第38話「進級、各々の想い」
1.逗子 ― 孤独を知った神様
春の風が、戸塚駅前をやわらかく吹き抜ける。駅前のロータリーには、制服姿の学生がちらほらと見えるが、逗子弘樹の姿は人ごみから少し離れたベンチにあった。
片手に文庫本。もう片手には缶コーヒー。読み進めては、ふと目を上げ、空を仰ぐ。
「……もうすぐか」
進級。誰にとってもただの節目かもしれないが、逗子にとっては重い意味を持つ。
この一年、自分は「神」扱いされた。数々の事件を解決し、クラス内外から信頼を得て、誰かの役に立てたと思っている。けれど、その“神様”の肩書きが、いまの逗子を苦しめていた。
(このまま、来年も……。期待に応えなきゃいけないのか?)
誰かの悩みを、推理で解き明かし、笑顔にする。それが自分の「役目」になっていくようで——気づけば、いつしか相談される側の自分が、本当の「自分の気持ち」を誰にも言えなくなっていた。
孤独。それが、逗子の進級への不安だった。
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2.鎌倉 ― 届かぬ想いと春の息吹
鎌倉ほのかは、家の近くの図書館で一人、ノートを開いていた。春休みの課題を進めるフリをしながら、頭の中は別のことでいっぱいだった。
(あのバレンタインのチョコ……ちゃんと伝わってたかな)
彼女は逗子に本命チョコを渡した。たしかに受け取ってくれた。笑顔もくれた。でも——そこから何も変わらなかった。
逗子はいつも通りで、優しくて、でも鈍感で。近づこうとすればするほど、すり抜けてしまうような存在だった。
(もし、進級したら、クラス替えがあったら……)
ほのかは、目を伏せた。自分の気持ちが、見えなくなるのが怖かった。
事件を通じて、少しずつ近づいた距離。それが離れてしまうかもしれない。
想いを口にする勇気が、まだ持てなかった。
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3.厚木 ― 仮面と素顔の狭間で
「別に、気にしてない。……してないはず、だった」
厚木凛は、自室でメガネを外し、鏡の前に立っていた。
春休みを使って髪を少し整え、コンタクトにも挑戦してみた。でも、鏡の中の自分はどこか落ち着かなかった。
彼女はこれまで、ボブカットでメガネの“知性派”として、逗子たちと肩を並べてきた。でも、それは自分が作った「仮面」だった。
本当は——もっと人と話すのが苦手で、感情を表に出すのが怖くて、それでも逗子の分析に惹かれて、自分もそこに居たかった。
進級すれば、新しいクラス、新しい関係、新しい自分。
でも、自信がなかった。仮面を外した自分を、他人がどう見るのか。
厚木はメガネを再びかけ直し、息を吐いた。
「……やっぱ、こっちの方が落ち着くかも」
4.茅ヶ崎 ― 帰国子女、素顔の自分へ
春の海が見えるカフェの窓際席。茅ヶ崎レイは、カフェラテを啜りながらタブレットに視線を落としていた。
彼女のスマホには、海外の友人たちとのグループチャットが飛び交っている。イタリア語や英語、日本語が入り混じる世界。でも、どこか心が落ち着かなかった。
(私は、どこに“本当の自分”を置けばいいの?)
帰国して半年。はじめは“ギャルっぽい見た目の帰国子女”として浮いていた。でも、逗子たちとの事件を通して、自分の中の「理屈好きな分析屋」な一面が理解されていくのを感じた。
でも、それが「本物の自分」かどうかは、まだ答えが出なかった。
ふいに、画面に表示されたメッセージに目が止まる。
《日本に戻って、後悔してない?》
レイは笑った。そして、返事を打つ。
《まだ途中だけど、後悔はしてないよ。こっちに“考える時間”があるから》
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5.小田原 ― 家族と未来と、自分のペース
小田原颯人は、自宅の縁側でひなたぼっこをしていた。
彼の家は祖父の代から続く大きな旧家で、昨年、軽井沢の別荘に絡んだ相続問題に巻き込まれて以来、家族と向き合う時間が増えていた。
父と母。叔父と叔母。財産の話は大人たちに任せていたつもりだったが、いつの間にか「しっかり者の息子」として扱われることに、小さな疲れを感じていた。
「大丈夫か?」
父の声に、小田原は少し顔を上げる。
「うん。まあ、普通かな」
「来年は高校2年生だ。将来のことも、少しは考えておけよ」
そんな当たり前の言葉が、やけに重たく聞こえる。
(俺はまだ、何も決められてないよ)
でも、それを声に出す勇気がなかった。
ふと、スマホに届いたメッセージに目をやる。
《明日、いつもの公園。皆で会おうって話になってる》
逗子からの連絡だった。
小田原は、軽く笑った。
「……未来の話は明日でいいや」
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6.そして、春の再会
戸塚駅から少し離れた、桜並木が続く大きな公園。春休みの終わりに、五人はそこに自然と集まった。
「おーい、こっちこっち!」
最初に声を上げたのは茅ヶ崎。白いスニーカーに春色のパーカー、ギャルっぽさは控えめになり、少し大人びて見えた。
「久しぶりだね」と鎌倉が微笑み、厚木もそっと手を振った。
小田原は肩を竦めながらも、「久しぶり」と自然に加わる。
そして、最後に逗子が現れる。
「待たせた」
「遅いって」と厚木がやや刺すように言ったが、その口元はどこか嬉しそうだった。
五人はベンチに腰かけ、しばし沈黙の後、逗子が言った。
「みんな、それぞれ悩んでたと思う。進級って、ただクラスが変わるだけじゃないよな」
「うん……」と鎌倉が頷いた。
「私は、またみんなと一緒にいられるか、不安だった」
「俺は……期待されるのが、ちょっと怖かった」
「私も。変わるのって、怖いことだよね」厚木が続ける。
「でもさ」と小田原が言った。「変わらないよりは、いいかもな。変わる中で、また俺たち、ちゃんと会えるんだから」
茅ヶ崎が笑った。
「会うだけじゃなくて、また事件の一つでも起きてくれないかな~。つまんないと死んじゃうし」
それに皆が笑った。
気づけば、頭上の桜がほころび始めていた。
つぼみが開き、また新しい春が訪れようとしている。
逗子はそっと言った。
「来年も、こうしてまた会おう。桜の下で」
皆が無言で頷いた。言葉なんていらない。そこにあるのは、確かな絆だけだった。




