第42話「美術部の影」
厚木凛の調査は迅速だった。放課後、美術室から戻ってきた彼女は、数枚のプリントと、美術部の活動報告書のようなものを持っていた。
「美術部の最近の活動は、来月開催される校内美術展に向けての作品制作で大忙しみたいよ」
厚木は、冷静に情報を提示した。
「特に、部長の高橋さんが、かなり気合を入れて制作しているわ。彼女は、昨年も校内美術展で優秀賞を取っている実力者らしいわね」
高橋さん、まさか。あの田中さんが目撃した、相沢との密会。あの時、高橋さんが相沢に渡していたもの、あるいは受け取っていたもの。それが、もし美術に関わるものだとしたら……。
「高橋さんの作品、テーマとかは?」
俺が尋ねると、厚木はプリントを一枚差し出した。そこには、美術展の出品予定作品リストが書かれていた。高橋さんの作品は、『失われた友情の輝き』というタイトルだった。
「……失われた友情の輝き?」
俺は思わず呟いた。佐藤さんのブレスレットは、親友との友情の証だった。そして、失われた。この一致は、偶然とは言えない。
「厚木、高橋さんの作品について、もっと詳しくわかることはあるか?」
「彼女は、普段からインスピレーションを求めて、身の回りにある『失われたもの』や『忘れ去られたもの』をテーマに作品を制作することが多いらしいわね。特に、個人的な繋がりを象徴する品に魅力を感じるみたい」
厚木の言葉に、俺の頭の中で点と点が繋がり始めた。高橋さんがブレスレットを盗んだとすれば、それは美術作品のインスピレーションのため、あるいは、作品の一部として利用するためだった可能性が高い。
「でも、なんで相沢くんがそこに絡んでくるのよ?」
リオが納得いかないという顔で言った。小田原も首を傾げている。
「そこが、この事件の肝だ。相沢が犯人ではないとしたら、彼は何かしらの形で高橋を助けている。あるいは、利用されている、か」
俺は、佐藤さんの「気まずいこと」と、相沢の行動の間に、別の繋がりがあるのではないかと考え始めた。相沢が佐藤を詰め寄っていたのは、もしかしたら、佐藤を守るため、あるいは高橋から守るためだったのではないか。
俺は、厚木に続けて指示を出した。
「厚木、美術部の活動室に、高橋さんの作品が展示されているか、それと、美術室の鍵の管理状況を確認してくれ」
厚木は頷き、再び美術室へと向かった。
その日の昼休み。俺は食堂で、クラスメイトたちの会話に耳を傾けていた。高円寺グループの会話も、自然と耳に入ってくる。
「お前ら、佐藤のブレスレットの話、聞いたか? なんか、盗難らしいぜ?」
高円寺の取り巻きの一人が、面白おかしく話している。
「まじかよ! 誰だよ、そんなことする奴」
「なんかさー、相沢くんが怪しいって噂になってるよな? あいつ、いつも真面目ぶってるけど、裏じゃ何してるかわかんねーし」
「へえ、相沢ねえ……。ま、地味な奴が変なことすんのはよくあることだしな」
高円寺がニヤリと笑った。彼の言葉は、明らかに相沢を「地味」な括りに入れ、その「地味さ」ゆえに怪しいという見方を助長している。そして、その「地味」という言葉は、俺にも向けられているのだ。
「逗子くんが『神』って言われてるけど、そういうのって大体、陰でコソコソやってるタイプが怪しいんだよな。いやー、陽キャの俺にはわかんねーわ」
高円寺は、明らかに俺に聞こえるように言った。俺は皿の上の唐揚げをフォークで刺しながら、内心で舌打ちした。彼にとっては、俺も相沢も同じ「地味な存在」なのだ。そして、その「地味」というレッテルを貼って、物事を単純化しようとしている。
しかし、その高円寺の言葉が、俺の思考を加速させた。高円寺は、俺や相沢を「地味」と一括りにすることで、思考停止している。だが、俺は違う。俺は、その「地味」の奥に隠された真実を見抜くことができる。
放課後、厚木が戻ってきた。
「逗子くん、美術室の鍵は、部員なら誰でも借りられるみたいよ。ただし、借りた日時と返却日時を記録する台帳がある。あと、美術室の中には、高橋さんの作品がいくつか置かれていたわ」
厚木は、スマホで撮影した写真を見せてくれた。そこには、高橋さんの作品がいくつか写っていた。どれも、廃材や古い布、拾った小石などを組み合わせた、抽象的なオブジェだ。そして、その中の一つに、俺の目が釘付けになった。
それは、透明な樹脂の中に、様々な色のビーズや小さな貝殻が埋め込まれたオブジェだった。その中の一つに、淡い水色のビーズと、いびつな貝殻が、まるで封印されたかのように閉じ込められているのが見えた。
「これ……」
俺は息を呑んだ。まさしく、佐藤さんのブレスレットだ。彼女が言っていた「淡い水色のビーズと、小さな貝殻が編み込まれた、いびつなブレスレット」に、完全に一致する。
「高橋さんが、この作品について何か言ってたか?」
「ええ。この作品は、『失われた友情の輝き』というテーマで、彼女が最も力を入れている作品の一つだと。そして、これを作るために、『ある大切な友情の証』を探し求めた、と話していたそうよ」
厚木の言葉に、俺は確信した。犯人は、高橋さんだ。彼女は、美術作品のインスピレーションのため、あるいは作品の一部として利用するために、佐藤さんのブレスレットを盗んだのだ。
だが、なぜ相沢が関わっていたのか?
「そういえば、高橋さんの作品って、具体的にどんな形をしてた?」
俺は厚木に尋ねた。
「そうね……どれも、どこか『バラバラになったもの』や『断片』を組み合わせたような印象だったわ。抽象的で、一見すると何がモチーフなのか分かりにくいものも多かった」
俺は、佐藤さんが言っていた「気まずいこと」と、図書室での相沢と佐藤のやり取り、そして相沢と高橋の密会を思い出した。
相沢は、美術部の高橋さんと、個人的な繋がりがあった。そして、佐藤さんのブレスレットが、高橋さんの作品のモチーフになっていることを知っていたのではないか?
もし、相沢が佐藤さんに詰め寄っていたのが、高橋さんが佐藤さんのブレスレットを欲しがっていることを伝えていたとしたら? あるいは、高橋さんがブレスレットを盗んだことを知って、佐藤さんにどう説明するか悩んでいたとしたら?
そして、田中さんの証言。「相沢くんと、クラスの美術部の高橋さんが、何やらヒソヒソ話してたのを見たの。高橋さんが、何かを相沢くんに渡してるような、受け取ってるような仕草をしてた気がする」。
高橋が相沢に渡したのは、ブレスレットを封じ込めた樹脂製のオブジェ。あるいは、美術室の鍵。相沢は、高橋の作品への情熱を知っていたからこそ、彼女の行為を止められなかった。そして、佐藤さんの心情を考えると、それを正直に打ち明けることもできなかった。彼は、二人の間で板挟みになり、苦悩していたのだ。
相沢は悪人ではない。むしろ、優しすぎたがゆえに、高橋の行動を止められず、そして佐藤に真実を告げられずにいた。高円寺が疑ったような「地味な奴の裏の顔」などではない。
俺は、高円寺に勝つ方法を見つけた。彼の「地味な奴は怪しい」という浅はかな決めつけを、論理と真相で叩き潰す。
放課後、俺は小田原たちに、これまでの推理を全て話した。高橋さんの作品のテーマ、『失われた友情の輝き』。そして、美術室で確認された、佐藤さんのブレスレットを閉じ込めたオブジェ。そして、相沢がその間に入っていた可能性。
「マジかよ、そんなのありか?」
小田原が信じられないといった顔で呟いた。
「作品のためとはいえ、人のものを勝手に盗むなんて……!」
リオが怒りに震えている。
「でも、相沢くんは……高橋さんのことを止められなかったのね」
鎌倉は、どこか悲しそうな表情を浮かべていた。
「そうだな。相沢は、優しすぎたのかもしれない。だからこそ、佐藤さんにも真実を告げられなかった。彼は、板挟みになって苦しんでいたんだ」
厚木が俺の言葉に頷いた。
「じゃあ、どうするの? 高橋さんに直接、問いただすの?」
小田原が訊く。
「いや、その前に、少しだけ準備がある。高円寺の前で、全てを明らかにする」
俺は、ニヤリと笑った。高円寺の「地味な奴は陰キャ」という決めつけを、真正面から打ち破るには、彼が最も重視する「場の空気」と「注目」が必要だ。
翌日、昼休み。俺はクラス全員が集まる食堂で、行動を起こした。
俺は、トレーを持った高円寺が友人たちと席に着こうとするタイミングを見計らった。そして、クラスのほぼ全員が注目するその場所で、あえて少し大きめの声で、隣にいた佐藤美咲に話しかけた。
「佐藤さん、ブレスレットの件、解決の糸口が見つかったぞ」
俺の言葉に、食堂のざわめきが、一瞬だけ静まった。何人かの生徒が、こちらに視線を向ける。高円寺も、フォークを止めてこちらをちらりと見た。
佐藤さんは、驚いたように俺を見た。
「えっ……本当?」
「ああ。君のブレスレットは、盗まれたんじゃなくて、ある目的のために使われたんだ」
俺は、あえて「盗まれた」という表現を避け、「使われた」という言葉を選んだ。そうすることで、高橋さんの名誉を少しでも守りたかった。
すると、俺たちの会話を聞いていた高円寺が、面白そうにニヤニヤと近づいてきた。
「なんだなんだ、逗子。お前が何か解決するってか? どーせ、大したことないだろ。ただの落とし物だったとか、誰かの勘違いとか、そういうオチだろ?」
高円寺は、俺を嘲笑うかのように言った。彼の周りにいた友人たちも、面白がってこちらに注目している。
「それが、そうじゃないんだ。これは、友情の証を巡る、芸術と苦悩の物語だ」
俺は、高円寺の目を見て、はっきりと告げた。彼の軽薄な笑みが、一瞬だけ固まる。
「佐藤さんのブレスレットは、現在、美術室にある。美術部の高橋さんが、来月の校内美術展に出品する作品、『失われた友情の輝き』の一部として使用されている」
俺の言葉に、食堂全体がざわめいた。まさか、そんな展開だとは誰も予想していなかったのだろう。特に、高円寺の顔からは、先ほどの余裕が完全に消え失せていた。
「おいおい、冗談だろ? 人のものを勝手に作品に使うとか、ありえねーって!」
高円寺が声を荒げた。彼の言葉は、正論だ。だが、彼の態度は、完全に俺のペースに乗せられている。
「高橋さんは、作品のインスピレーションを得るために、無意識のうちに、あるいは衝動的に、佐藤さんのブレスレットを持ち去ってしまった。そして、相沢ユウキは、そのことを知っていた」
俺は、続けて真実を明らかにした。
「相沢は、美術部の高橋さんの作品への情熱を知っていたからこそ、彼女の行為を止めることができなかった。そして、佐藤さんの心情を考えれば、正直に打ち明けることもできなかった。彼は、二人の間で板挟みになり、苦悩していたんだ」
「そんな……相沢くんが!?」
クラスメイトたちが驚きの声を上げる。相沢は、クラスの優等生として誰もが認める存在だった。その彼が、そんな形で事件に関わっていたとは、誰も想像していなかっただろう。
俺は、高円寺の目を真っ直ぐに見据えた。
「高円寺。お前は、相沢を『地味な奴の裏の顔』と決めつけ、この事件を『大したことない落とし物』と片付けようとした。だが、人間関係は、お前が思っているほど単純じゃない。表面的な『陽』や『陰』だけで測れるものじゃないんだ」
俺の言葉は、まるで彼の顔を平手打ちするかのように、食堂に響き渡った。高円寺は、何も言い返せない。彼の顔は、悔しさとも苛立ちともつかない表情で歪んでいた。彼を囲んでいた友人たちも、ただ黙って事の成り行きを見守っている。
「高橋さんには、きちんと説明を求め、ブレスレットを返してもらう必要がある。そして、相沢には、佐藤さんにきちんと謝罪してもらう。今回の件は、盗難という形を取ったが、その根底には、芸術への情熱と、人の心の機微が絡み合っていたんだ」
俺は、佐藤さんに向き直った。
「佐藤さん、君のブレスレットは美術室にある。高橋さんに、君の気持ちを伝えて、返してもらおう」
佐藤さんは、涙ぐみながら、深く頷いた。
その瞬間、食堂は、再び大きなざわめきに包まれた。しかし、そのざわめきは、先ほどまでとは全く違うものだった。それは、驚きと、そして俺への尊敬が入り混じった、新たな「神」の証明の声だった。
「すげー! やっぱり逗子じゃん!」
小田原が興奮したように叫んだ。鎌倉は安堵したように微笑み、リオは「やったね、悠人!」と満面の笑みで俺の背中を叩いた。厚木は、静かに頷きながら、俺の推理が正しかったことを確認するように、満足げな表情を浮かべていた。
高円寺隼人は、その場に立ち尽くしていた。彼の顔は赤くなり、普段の余裕綽々とした笑顔は完全に消え去っていた。彼は、クラスの中心で、ただの一人も言葉を発することなく、俺の「神」としての存在感を、まざまざと見せつけられたのだ。彼の鼻は、完全に折られた。
「……なんで俺が“神”扱いされてんの……?」
俺は心の中で、いつもの呟きを繰り返した。だが、その声には、以前のような戸惑いだけではなく、わずかな達成感と、確かな自信が宿っていた。




