第52話「モヤモヤクリスマス」
体育祭の熱気も冷め、街は少しずつクリスマスムードに染まり始めていた。ショーウィンドウは煌びやかなイルミネーションで飾られ、街角からはクリスマスソングが聞こえてくる。俺――逗子悠人の心は、そんな街の賑わいとは裏腹に、ある一つの想いでざわついていた。それは、厚木凛とクリスマスを過ごしたい、という願いだ。
体育祭での不審者事件以来、厚木への俺の気持ちは一層募るばかりだった。彼女の冷静さ、的確な判断力、そして時折見せる人間らしい感情の欠片。あの緊迫した状況でも動じない彼女の姿は、俺の目に特別な輝きを放っていた。しかし、あの後夜祭での会話で、俺の好意をいなされた記憶は、まだ鮮明に残っている。それでも、この聖夜だけは、彼女と二人きりで過ごしたい。そんな淡い期待を抱きながら、俺はメッセージツールを開いた。
慎重に言葉を選び、メッセージを送信する。
「厚木。クリスマス、もしよかったら、二人でどこか行かないか?」
送信ボタンを押した瞬間、心臓が大きく跳ねた。既読が付くまでが、やけに長く感じられる。数分後、既読が付き、すぐに返信が来た。
『ごめんなさい、逗子くん。今年も、みんなで過ごす予定になっているわ』
その短い一文に、俺の期待は打ち砕かれた。去年と同じ「みんなで」という言葉が、まるで厚木の壁のように立ちはだかる。彼女は、俺からの特別な誘いを、あくまで「いつもの仲間との予定」として処理したのだ。
分かっていた。分かっていたはずなのに、胸の奥がチクリと痛む。厚木は、俺の好意に気づいている。だからこそ、余計な波風を立てないよう、明確な「NO」を突きつけるのではなく、「みんな」という言葉で、やんわりと拒否したのだろう。彼女らしい、合理的で、無駄のない返事だ。
「そ、そうか。分かった」
俺は、短い返信を送った。
その日の夜、リビングで考え事をしていると、母親が顔を覗き込んできた。
「悠人、今年のクリスマスは何の予定があるの?」
「いや、去年と同じで、みんなで俺の部屋でパーティーをする予定だ」
俺がそう答えると、母親は少し寂しそうな顔をした。
「そう。もう家族で過ごすことも減ったわね。でも、お友達と楽しく過ごすのが一番ね」
母親の言葉に、俺は少しだけ罪悪感を覚えた。
クリスマス当日。俺の部屋には、いつものメンバーが集まっていた。茅ヶ崎リオ、鎌倉ほのか、小田原朝陽、そして厚木凛。
リオは、サンタ帽をかぶって、クリスマスソングを口ずさんでいる。小田原は、大量のフライドチキンを抱えて現れ、鎌倉は、手作りの可愛らしいクッキーを差し入れた。厚木は、いつものように冷静に、しかし、どこか楽しそうに、パーティーの準備を手伝ってくれる。
俺の部屋は、飾り付けもそこそこに、すぐに賑やかになった。
「かんぱーい!」
小田原の掛け声で、ジュースの入ったグラスを打ち鳴らす。
「メリークリスマス!」
みんなの笑顔が、部屋いっぱいに広がる。
チキンを食べ、ピザを頬張り、鎌倉の手作りクッキーを味わう。ゲームをしたり、他愛ない話をしたり、いつもと変わらない、しかし、温かい時間が流れていく。
厚木は、パーティーの中心にいるわけではないが、俺が話しかければ、きちんと耳を傾けてくれる。彼女の横顔を見つめながら、俺は、この空間に彼女がいることの喜びを噛み締めていた。たとえ、二人きりではないとしても、彼女が、俺の隣で笑っていてくれる。それだけで十分だ、と自分に言い聞かせた。
リオは、俺の隣で楽しそうに笑っている。彼女は、告白の件以来、以前と変わらず俺に接してくれている。その強さに、俺は改めて感謝した。
小田原は、鎌倉と何やら楽しそうに話している。二人の間には、確かな信頼と、もしかしたらそれ以上の感情が芽生えているのかもしれない。俺は、その様子を温かく見守った。
パーティーは、あっという間に時間が過ぎた。日付が変わる少し前、みんなはそれぞれの家へと帰っていった。
「逗子くん、今日はありがとう! すごく楽しかったよ!」
リオが、満面の笑顔で俺に手を振る。
「逗子、またな!」
小田原が、肩を組んで去っていく。
「逗子くん、ありがとう。クッキー、食べてくれて嬉しかった」
鎌倉が、控えめに微笑んで頭を下げた。
そして、最後に厚木が、俺の部屋を出る前に、静かに振り返った。
「逗子くん。今日はありがとう。楽しかったわ」
彼女の言葉は、いつも通り淡々としていたが、その瞳の奥には、ほんのわずかながら、優しい光が宿っているように見えた。俺の、厚木を二人きりで誘ったメッセージのことは、もう彼女の頭にはないかのようだった。
「ああ、お疲れ様」
俺は、そう答えるのが精一杯だった。
厚木の背中が、暗闇の中に消えていく。残された部屋は、先ほどの賑やかさが嘘のように静まり返っていた。俺は、厚木への想いを胸に、静かにクリスマスの夜を終えた。
クリスマスが終わり、世間は一気に年末モードに突入した。学校も冬休みに入り、生徒たちはそれぞれの年末年始の計画を立てていた。しかし、俺の頭の中には、すでに次の計画があった。それは、来年の志望校を具体的に見に行くことだ。
大学受験まで、あと一年。漠然とした目標ではなく、具体的な場所を訪れ、その雰囲気を肌で感じることで、受験勉強へのモチベーションをさらに高めたい。そして、どうせなら、いつもの仲間たちと一緒に、この経験を分かち合いたいと思った。
冬休みに入ってすぐ、俺はメッセージツールで、いつものメンバーに連絡を取った。
「みんなに提案がある。冬休みの間に、いくつか大学を見に行かないか? 来年の受験に向けて、実際に見て、肌で感じることで、受験勉強の糧になると思うんだ」
メッセージを送信すると、すぐに反応があった。
リオからは、『えー! 大学!? なんか難しそうだけど、逗子くんと一緒なら面白そう! 行く行くー!』という、弾むような返信。
小田原からは、『おお! それはいいな! 俺も最近、将来のこと考え始めてたんだよな。どこ行くんだ?』と、乗り気な返信。
鎌倉からは、『大学見学……! 私も、どんなところか見てみたかったです。ご一緒させてください』と、控えめながらも意欲的な返信。
そして、厚木からは、『合理的な提案ね。実物を見ることは、目標設定において有効な手段だわ。私も参加する』という、俺が予想した通りの、冷静かつ肯定的な返信が来た。
みんなが賛成してくれたことに、俺は安堵した。特に、厚木が参加してくれることが、俺には一番重要だった。
数日後、俺たちは最初の大学見学のため、都内にある国立大学のキャンパスへと向かった。冬の澄んだ空気の中、広々としたキャンパスには、受験生らしき生徒や、冬休み中の大学生の姿が見られた。
「うわー、広い! なんか、テレビで見る大学って感じだね!」
リオが、目を輝かせながらキャンパスを見渡す。
「やっぱ、国立は違うな! 建物もデカいし、なんか頭良さそうなオーラがするぜ!」
小田原が、感心したように言った。
鎌倉は、静かに周囲を見渡し、建物の建築様式や、学生たちの雰囲気を観察している。
そして厚木は、大学のパンフレットを広げ、真剣な眼差しで、キャンパス内の配置図や、学部の説明を読み込んでいる。彼女の集中力は、どんな場所でも変わらない。
俺たちは、広大なキャンパスを歩き、講義棟や研究室、図書館などを見て回った。学生食堂で昼食を取り、大学生活の雰囲気を肌で感じた。
「なんか、大学生って、みんな自分の好きなことしてるって感じだね」
リオが、感心したように言った。
「だな。高校とは全然違う雰囲気だ。ここで勉強したら、すげえ賢くなれそう!」
小田原が、興奮気味に腕を組んだ。
鎌倉は、図書館の蔵書数に圧倒されているようだった。
「こんなにたくさんの本があるなんて……。ここでなら、色々なことを深く学べそうです」
彼女の声は、控えめながらも、憧れに満ちていた。
俺は、厚木の方を見た。彼女は、静かに周囲の学生たちを観察している。
「厚木は、どう感じた?」
俺が尋ねると、厚木は、パンフレットから顔を上げた。
「そうね。やはり、学術的な追求には、最適な環境だわ。研究設備も充実しているし、学べる範囲も広い。私の考えていた通りよ」
彼女の言葉は、具体的で、すでに明確な目標を持っていることが伺えた。
「厚木は、もう志望校、決めてるのか?」
俺がそう尋ねると、厚木は、俺の目を見て、わずかに微笑んだ。
「ええ。ある程度の目星はつけているわ。ここは、その候補の一つよ」
彼女の言葉は、俺の胸に、新たな熱を灯した。厚木と同じ大学を目指す。それは、俺の受験勉強への、大きなモチベーションになり得るだろう。しかし、同時に、彼女の目指す場所が、俺の想像以上に高い壁であることを悟った。
都内の国立大学見学を終え、俺たちはその後、いくつか異なるタイプの大学にも足を運んだ。都心にある私立大学の、活気あふれる雰囲気。郊外にある大規模な総合大学の、広々とした開放感。それぞれの大学が持つ個性や特色を肌で感じることができた。
どの大学でも、厚木は真剣な眼差しでキャンパスを観察し、パンフレットを読み込み、時には興味深そうに研究室の展示を眺めていた。彼女の知的好奇心は、とめどなく溢れているようだった。
「厚木は、本当に勉強が好きだな」
俺がそう言うと、厚木は、少しだけ顔を上げて、俺の目を見た。
「好き、というよりは、知りたいことの追求、という方が正確ね。世の中の構造や、人間の心理、未知の事柄について、深く掘り下げて理解したいの。そのための最適な場所が、大学だと考えているわ」
彼女の言葉は、いつものように理路整然としていたが、その瞳の奥には、確かな情熱が宿っていた。その情熱が、俺の心を強く揺さぶった。
厚木の隣で、俺は、自分の将来について、より具体的に考えるようになった。これまで、なんとなく大学へ行こうと考えていた俺にとって、彼女の明確な目標意識は、大きな刺激になった。
小田原も、大学見学を通して、自分の興味の方向性を見つけ始めたようだった。
「なんかさ、俺、最初はよくわかんなかったけど、色々な大学見てたら、ここ面白そう!って思うところが出てきたわ。逗子、誘ってくれてサンキューな!」
小田原が、俺の肩を叩く。彼の顔には、希望に満ちた笑顔が浮かんでいた。
リオは、学部学科の内容よりも、大学の雰囲気や、サークルの活動に興味津々だった。
「この大学、めっちゃオシャレなカフェがあるー! あと、演劇サークルも楽しそう!」
彼女らしい視点だが、それもまた、大学生活の一部だ。
鎌倉は、図書館や、研究室の展示に強い関心を示していた。
「この大学の歴史学の先生は、とても有名なんですって。私も、もっと深く学んでみたいです」
彼女の知的好奇心も、大学見学を通して刺激されたようだった。
大学見学の最終日、俺たちは、駅前のカフェで、今日までの感想を話し合っていた。
「こうして実際に見てみると、やっぱり違うな。モチベーションが上がったよ」
俺がそう言うと、厚木は頷いた。
「ええ。漠然とした目標が、より明確になったはずよ。視覚的な情報は、脳に定着しやすいもの。今回の経験は、今後の学習において、良い刺激になるはずだわ」
厚木の言葉は、いつもながら的確だ。
「よし、これで年末年始は、ゆっくり休んで、年明けから、本格的に受験勉強を頑張るぞ!」
小田原が、力強く宣言した。
「うん! 私も、頑張るよ!」
リオが、笑顔で拳を握る。
「私も、自分の目標に向かって、精一杯努力します」
鎌倉も、決意を新たにしたようだった。
そして、俺は、厚木の目を見つめた。
「俺も、頑張る。厚木に負けないように、そして、いつか、お前と同じ場所で、隣で、また学べるように」
俺の言葉に、厚木は、一瞬だけ、目を大きく見開いた。そして、すぐに視線を逸らし、口元に微かな笑みを浮かべた。
「そう。それは、あなたにとって、良い目標設定ね」
彼女の声は、やはり冷静だったが、その言葉の裏には、俺の決意を認めるような、優しい響きがあったように感じられた。
年末が近づき、街は一層慌ただしくなる。受験という大きな壁を前に、俺たちの冬休みは、未来を見据える大切な時間となった。クリスマスに厚木と二人きりで過ごす夢は叶わなかったが、彼女の知的好奇心に触れ、彼女と同じ未来を目指せるかもしれないという希望が、俺の心に宿った。




