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第49話「後夜祭」

文化祭の熱狂は、夜の帳が降りても冷めることはなかった。湘陽高校のグラウンドには、後夜祭の準備が整えられ、煌めく提灯やイルミネーションが、昼間の喧騒とは異なる幻想的な雰囲気を醸し出していた。各クラスの出し物が終わり、生徒たちは解放された喜びと、やり遂げた達成感で溢れていた。


俺たち2年A組の「レトロ喫茶:時の旅人」も大成功を収め、その片付けを終えたばかりだった。埃とコーヒーの匂いが混じった教室の中で、俺たちはへとへとになりながらも、互いの顔を見合わせて笑っていた。


「みんな、本当にお疲れ様! いやー、まさかあんなに大勢のお客さんが来てくれるとはな!」


小田原が、汗だくの顔で満面の笑みを浮かべた。彼の隣では、鎌倉が嬉しそうに頷いている。二人の間には、文化祭の準備を通して、確かな絆が芽生えているのが見て取れた。


「うん! 私、途中でもう無理かなって思ったけど、逗子くんがいてくれたから、最後まで頑張れたよ!」


リオが、弾けるような笑顔で俺に駆け寄ってきた。彼女は、まだ興奮冷めやらぬ様子で、俺の腕を掴んでブンブンと揺さぶる。その無邪気な好意は、俺の胸にじんわりと温かいものを広げた。


「みんなの頑張りがあったからこそだ。俺一人じゃ、何もできなかった」


俺は、リオの頭をポンと叩きながら言った。


厚木は、そんな俺たちを少し離れた場所から静かに見ていた。彼女は、片付けの最終確認をしているのか、手元のチェックリストに目を落としている。彼女の冷静で、しかしどこか優しい眼差しに、俺は無性に惹かれていた。あの病室での一言以来、厚木の存在は、俺の中で特別なものになっていた。


「ね、逗子くん! 後夜祭、行こうよ! みんなで花火とか、見よう!」


リオが、俺の腕を引っ張りながら言った。


その時、鎌倉が、少しだけ遠慮がちに俺に近づいてきた。


「あの、逗子くん……もし、よかったらなんだけど……私と、後夜祭の少しだけ、一緒に回ってくれないかな?」


鎌倉の顔は、ほんのり赤く染まっている。彼女は、去年の花火大会のように、俺と二人きりで過ごしたいと願っているのだろう。彼女の視線は、期待と不安が入り混じっていた。


リオが、一瞬、鎌倉の方に目をやった。その表情には、ほんのわずかな驚きと、戸惑いが浮かんでいた。リオも、鎌倉が俺に好意を抱いていることに、薄々気づいているのかもしれない。


俺の心は、激しく揺れた。鎌倉の優しい眼差し、リオの無邪気な好意。二人の気持ちは、俺にとって大切なものだ。しかし、今、俺が一番話したい相手は、別の場所にいた。


俺は、厚木の方を見た。彼女は、俺たちの視線には気づかないふりをして、ひたすら作業に没頭している。その姿が、俺の決心を固めさせた。


「ごめん、鎌倉。リオ。俺、ちょっと厚木と話したいことがあるんだ」


俺の言葉に、鎌倉の顔から、一瞬にして表情が消えた。彼女は、すぐに俯き、何も言わなくなった。リオも、俺の言葉に驚いたように目を丸くし、掴んでいた俺の腕をゆっくりと離した。


「そ、そうなんだ……」


鎌倉の声は、か細く、今にも消え入りそうだった。


俺は、心を締め付けられるような痛みを覚えた。だが、今、俺が一番に向き合うべきは、厚木だった。俺は、二人に背を向け、厚木のもとへと向かった。


「厚木」


俺が声をかけると、厚木はゆっくりと顔を上げた。彼女の目は、俺の言葉が鎌倉とリオに与えた影響を、すでに察しているようだった。


「どうしたの?」


厚木の問いかけは、いつも通り冷静だったが、その声には、どこか警戒の色が滲んでいるように感じた。


「少し、話がある。二人きりで」


俺の言葉に、厚木は一瞬、迷うような表情を見せたが、すぐに無表情に戻った。


「わかったわ。じゃあ、片付け、もう終わりそうだし、少し外に出ましょうか」


彼女はそう言い、先に教室を出て行った。俺は、後ろに立つ鎌倉とリオに、もう一度、心の中で謝罪をしながら、厚木の後を追った。


文化祭の喧騒が、背後で遠ざかっていく。俺と厚木は、グラウンドの隅にある、人目につきにくい木陰へと向かった。そこからは、後夜祭のステージで演奏されるバンドの音楽と、生徒たちの楽しそうな声が、かろうじて聞こえてくる。


「何かしら、改まって」


厚木は、いつものように腕を組み、冷静な声で言った。だが、彼女の視線は、俺の目を真っ直ぐに見つめていた。その瞳の奥には、どこか、俺の言葉を試すような、あるいは受け止めようとするような、複雑な感情が揺れているのが分かった。


俺は、どう切り出すべきか迷った。あの病室で、彼女が小田原の行動に感謝した、あの小さな呟き。そして、今回の文化祭で、彼女と協力し、成功を収めたこと。それら全てが、俺の厚木への感情を、確実に深くしていた。


「文化祭、お疲れ様。お前がいてくれたから、俺たちは成功できた」


まずは、感謝の言葉から。俺がそう言うと、厚木は少しだけ目を細めた。


「それは、あなた一人でやったことではない。みんなの協力があったからよ。それに、あなたの統率力も大きかったわ」


彼女は、俺の言葉を素直に受け止めず、いつものように論理的に返してきた。だが、その言葉の裏に、かすかな喜びのようなものが感じられたのは、俺の気のせいだろうか。


「それでも、お前の存在は、俺にとって大きかった。俺は、お前の冷静な分析力と、的確な判断力に、何度も助けられた」


俺は、一歩踏み込んで、本心を伝えた。


厚木は、相変わらず無表情を装っているが、その頬が、ほんのわずかに赤みを帯びたように見えた。


「それは、私が自分の役割を果たしたまでよ。あなたも、今回の文化祭で、言葉の力を良い方向で使うことを学んだ。それは、大きな進歩だわ」


彼女は、話題を俺の成長へとすり替えた。逃げているのか、それとも、俺の好意を受け止める準備ができていないのか。


「ああ、そうかもしれない。俺は、今回のことで、また一つ学んだ。言葉は、ただ相手を論破するためだけにあるんじゃない。人を動かし、喜びを分かち合うためにもある、と」


俺は、そう言って、厚木の目を見つめた。


「お前は、いつも冷静で、的確なアドバイスをくれる。俺が暴走しそうになった時も、いつも俺を正しい道に戻してくれる。お前は、俺にとって……いや、俺たちにとって、かけがえのない存在だ」


俺の言葉に、厚木はわずかに視線を逸らした。彼女の顔には、困惑の色が浮かんでいるように見えた。


「私は、ただ、客観的な視点から、状況を判断しているだけよ。それが、私の役割だから」


彼女は、素っ気ない声で、まるで自分に言い聞かせるように言った。


「役割、か。だが、お前がいてくれるから、俺は、もっと先へ進める気がする。もっと、多くの人の役に立てる気がするんだ」


俺は、さらに畳みかけた。俺の感情は、もう抑えきれなくなっていた。


厚木は、一度深く息を吐いた。そして、俺から視線を外し、遠くで輝く後夜祭のイルミネーションに目を向けた。


「逗子くん。あなたは、いつも真っ直ぐね。あなたのそういうところは、良くも悪くも、多くの人を惹きつける」


彼女の言葉は、まるで他人事のように聞こえたが、その声には、わずかな震えが混じっていた。


「茅ヶ崎さんが、あなたに好意を抱いているのは、私でも分かる。鎌倉さんも、去年の花火大会以来、あなたに特別な感情を抱いている。今日の彼女の誘いも、その表れでしょう」


厚木は、突然、リオと鎌倉の好意について言及した。彼女は、俺の周りの人間関係を、すべて把握している。その洞察力に、俺は改めて驚かされた。そして、彼女が、俺に自分の気持ちを伝えようとすることを、遠回しに牽制しているようにも感じられた。


「お前は……気づいていたのか」


「ええ。あなたも、薄々気づいていたでしょう? あなたは、聡い人だもの」


厚木の言葉は、俺の心を射抜いた。そうだ。俺は、ずっと前から、二人の好意に気づいていた。しかし、それにどう向き合えばいいのか分からず、見て見ぬふりをしてきた。


「そんなあなたに、私が何かを言う必要はないわ。あなたは、自分で答えを見つけられる人だから」


厚木は、そう言って、俺から距離を取るように一歩下がった。


俺の胸に、失望と、そしてわずかな苛立ちが湧き上がった。彼女は、俺の好意を、まるで厄介なもののように扱っている。


「俺は、お前と話したかったんだ。お前の意見を聞きたかった。お前の……気持ちを」


俺は、思わず声を荒げた。


厚木は、再び俺の方を向いた。彼女の目は、いつになく真剣だった。


「私の気持ち? それが、今、あなたに必要なことだとは思わないわ」


彼女の言葉は、冷たく、そして明確に俺を拒絶した。俺の顔に、血の気が引いていく。


「あなたは、今、多くの責任を背負っている。クラスのこと、そして、周りの人たちのこと。あなたの言葉は、大きな影響力を持つようになった。だからこそ、あなたは、自分の感情に流されるべきではない。もっと、広い視野で物事を判断する必要がある」


厚木の言葉は、俺の感情的な問いかけを、論理で粉砕した。彼女は、俺の好意を喜ぶ素振りを見せず、むしろ、俺が感情に流されることを戒めている。


俺は、何も言い返せなかった。彼女の言うことは、すべて正しい。俺は、リーダーとして、感情に流されるべきではない。だが、それは、俺の個人的な感情を、完全に否定することに他ならなかった。


後夜祭の音楽が、遠くで響き渡る。その音は、俺の心臓の鼓動と重なり、胸の奥で激しく鳴り響いていた。


厚木は、再び視線を遠くへ向けた。


「私は、この文化祭で、あなたが大きく成長したことを嬉しく思うわ。これからも、その力を、正しい方向で使ってほしい」


彼女の言葉は、俺への期待と、そして、どこか寂しさを含んでいるように聞こえた。だが、俺に向けられる好意は、そこにはなかった。少なくとも、彼女はそれを、俺に明かすつもりはないようだった。


俺の胸に、諦めと、そして微かな痛みだけが残った。厚木は、俺の好意を受け入れない。それは、彼女が、俺にとって手の届かない存在であることを、明確に突きつけられた瞬間だった。


厚木は、俺の言葉にそれ以上答えることなく、静かにグラウンドへと続く道を引き返し始めた。


「私は、まだ片付けが残っているから、これで失礼するわ」


彼女は、背中を向けたまま、淡々と言い放った。その声は、何の感情も含まれていないように聞こえた。


俺は、その場に立ち尽くしたまま、厚木の背中が暗闇の中に消えていくのをただ見つめていた。彼女は、俺の好意を、まるで迷惑なもののように受け流し、そして、俺を置いて去っていった。


俺の胸には、形容しがたい感情が渦巻いていた。彼女の冷静さ、的確な判断力、そして時折見せる人間らしい感情の欠片に、俺は強く惹かれていた。しかし、彼女は、決して俺の好意を受け入れようとはしなかった。


「なぜだ……」


俺は、声にならない声で呟いた。彼女は、俺の成長を喜び、俺の力を信じていると言った。だが、俺の個人的な感情には、一切向き合ってくれなかった。それは、俺が、彼女にとって、あくまで「能力を評価する対象」でしかないということなのだろうか。


グラウンドからは、後夜祭の盛り上がりが伝わってくる。楽しそうな生徒たちの声、軽快な音楽。しかし、俺の心は、その喧騒から切り離されたかのように、静かで、冷え切っていた。


俺は、彼女に拒絶されたのだ。


その時、背後から、優しい声が聞こえてきた。


「逗子くん……」


振り返ると、そこに立っていたのは、鎌倉ほのかだった。彼女の顔には、まだ少し悲しげな色が残っていたが、俺の姿を見て、心配そうな眼差しを向けている。


「厚木さんとは、話せたの?」


鎌倉が、俺の顔色を伺うように尋ねた。


俺は、何も答えられなかった。ただ、首を横に振った。


鎌倉は、俺の表情からすべてを察したのだろう。彼女は、そっと俺の隣に並び、何も言わずに、ただ静かに寄り添ってくれた。その優しさが、凍り付いた俺の心に、じんわりと温かい光を灯した。


「そっか……」


鎌倉は、それだけ言うと、俺の隣で、遠くの花火を見上げた。後夜祭のフィナーレを飾る、打ち上げ花火が、夜空に次々と大輪を咲かせ始める。ドォーン、という音と共に、色とりどりの光が弾け、そして、はかなく消えていく。


まるで、俺の厚木への想いのようだった。輝いて、そして、消えていく。


その時、もう一人、俺のそばに近づいてくる気配があった。


「逗子くん……大丈夫?」


茅ヶ崎リオだった。彼女の顔にも、俺を心配する色が浮かんでいた。彼女は、鎌倉と俺の間に割って入るようにして、俺の顔を覗き込んだ。


「リオ……」


リオは、俺の腕をそっと握った。彼女の手は、温かかった。


「厚木さん、いつもああだから……でも、逗子くんのこと、きっと心配してると思うよ」


リオは、厚木を庇うように言った。彼女の優しさに、俺はまた、胸を締め付けられた。


花火は、次々と夜空に打ち上がる。その光が、俺の周りの三人――鎌倉、リオ、そして小田原(彼は少し離れた場所で、俺たちの様子を伺っているようだった)の顔を照らし出す。


それぞれの好意が、俺を取り巻いている。


鎌倉の、控えめで、しかし深い優しさ。

リオの、明るく、真っ直ぐな好意。

そして、厚木の、冷静で、しかしどこか人間らしい、掴みどころのない魅力。


俺は、厚木に拒絶された痛みを感じながらも、一方で、この三人の存在に、深く救われていることを感じていた。


俺は、まだ、自分の進むべき道を見つけられていない。言葉の力、そして、それを使う責任。そして、この複雑に絡み合う感情の糸。


この夏の終わりに、俺の心は、新たな局面を迎えていた。花火の光が、俺の瞳に映り込み、未来への不確かな光を示しているようだった。


俺は、この痛みと、そして周りの温かさを胸に、前に進むしかないのだろう。

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