第44話「消えたなかに」
厚木が誘拐された翌日、俺たちは警察署にいた。今回は、単なるスマホの破損ではなく、未成年誘拐事件だ。警察も、ようやく本腰を入れて捜査に乗り出した。
俺たちは、昨日まで集めていた情報を全て警察に提供した。厚木の「見られている感覚」や「消毒液の匂い」、プラスチック片、医療カルテの切れ端、「Y.I.」のイニシャル、そして伊勢山祐子という看護師の名前。
刑事は、一つ一つの情報に真剣に耳を傾け、メモを取っていた。特に、医療カルテの切れ端と、厚木の親戚のおばさんの死に関する情報には、強い関心を示した。
「伊勢山祐子という看護師ですか……。早速、身元を調べてみます。それにしても、この医療カルテの切れ端と、彼女の親戚の患者さんの情報が合致するとなると……」
刑事は、難しい顔で腕を組んだ。
しかし、伊勢山祐子の身元調査は、難航した。彼女は、厚木の親戚のおばさんが亡くなった後、すぐにその病院を退職しており、住所も転居届が出されていないため、足取りが掴めないという。
「警察に任せるだけじゃ、だめだ。俺たちで、できることをするしかない」
俺は、小田原、鎌倉、リオにそう告げた。厚木を救うには、警察の捜査とは別の視点から、事件の真相に迫る必要がある。
「まずは、あのプラスチック片と医療カルテの切れ端を詳しく調べる。特に、カルテに塗りつぶされた部分。そこには、真実が隠されているはずだ」
俺は、残されたプラスチック片と医療カルテの切れ端を、ルーペでじっくりと観察した。プラスチック片は、使い捨て手袋の一部であることは間違いない。そして、紙片は、やはり医療カルテの一部で、その中に小さな文字が書き込まれていた。病名や薬の名前、そして投薬量などが記されているように見えたが、一部が塗りつぶされている。
「この塗りつぶされた部分……小田原、リオ、これ、何とか解析できないか?」
俺は、デジタル技術に強い小田原と、情報収集能力の高いリオに協力を求めた。
小田原は、スマホのカメラでカルテの切れ端を撮影し、画像編集ソフトで光の加減やコントラストを調整した。すると、奇跡的に、塗りつぶされた部分から、かすかに文字が浮かび上がってきた。
それは、通常量の3倍を示す数字と、別の薬の名前だった。
「これだ……! 投薬ミスだ!」
小田原が、興奮して叫んだ。
「そして、この薬……厚木の親戚のおばさんが飲んでいた薬とは違うわ」
鎌倉が、驚いたように言った。
もし、厚木の親戚のおばさんの死が、この薬の誤投薬によるものだとしたら。そして、伊勢山看護師が、その医療ミスに関わっていたとしたら? あるいは、その医療ミスの事実を知っていて、それを隠蔽しようとしたとしたら?
その夜、リオが、SNSでの情報収集で驚くべき事実を発見した。
「逗子! 見てこれ!」
リオが、興奮した顔でスマホの画面を俺に見せた。そこには、去年の夏、横浜市内の総合病院で医療ミスによる患者の死亡事故が立て続けに起きていたという、匿名の告発記事が掲載されていた。そして、その告発記事には、「Y.I.」というイニシャルの看護師が関与しているという記述があった。
「医療ミスによる死亡事故が立て続けに……そして、病院による隠蔽。これは、ただの噂では済まされない」
俺は、顔をしかめた。
「そして、その医療ミスの原因になった薬の投薬に関わってた看護師が、伊勢山先生だったって噂なんだ……」
リオは、震える声で言った。
伊勢山祐子。彼女は、医療ミスに関与し、その事実を隠蔽しようとしていたのか? だとしたら、なぜ、今になって厚木を誘拐し、メッセージを送ってきたのか?
ここで、一つの仮説が生まれた。
【仮説】
伊勢山祐子は、去年の夏に起きた医療ミスによる死亡事故に関与していた、あるいはその事実を隠蔽していた。
その医療ミスの被害者の中には、厚木の親戚のおばさんも含まれていた。
伊勢山看護師は、良心の呵責に苛まれ、真実を公にしたいと願っていた。
しかし、病院からの圧力、あるいは何らかの脅迫により、その事実を話すことができなかった。
そこで、彼女は、厚木に間接的にメッセージを送り、真実を伝えようとした。
厚木のスマホを壊したのは、そのメッセージを埋め込むための口実であり、周囲に気づかれずに接触するための手段だった。
そして、厚木を誘拐したのは、真実を告白するための、決死の覚悟だった。彼女は、自分一人では真実を公にできないと悟り、厚木という、真実を見抜く力を持つ人間に、その役目を託そうとしているのではないか。
そして、彼女は、高円寺隼人にも、何かを伝えようとしていたのかもしれない。高円寺は、この地域の有力者の息子だ。もし、彼がこの事実を知れば、病院の隠蔽工作を暴く手助けをしてくれるかもしれない、と伊勢山看護師は考えていたのではないか。だから、高円寺を「見つめて」いた。
俺は、頭の中で、新たに加わった情報を整理した。
伊勢山祐子は、去年の夏に起きた医療ミスの事実を隠蔽していた。
その事実を厚木に伝えようとしている。
厚木は、その真実を暴く「神」になり得る、と伊勢山は考えている。
問題は、伊勢山看護師が厚木をどこへ連れて行ったのか、だ。そして、彼女が本当に伝えたかったメッセージとは何なのか。
俺は、その病院の地図を思い出した。病院には、関係者以外立ち入り禁止の、古い病棟があったはずだ。そこは、過去に医療事故が多発したことから、使用されなくなったと聞いている。
もしそうだとしたら、厚木は危険な状態にあるかもしれない。
俺は、警察にはこの推論を話さなかった。確証が持てない。だが、厚木を救うためには、一刻の猶予も許されない。
「皆、厚木は……もしかしたら、横浜市内の総合病院の古い病棟に連れて行かれた可能性が高い」
俺は、静かに、しかし力強く皆に告げた。小田原、鎌倉、リオは、驚きと戸惑いの表情で俺を見ていた。
「え、病院の古い病棟? なんでそこに?」
小田原が、代表して尋ねた。
「あのプラスチック片とカルテの切れ端は、医療ミスを伝えるメッセージだ。そして、伊勢山看護師は、そのミスを隠蔽していた。彼女が、その真実を厚木に伝えようとしているとすれば、人目を避けて話ができる場所、そして彼女にとって象徴的な場所を選ぶはずだ」
俺は、医療ミスの隠蔽と、伊勢山看護師の葛藤、そして厚木へのメッセージという情報を結びつけて説明した。皆は、最初は半信半疑だったが、俺の論理的な説明と、これまでの「神」としての実績から、徐々に納得し始めた。
「じゃあ、伊勢山先生は、厚木に何を伝えたいの?」
鎌倉が、絞り出すような声で訊いた。
「彼女が隠してきた真実。そして、その真実を、厚木に託したいのかもしれない」
横浜市内の総合病院の敷地内。GWの晴れやかな空の下、本館からは患者や見舞客の活気が漏れてくる。だが、敷地の奥にある古い病棟は、ひっそりと静まり返っていた。窓はほとんどが板で打ち付けられ、蔦が絡みつき、廃墟のような不気味な雰囲気を醸し出している。
「ここが、本当に厚木がいる場所なの?」
リオが、不安そうに俺を見上げた。俺たちは今、その古い病棟の前にいた。ここは、過去に医療事故が多発し、閉鎖されたと聞く場所だ。
「可能性は高い。彼女が、真実を告白し、助けを求めるには、人目を避ける必要があったからな」
俺は、緊張しながら答えた。小田原は懐中電灯を片手に、警戒しながら周囲を見回している。鎌倉は、震える手でスマホを握りしめていた。
警察には、まだこの推論を伝えていない。確証が持てないうちは、動けないだろうし、何より一刻を争う。俺たち自身の手で、厚木を見つけ出すしかなかった。
古い病棟の入り口は、厳重に施錠されていた。だが、厚木のスマホに残された医療カルテの切れ端。これらは、単なる警告ではなかったはずだ。
俺は、カルテの切れ端を、鍵穴の隙間に滑り込ませた。すると、微かに「カチッ」という音がした。
「開いた……」
小田原が、驚いたように呟いた。俺が無理やりこじ開けたわけではない。まるで、カルテの切れ端が、鍵として機能したかのようだった。これは、伊勢山看護師が、俺にここに来てほしいと願っていた証拠なのか?
俺たちは、注意深く病棟の中へ足を踏み入れた。内部は薄暗く、消毒液の匂いが鼻を突く。廊下には、錆びた点滴台や車椅子が放置され、まるで時間が止まったかのようだ。
「厚木! どこだ!」
リオが、堪えきれないように叫んだ。その声が、薄暗い廊下に虚しく響き渡る。
声の元を辿ると、奥の一室の扉がかすかに開いているのが見えた。そこは、かつて病室だったのだろう。部屋の中には、ベッドがいくつか並べられているが、そのどれもが古びて、朽ちていた。
そして、部屋の中央に、厚木凛がいた。
彼女は、ベッドに座らされ、手足を簡易的なベルトで拘束されていた。口にはテープが貼られているが、意識はあるようだ。俺たちの姿を見ると、彼女の目に安堵の色が浮かんだ。
厚木の向かいには、伊勢山祐子が立っていた。
彼女は、白衣を着用し、その手には一枚の紙を握りしめていた。彼女の顔には、疲労と、そして深い悲しみが宿っていた。
俺たちの突然の訪問に、伊勢山看護師は、ゆっくりと顔を上げた。
「なぜ、ここがわかったの……?」
伊勢山看護師の声は、かすかに震えていた。彼女の口調は、穏やかで丁寧だったが、その中に潜む絶望が垣間見えた。
「伊勢山さん……なぜ、厚木をこんな所に?」
俺は、冷静に尋ねた。
伊勢山看護師は、厚木を一瞥すると、手元の紙に視線を落とした。
「だって……真実を伝えなければいけなかったから。あの医療ミスを……隠し通すことなんて、私にはできなかった」
伊勢山看護師は、顔を上げ、俺たちの目を見た。その瞳には、葛藤と、そして覚悟が入り混じっていた。
「私はね、あの医療ミスを、止められなかった。患者さんを救えなかった。そして、病院の指示に従って、その事実を隠蔽した……」
彼女は、震える声で告白した。
「厚木さんのおば様も、私の患者だった。私が、誤った投薬をしてしまったの。でも、病院からは、口止めされていた……」
彼女は、手にした紙を俺たちに見せた。それは、厚木のおばさんのカルテの原本だった。そして、そこには、彼女が厚木のスマホに残した紙片と同じ、塗りつぶされた投薬量が記されていた。
「このカルテ、あの時、私が隠したの。これさえなければ、医療ミスは発覚しないと……。でも、ずっと苦しかった。私は、嘘をつき続けていた……」
伊勢山看護師は、涙を流しながら語った。
「だから、真実を公にしたかった。でも、病院が怖かった……だから、あなたに助けてもらおうと、思ったのよ、逗子悠人くん」
伊勢山看護師は、俺を見た。
「あなたは『神』でしょう? 人の悩みを解決できる『神』。だから、あなたなら、この隠蔽された医療ミスを暴き、私を、そして亡くなった患者さんたちを救ってくれると思ったの!」
彼女は、震える声で叫んだ。
その言葉に、俺は愕然とした。伊勢山看護師は、俺を「神」として利用し、真実を公にしてもらおうとしていたのだ。厚木を誘拐したのは、そのための決死のメッセージだった。
「厚木さんを誘拐したのは、私からあなたへの、最後のメッセージだった。彼女を狙ったのは、彼女が、あの患者さんの親族だったから。そして、彼女が、冷静で、真実を見抜く力を持っていると、知っていたから……」
彼女は、厚木の方を見た。厚木は、涙を流しながら、伊勢山看護師の言葉を聞いていた。
「厚木さん。本当に、ごめんなさい。あなたを利用してしまった。でも、こうするしかなかったの……」
伊勢山看護師は、深く頭を下げた。
「厚木を解放しろ、伊勢山さん。そして、そのカルテを警察に提出するんだ」
小田原が、一歩前に出た。
「警察……? でも、私は、犯罪者になってしまう……」
伊勢山看護師は、絶望的な顔で言った。
「確かに、あなたは罪を犯した。だが、真実を語れば、情状酌量の余地はあるはずだ。それに、このまま隠蔽し続ければ、もっと多くの人が苦しむことになる」
俺の言葉は、伊勢山看護師の心に、少しずつ届いたようだった。彼女の目から、狂気が薄れ、悲しみと、そしてわずかな希望が残った。
その時、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。小田原が、俺たちの行動を警察に密告していたのだ。賢明な判断だった。
警察が到着し、伊勢山看護師は連行されていった。厚木は、すぐに病院に搬送されたが、幸いにも大きな怪我はなく、精神的なショックは大きかったものの、命に別状はないとのことだった。厚木は、伊勢山看護師から託されたカルテの原本を警察に提出し、医療ミスの隠蔽事件は、本格的な捜査へと発展していくことになった。
俺たちは、古い病棟を出て、安堵と疲労感に包まれていた。
「まさか、医療ミスだったなんて……」
小田原が、まだ信じられないといった顔で呟いた。
「伊勢山先生も、辛かったのね……」
鎌倉が、悲しげに言った。
「悠人、あんた、本当にすごいよ! よくあんな真実を見つけたね!」
リオが、満面の笑みで俺の肩を叩いた。
「『神』だもの」
厚木が、少し掠れた声で言った。彼女は、無事だった。それだけで、俺は十分だった。
高円寺隼人には、この事件の詳細は伝わらないだろう。警察の発表では、「未成年誘拐事件と、それに付随する医療過誤の隠蔽事件として捜査中」とされ、具体的な犯人の名前や動機は伏せられた。だが、俺たちの間には、確かな絆と、俺の「神」としての存在感が、再び強固なものとして刻み込まれた。
GWは、最悪の形で幕を閉じた。しかし、俺は、厚木を救うことができた。そして、伊勢山看護師の心の奥底にある悲しみに触れ、隠蔽された真実を公にすることができた。
他のミステリー作家さんや謎解き作家さんは凄いですねー頭がパンパンです




