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第37話「沈黙のメッセージ」

三学期の始業式は、雪の名残がアスファルトの端にまだ白く残る寒い朝だった。


 逗子はいつもどおり、戸塚駅から高校までの道を歩いていた。冬休みが明けたばかりで、街にもまだ正月の名残が漂っている。けれど、彼の心はどこか張りつめていた。


(鎌倉……)


 冬休み、江ノ島での花火大会。人混みで離れ離れになった二人が再会したあの夜、鎌倉が見せた微かな笑みが頭から離れない。


(でも俺は……)


 まだ、明確な答えを持っていない。好意に気づいていないふりをしているだけかもしれない。それが自分らしい臆病さだと、逗子は自覚していた。



 そんな逗子の考えを吹き飛ばすような出来事が、三学期の初日から学校をざわつかせた。


「なあ聞いた? ラブレター、なんか一気に五人に届いてるって」


「しかも全部、同じ封筒と便箋らしいぜ」


 HR後の休み時間、教室の隅で男子たちが騒いでいた。どうやら朝のうちに数人の男子生徒が机の中に差出人不明のラブレターを発見したらしい。


「それ、いたずらじゃね? チョコ配る前の」


 冷静に分析する生徒もいたが、騒ぎは収まる気配がなかった。


「逗子のとこ、届いてない?」


 茅ヶ崎が机を覗き込みながら聞いてきた。


「いや、俺のとこには……」


 そう言いかけたところで、逗子は気づいた。自分の机の中にも、同じピンク色の封筒が、そっと置かれていたのだ。


(なんだこれ……?)


 取り出すと、封筒には「大切な人へ」とだけ、淡い水色のインクで書かれていた。中身はまだ読んでいない。封もされていた。



 放課後、図書室の奥で、逗子・鎌倉・厚木・茅ヶ崎のいつものメンバーが集まっていた。


「たしかに、封筒の色も筆跡も一致してた。便箋の折り方も全部同じ。明らかに同一人物が書いたものだ」


 厚木が簡単なメモを見せながら言った。


「それ、全員男子なんだよね? 同じクラス?」


「いや、バラバラ。逗子と同じクラスが二人、あと二年と三年が一人ずつ」


「……面白いわね」


 鎌倉がぼそりと呟いた。少し睨むような鋭い目だった。


「それ、バレンタインを利用した“偽装告白事件”よ」


「偽装……?」


 逗子が問い返すと、鎌倉は冷たく言った。


「つまり、これは“本命”の気持ちを隠すためのカモフラージュ。複数人に手紙をばらまいて、特定の相手にだけ“本気”の反応を引き出す手口」


「つまり……犯人は誰かに本命の思いを伝えたいけど、周囲の視線やリスクを恐れてる」


「そう。だから同じ形式の手紙をばらまいて、“偶然の一つ”に偽装するってわけ。なかなか用意周到なやり方よ」


 その言葉に、逗子は思わず手元の封筒を見つめた。


(じゃあ、この中身は……?)



 その夜、逗子は帰宅後に封筒を開いた。中には、丁寧に書かれた手紙が一枚だけ入っていた。



《あなたのことをずっと見てきました。

 たぶん、あなたは気づいていないと思います。

 でも、私はあなたを信じています。

 だから、この気持ちが届いたら、ほんの少しだけでもいい、振り向いてください。》



(名前は、ない……)


 だが、文字のクセがある。細い字、ところどころ癖のある「た」「し」。そして何よりも、文体にどこか既視感があった。


(どこかで、この書き方を……)


 しかし、思い出そうとするたびに、別の“可能性”が浮かんでくる。

 厚木か? いや違う。茅ヶ崎? それもない。——じゃあ、まさか……。



 翌日。


 校内は再び騒然としていた。手紙を受け取った男子のうち、1人が勝手にSNSに内容をアップしたのだ。


 しかも、悪質な添削コメント付きで。


「お前、マジで気持ち悪い文体だな、ってw」


 その投稿は一気に拡散され、教室でもその話題が止まらなかった。


 それを聞いた鎌倉は、明らかに怒りを押し殺していた。


「最低……」


 茅ヶ崎は、「誰がやったの?」と怒りを露わにしていたが、逗子は一歩引いて冷静に推理を始めていた。


(もし、手紙の中に“ヒント”があるなら……)


 逗子は、昨日読んだ手紙を思い返す。

 そのなかの一節——“ほんの少しだけでもいい、振り向いてください”。


 これを“ラブレター”として書くとき、普通は“見てください”や“好きです”という言葉を使う。しかしこの文は、どこか“観察”と“信頼”をテーマにしている。


(……これ、鎌倉の文章と似てる)


 ふとした瞬間に感じた、“強がりと理性の混じった甘さ”。鎌倉が作文を読んだとき、同じような文体を聞いた記憶がある。


(でも、あの子が“こんな形”で思いを伝えるだろうか?)



 放課後。


 図書室で、逗子はふと鎌倉に話しかけた。


「……俺さ、この事件、気づいてきた気がする」


「何を?」


「本命の相手は一人。でも、それを隠すためにラブレターを量産した。しかも、その中の一つには“本物”が混ざってる」


 鎌倉の目がわずかに揺れた。


「……だったら?」


「俺に来たのが“本物”だとしたら、俺は……その気持ちを受け取る準備ができてないかもしれない。でも……気づいてないふりをするのは、やめようと思う」


 逗子の言葉に、鎌倉はそっと目を伏せた。そして鞄から、小さな包みを取り出した。


「それ、何?」


「……チョコ。まだ渡さないけど。バレンタイン当日に、ちゃんと渡すって決めてる。これは、その予行演習よ」


 そう言って、鎌倉は机に置いたまま立ち上がる。


「答えは、急がない。でも、逃げないで」



 逗子はしばらくその包みを見つめていた。


 ラブレターの真相。複数のミスリード。そして、自分が受け取ったものの意味。


 すべての糸は、まだ絡み合ったままだ。


 けれど、静かに春は近づいている。


バレンタインまであと一週間。なのに、校内の雰囲気はとても“甘い空気”とは言えなかった。


 差出人不明のラブレターが複数人に届いた事件——通称“匿名バレンタイン事件”は、静かに、しかし確実に教室内に波紋を広げていた。


「……やっぱり、鎌倉さんじゃない?」


 小声のはずの女子の噂話が、逗子の耳にははっきり届いた。隣の席の厚木凛もそれを聞いていたらしく、顔をしかめてノートに何かを書き殴っていた。


「作文、似てたらしいよ。前に国語で発表してたやつ。文体とか、ああいう感じだったって」


「あとさ、鎌倉さんってちょっと冷たそうだし、意外とやりそうじゃない?」


 根拠の薄い推察と、単なる“印象”が結びついて、ひとりの人物を浮かび上がらせようとしていた。



 放課後。逗子は教室に残り、厚木と小声で話し合っていた。


「おかしいよな、これ……」


「うん。私もさっきまでまとめてたんだけど、届いた手紙の人数は6人。うち3人はこのクラスの男子。内容は全部同じ構成。でも……筆跡、全部ちょっとずつ違う」


「それって……誰かが清書を他人に頼んだってことか?」


「その可能性が高いと思う。清書した人が複数いて、指示した“本当の差出人”が別にいる……」


 厚木がメモを差し出した。手紙の記載内容と受取人、使われた便箋、封筒のインクの色や折り方、すべて記録されていた。


「凛……すごいな」


「うるさい、褒めるな。あんたが気にしてそうだったから、手伝っただけ」


 照れ隠しなのか、厚木はそっぽを向いたが、その横顔はどこか赤かった。



 翌朝、逗子は登校中に茅ヶ崎からメッセージを受け取った。


茅ヶ崎:やっぱ投稿者は2年の帰宅部男子だった

あと、あの封筒って今はもう売ってないんだって。厚木ちゃんが調べてたやつ、限定品


茅ヶ崎:で、その封筒を誰が持ってたかっていうと……“ある人物”が購買の裏で5セット買ってたって情報あり


逗子:その“ある人物”って誰?


茅ヶ崎:ちょっと裏とってからまた言う!



 昼休み。厚木が何かに気づいたように逗子の元に来た。


「ねえ、気づいた? 今朝から鎌倉、ほとんど誰とも話してない」


「……ああ。廊下で呼び止めたら、会釈だけして行っちゃった」


「やっぱりあの噂、気にしてるんだよ」


 厚木は腕を組み、低い声で言った。


「このままだと、あの子……本当に“やった”と思われたままになる」


「それはダメだ。本人じゃないって、俺はわかってる」


「なら、証明してみなさいよ。あんた、そういうの得意なんでしょ」



 その日の放課後、逗子は行動に出た。


 手紙の内容をあらためて思い出す。特に、自分宛ての一文——


「たぶん、あなたは気づいていないと思います。でも、私はあなたを信じています。」


 “信じています”。それがキーワードだと逗子は直感していた。

 作文で鎌倉がよく使っていたのは、「期待しています」「任せます」といった責任を委ねる言葉。

 一方、この手紙は“信頼”と“依存”が混じった、どこか揺れた筆致。


(これは、鎌倉の言葉じゃない)



 逗子はすぐさま、厚木・茅ヶ崎・小田原に個別チャットで連絡を回し、放課後に視聴覚室の端に集まった。


 茅ヶ崎が小声で言った。


「投稿者は“伊勢原”。ラブレターのネタを使ってSNSバズ狙い。封筒も“葉山”ってやつに頼んで入手してた。葉山は購買の裏通ってるからね」


 小田原が眉をひそめた。


「つまり、そいつらが企画してばらまいたってことか。動機は?」


「“本命の子が誰か試したいから”だって」


「……なんだそれ」


 逗子は深く息を吐いた。


「で、その“本命”は?」


 茅ヶ崎が少しためらってから言った。


「……逗子、お前らしいよ」


「……は?」


「葉山が言ってた。“俺が気になってる子、逗子に気があるっぽい”って。それで焦って、気を引くために変な作戦使ったらしい」



 翌朝。鎌倉の席の前に、逗子はそっと手紙を置いた。中身はこうだった。



《あなたが書いたわけじゃないの、知ってる。

 でも、沈黙を選んだことは……ちょっと、さみしかった。

 今日の放課後、図書室で待ってる。

 逗子》



 放課後。図書室の奥の席で、鎌倉がいつもより少しだけ早く来ていた。


「手紙、ありがとう」


「……ごめん。もっと早く言うべきだった。君じゃないって、俺、わかってたのに」


「わかってくれてたなら、いいの。私は、ちゃんとチョコ渡すから。14日に」


 鎌倉は微笑みながら、小さな包みを机に置いた。


「これ、本番用の味見バージョン。中身は……秘密」


「ありがたく、受け取ります」


 二人の距離は、事件の真相とともに、少しだけ近づいた。


二月十四日。バレンタイン当日。

 その朝の教室には、普段とは違う、どこか張り詰めたような甘い空気が漂っていた。


 女子たちはやたら静かで、机の中から何かを取り出してはしまう仕草を繰り返し、男子は目を合わさないようにそわそわしている。

 そんな中、逗子は自分の席につきながらも、朝から気がかりだった一件の確認に向けて意識を集中させていた。


 先週、海老名が名前を伏せたまま告白していた「裏の差出人」の存在。

 彼が清書を頼まれた“誰か”とは誰なのか。

 そして、そのラブレターをSNSに流出させた人物との繋がりとは。


「逗子」


 隣の席の厚木凛が、そっと小声で囁いた。


「茅ヶ崎からメッセージ来た。今朝、動きあったって」


「なに?」


「視聴覚室のゴミ箱に“例の便箋”の下書きがあったって。しかも封筒の余りも一緒に」


 逗子はすぐに理解した。

 “演出”のために手紙を書き直した誰かが、不要になった下書きを視聴覚室で捨てたということだ。そこは前に“葉山”という男子が清書をしていた場所だった。



 昼休み。逗子は厚木・茅ヶ崎・小田原の4人で、美術準備室に集まっていた。

 あまり使われていない部屋で、いまは誰にも邪魔されない。


「俺、はっきり言うよ」


 逗子が手帳を開き、手紙の分析と、封筒、インク、購買での履歴、時間帯などの情報を順に並べていく。


「この事件のキーマンは“葉山”と“伊勢原”。葉山が便箋と封筒を仕入れて、伊勢原がSNSに投稿した。清書は複数人に分担されてたけど、指示してたのは葉山」


 茅ヶ崎が補足した。


「SNSで使ってた裏垢、伊勢原のだった。でも実際にネタを仕込んでたのは葉山だよ。便箋買った履歴も、厚木の調べで一致してる」


「で、動機は?」


「簡単。自分が気になってる女子が逗子を見てるから、焦って“誰が逗子に好意があるか試したかった”んだってさ」


「くだらない……」

 厚木が舌打ち混じりに呟いた。


 逗子は肩をすくめた。


「そういう幼稚な動機が、誰かを追い詰めたりする。それを止めないと」



 放課後。


 逗子は葉山を呼び出した。視聴覚室。もう誰もいない。


「……なんだよ」


 葉山はふてくされた態度で、腕を組んだまま椅子に座っていた。


「これ、お前の字だよな?」


 逗子は1枚の便箋を差し出した。下書きの文字。筆跡は逗子宛に届いた手紙と、ほぼ一致していた。


「知らねぇよ」


「厚木の筆跡分析。濁点のつけ方、文字の傾き、全部合致してる。それと、封筒の購入記録も。購買記録、日付が一致してる」


「……だから?」


「あと一つ。あの手紙をSNSに流したのは、伊勢原。でも、お前のスマホから送られた“草案のスクショ”が、伊勢原の通知に残ってた。“これでいける?”って」


 葉山は黙り込んだ。


「ふざけんなよ……お前なんかに、何がわかるんだよ……!」


 感情を爆発させそうになった葉山に、逗子は静かに言った。


「わかんないよ。でも、わかろうとしてた。誰かを貶める方法じゃなくて、誰かとちゃんと向き合おうとする方法でさ」


「……」


「今日で全部終わりにして。みんな、噂に疲れてる」


 葉山はそれ以上何も言わなかった。

 沈黙は、暗黙の了承と理解された。



 帰り道。


 昇降口で、逗子は一人の女の子が待っているのを見つけた。


「……鎌倉?」


「……よかった。まだ残ってた」


 彼女は制服のポケットから、小さな包みを取り出した。


「今日、渡せるか不安だった。でも、逗子くんが、きっと何とかしてくれるって思ってた」


「……俺、何かしたかな?」


「いろいろしてたよ。言葉にはしてないだけ」


 そう言って、鎌倉はチョコレートの包みを差し出した。白い包装紙に、小さく金色のリボンが結ばれている。


「本命だから。……受け取って」


 逗子はしばし言葉を失って、それから静かに頷いた。


「ありがとう。……大事に食べるよ」


 鎌倉は照れくさそうに笑い、それからふいに言った。


「もう一個、言っていい?」


「うん」


「……私ね、ずっと前から気づいてた。逗子くんのこと、みんなは“神”とか言うけど、ほんとは、ちょっと不器用で、でもちゃんと見てくれる人なんだって」


「それ、褒めてる?」


「うん。最大級に」



 春は、すぐそこまで来ていた。

 けれど、今年のバレンタインは、確かに温かい空気に包まれていた。

一気に書き上げたのでどうだろうかなと

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