第36話「約束の場所へ」
冷たい風が駅のロータリーを吹き抜ける。
年末の戸塚駅は、夕方になっても人通りが絶えない。買い物帰りの家族連れ、塾帰りの中高生、スーツ姿の会社員。その雑踏のなかに、逗子たちは静かに立っていた。
「改札前の、柱の陰って……ここだよな」
小田原が小声で言う。
目の前には、戸塚駅西口の大きな柱。何かを隠すには、絶妙な位置だった。
「誰もいない……いや、あそこ!」
厚木が指さす。その先に、フードを深くかぶった細い影。
誰かが、じっと柱の背に身を寄せていた。
逗子は歩みを進める。慎重に、でも確信をもって。
数歩先で、その人物が顔を上げた。
細いロングヘア、怯えたような目。——間違いない。綾瀬綾だ。
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「……なんで、来たの?」
最初に口を開いたのは、綾瀬だった。
「その手紙を見たから」
逗子が穏やかに言うと、綾瀬は目を伏せた。
「見つかるって思ってなかった。ほんとに、誰かが来てくれるなんて……」
「それでも“残した”ってことは、誰かに気づいてほしかったんだよね?」
逗子の問いに、綾瀬は小さく頷いた。
「……でも、言えなかった。何も。“助けて”って、一番言っちゃいけない気がして……」
「言えなくて当然だよ」
厚木が言った。「あんな状況で、よくここにいてくれた」
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駅の近くにある喫茶店の奥の席で、彼らは改めて向かい合っていた。
「母は……なんでも決めちゃう人で。学校も、進路も、友達も。スマホのパスコードも教えてなかったのに、全部見られてて……」
綾瀬はポツリポツリと話し始めた。
「姉が一度、逆らって家出したことがあって。それ以来、“綾は絶対そんな子にしない”って、ますます厳しくなって」
「じゃあ……手紙を厚木さんに託したのは、姉さんの指示?」
逗子が尋ねると、綾瀬は少し驚いたように目を丸くした。
「……わかるんだね。うん。姉が、ほんとは全部気づいてた。“もう無理って思ったら、この子に渡しなさい”って封筒をくれて……」
「その中に、“いなくなるときは証拠を残せ”って意味が込められてたのか」
小田原が頷く。
「でも、手紙が厚木さんの家から一度消えた。あれは誰の仕業だった?」
茅ヶ崎が言うと、綾瀬の表情が強張った。
「母、だと思う。多分、私の部屋を探って……“余計なこと書いたでしょ”って、怒られて……でも、姉がそれを取り返して、こっそり厚木さんの本の中に忍ばせたのかも」
鎌倉がそっと言った。「その“お姉さん”は今、どこに?」
「……今朝、連絡くれた。母が私を地方の親戚の家に預けるって決めてて、今日の夜には新幹線で出る予定だったの。でも、それを止めるなら“今夜が最後のチャンス”だって」
「それで、戸塚に来たんだね」
逗子は言いながら、綾瀬の震える手元を見た。
「でも、それは逃げじゃない。“選び直す”ってことだよ。君の人生を、君が取り戻すってこと」
その言葉に、綾瀬の目から静かに涙がこぼれた。
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その夜、逗子たちは姉と合流し、事情を警察に届け出た。
母親の過干渉は法に触れる類ではないが、姉の証言と、綾瀬の書いた手紙によって“無理やり地方に送り込む行為”は一時的に差し止められた。
母親は激怒したが、姉が「この子はもう、自分の人生を自分で選ぶ」と断言してくれた。
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翌朝。
戸塚駅のホームで、綾瀬は改札を振り返った。
見送りに来ていた逗子たちが手を振っている。
そのなかで、逗子だけは一歩後ろに立っていた。
綾瀬は迷うように一瞬立ち止まり、そして逗子の方に小さく手を伸ばした。
「ありがとう。……誰よりも、わかってくれた」
そう呟いて、綾瀬は改札を抜けていった。
その後ろ姿に、逗子は小さく呟いた。
「わかってたよ。言葉にならない“助けて”を、ちゃんと届くようにしてたから」
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冷たい風のなか、冬の朝日が静かに差し込んでいた。
ひとつの謎が解けた。
でもまた、新しい日々が始まる。
逗子たちは、それぞれの“冬”を超えて、少しだけ前に進んだ気がしていた。




