第4話「メモの主は、名もなき誰か」
彼の目は、誰よりも静かで、誰よりも鋭い。
その視線の先に、自分がいないことに、少しだけホッとしてしまう。
私は、逗子悠翔くんを見ていた。
でも、それを誰にも知られたくなかった。
その日の朝、教室はざわついていた。
鎌倉ほのかさんの机に、一枚のメモが置かれていたからだ。
「きみの笑顔が、誰かを救ってる。気づいてる?」
差出人不明。署名もなければ、特徴もない。
ただの白紙に、手書きのメッセージ。
でも、クラスの数人がすぐにささやき始めた。
「……これ、逗子じゃない?」
「文章っぽいし、なんか言いそうじゃん」
「いや、あの子がそんなことする?」
噂の火種は、たった一言で広がっていく。
逗子くんは、席でノートを広げたまま、まるで何も聞こえていないような顔をしていた。
──そう。たぶん、本当に関係ないのだと思う。
彼はそんな“安い感情”で動く人じゃない。
観察しているうちに、私はそう感じるようになっていた。
昼休み。
鎌倉さんは、メモを破らずにノートに挟んだ。
“悪意”を感じていないのだろう。
それは正しい。でも同時に、彼女はきっと誤解している。
──あの言葉は、恋文じゃない。
それは、自分自身の救いの言葉だったのかもしれない。
放課後、教室の空気がすっかり冷めたころ、逗子くんは席に一人残っていた。
誰も話しかけない。
でも、彼の存在はどこか“教室の中心”にあるように感じる。
黒板を見つめる横顔。
何かを読み取っている目。
まるで、答えを探しているように。
でも彼はきっと、答えよりも、問いの方に興味があるのだろう。
私は、何も知らないふりをして、カバンを肩にかける。
教室を出るとき、ふとポケットに触れる。
そこにあるのは、
昨日の夜、私が一人で書いた──あのメモと、同じ紙。
彼が読んだかどうかも分からない。
でも、もし少しでも彼が考えたのなら、それでよかった。
「“神”なんかじゃないよ。たぶん……誰よりも、人間だよ、あの人は」
私はそっと呟いて、靴箱へ向かった。
誰かが、俺を見ている。
そう感じたのは、ここ数日、同じ時間、同じ席に座ったときだった。
明確な視線じゃない。ただ、呼吸のリズムのズレ、
“無意識に気配を抑えようとする空気”──それが引っかかった。
俺は、観察するのが得意だ。
人の声の高さ、視線の方向、体重移動、話し方、間の取り方。
その人がどういう心情で今そこにいるか、だいたいの仮説は立てられる。
でも──俺自身が観察されていることには、慣れていなかった。
それに気づいたのは、3日前。
例の「白いメモ」が、鎌倉ほのかの机に置かれた日だ。
俺に疑いが向いた。
否定も肯定もせず、何も言わなかった。
俺が書いたわけじゃない。けど、その“文体”に心当たりはあった。
あれは、観察していた人間の言葉だ。
昼休み、俺はあえて席を立たず、周囲の動きを見ていた。
机に肘をついて、ノートのページをめくるふりをしながら。
視界の端に、窓際の席に座る一人の女子が入っていた。
顔は伏せていて、名前も思い出せない。
でも──
彼女の“緊張の解き方”だけが、他の誰とも違っていた。
意識的に音を立てず、足音も消す。
ノートを閉じるタイミングすら、まるで「俺に気づかれないように」選んでいるかのようだった。
観察される経験がなければ、絶対にできない動き。
そのとき初めて、俺は気づいた。
「……俺を見ている誰かがいる」
放課後。
鎌倉ほのかが声をかけてきた。
「逗子くんって、最近……ちょっと変だよ」
「どう変?」
「……人の視線を気にしてる気がする」
俺は少しだけ笑った。
「俺も、人間だからね」
「それって、観察者っぽくない」
彼女はそう言って、ほんの少しだけ寂しそうに笑った。
下校中。
俺は、昇降口のガラスに映る背後の階段を見た。
そこには、俺が階段を降りるのを待つように、立ち止まっている影があった。
その影は、俺と目が合うことなく、すぐに方向を変えて去っていった。
誰かが、俺のことを見ている。
ただの好奇心じゃない。もっと、違う感情で。
そしてそれは、たぶん……嫌じゃなかった。
この世界に“観察者”はひとりじゃない。
でも、私のは……ただの“興味”だ。
名前は言わない。だってまだ誰も、覚えてすらいないから。
私は入学前から決めていた。
この高校では、「目立たないで過ごす」って。
小学校も中学校も、空気を読まずにアニメの話ばっかして、
ちょっと頭が良いってだけで「変な子」扱いされてきた。
だからこの学校では、髪を整えて、
視力はいいのにわざと度の低いメガネをかけて、
いつも「すいません」って言えるような無害キャラを演じてる。
──まあ、そのうち誰も見なくなるし、楽だ。
そう思ってた。入学初日までは。
“彼”の存在に気づいたのは、ほんの些細なきっかけだった。
黒板の一番右下に残ったチョークの粉を、
誰も気づかないうちにさっと手で拭き取った人。
それが、逗子悠翔だった。
彼は何も言わず、誰にもアピールせず、ただ“整える”ように空間に触れていた。
……この人、本気で「何かを見てる」んだなって。
そこからだった。
私は彼のことを、目で追い始めた。
でも、“観察”してたのは私の方だった。
逗子くんが周りから「神扱い」され始めたのは、
むしろみんなが、彼の「異質さ」に気づいてない証拠だと思った。
だって、あの人は“答え”じゃなくて“問い”に反応する。
答えを知っている人は優秀だけど、
問いを作れる人は……たぶん、“世界を変える”。
そういう人を、私は知っている。
たとえば、アニメの中に。
たとえば、漫画の中に。
──そして今、目の前にも。
あのメモは、私が書いた。
恋文なんかじゃない。
あれは、ただの確認。
「この人は、ここにいる誰よりも“孤独に強い”のか、それとも……」
結局、彼は無反応だった。
誰にも答えず、誰にも向けず、
でも明らかに「何かを考えていた」。
私はそれが……ちょっと、悔しかった。
翌日、私は鏡を見ながら、メガネを外してみた。
「あんた、それ取ったほうが可愛いじゃん」って姉に言われたのを思い出す。
でも私は、鏡の中の自分を見て、ため息をついた。
──“観察される側”って、怖い。
でも、そろそろ……
観察するだけじゃ、つまらないかもね。
彼の“視界”に、ちゃんと映ってみたくなった。
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