクロールしたあと、私はふと思った。
私、いつから──
逗子くんのこと、見てたっけ?
最初は、ただの変な人。
目立たないけど、妙に推理が鋭い。口数は少ない。無愛想。
でもその視線の奥にあるものを、
ほんの少し知ってから──
彼が他の誰かに向ける視線が、怖くなった。
月曜の朝。ホームルームが始まる前。
いつもよりほんの少しだけ早く教室に入ると、厚木さんが逗子くんと話していた。
笑ってる──というより、口元が少し緩んでいる。それだけで、違って見えた。
「おはよう、逗子くん」
私は笑顔を作って挨拶した。
彼は「おはよう」と短く返し、厚木さんは軽く会釈をした。
その仕草が、なんだか“親密”に見えてしまったのは、たぶん私の心が歪んでいるせい。
席に着いてから、私はノートを取り出すふりをしながら二人の方に気を配っていた。
──あれ、昨日までそんな距離感じゃなかったよね?
なんでそんな自然に話してるの?
なんで、彼がそういう顔を見せるのが私じゃないの?
⸻
授業が始まっても、集中できなかった。
厚木さんの声は小さいけど、たまに笑うと喉が震えるような音を立てる。
そのたびに、逗子くんがそちらに目をやる。
私の手の中のシャーペンが、少しだけ力を込めた。
⸻
昼休み。
廊下で厚木さんを見かけた。
彼女が誰かと話しているのを、私は初めて見たかもしれない。
……すごいことなんだ。たぶん。
でも、喜べなかった。
「ねぇ、逗子くんってさ」
私は思い切って話しかけた。二人きりになった瞬間を狙って。
「何?」
「厚木さんと……最近よく話すね」
「うん、まぁ、話す機会があっただけ」
“だけ”じゃないって、分かる。
彼の返しは、いつも簡潔。でも、曖昧さも含んでる。
「そっか」
私はそれだけ言って、話を終わらせた。
本当は聞きたかった。「彼女のこと、どう思ってるの?」って。
でも、聞いたら負けな気がした。
答えによっては、自分がすごくちっぽけに思えるから。
⸻
放課後。
靴箱で逗子くんが誰かを待っていた。
たぶん──厚木さん。
私は、廊下の柱の陰で、靴を履くふりをして立ち尽くした。
彼の前を通りたくなかった。
顔を合わせたら、きっと顔に出てしまう。
自分でもよくわからない、この感情が。
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好きとか、嫌いとか、そういうはっきりした言葉ではなくて。
ただ、「逗子くんが、私の知らない顔を他の誰かに見せるのが嫌」。
それだけだった。
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