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第35話「どこまで」

年の瀬の風は鋭く、乾いた空気にわずかに雪の匂いが混じっていた。

 逗子は、戸塚駅から少し離れた住宅街の端にある、小さな公園のベンチに座っていた。目の前の滑り台には、誰もいない。


 手には、昨日、厚木から託されたもの——古びた封筒がある。表面には何の記載もなく、封もしていない。中には、一枚の便箋。

 それは、綾瀬綾あやせ・あや本人の筆跡で間違いなかった。



《私がこの家から消えたら、それは私の意志ではありません。

 でも、それを証明する手段も、助けてと叫ぶ勇気も、私にはありません。

 ただ、誰かがこの手紙に気づいてくれるなら——

 私はまだ、ここにいるのだと信じられる気がします。

                      綾瀬 綾》



「……やっぱり、自分の意思じゃなかった」


 逗子は小さくつぶやいた。


 この手紙は、厚木の部屋から消えた“最初の手紙”とは違う。厚木が掃除中、偶然に日記の間から見つけたものだという。


 しかも、その封筒があった場所は、厚木の手帳がしまってある引き出しの“さらに奥”。


「誰かが、わざと見つかるように置いた……?」


 違和感が残る。厚木の部屋に侵入して封筒を隠すのは、相当リスクがある。にもかかわらず、それをやる理由とは——



「逗子」


 声をかけられて顔を上げると、厚木、鎌倉、茅ヶ崎が小走りに近づいてきた。

 冬服の襟をかき寄せながら、厚木が言った。


「ごめん、遅れた。ちょっと確認してたことがあって」


「何を?」


「綾瀬さんの家。まだ帰ってない。ポストに新聞だけが溜まってた」


「……やっぱり」


 逗子は封筒を見せながら言った。


「もう一通、手紙が出てきた」


「えっ!?」と鎌倉が前のめりになる。


 逗子が内容を読み上げると、厚木の顔がこわばった。


「……あの子、家族に閉じ込められてたんじゃないかな。“いなくなった”んじゃなく、“連れ出された”」


「連れ出された……?」


 茅ヶ崎が眉をひそめる。「誘拐?」


「いや、そういう犯罪的な意味じゃないかもしれない。でも……家族の誰かが、“外から遮断”するようなことをした」


 逗子はポケットからメモ帳を取り出すと、綾瀬の言葉の中にある“証明する手段も叫ぶ勇気もない”というフレーズをなぞった。


「これ、助けを求めてるけど、直接的には言ってない。“意思表示”はしてない。でも、この手紙自体が“抵抗”なんだと思う」


「つまり、誰かに監視されてる状況で、ギリギリできる反抗だったってこと?」


 厚木がそっと問いかけると、逗子はうなずいた。


「そう。しかも、これを厚木の部屋に隠した……いや、“仕込んだ”という方が自然かもしれない。誰が? って考えると、あのとき見かけた——」


「姉、かもね」


 鎌倉が静かに補足した。「姉がもし、綾瀬さんの味方なら」


「でも逆もある。敵なら……証拠隠滅にもなる」


 逗子は小さく息を吐いた。



 そのあと一同は、駅近くのファミレスに入り、ホットドリンクで手を温めながら、さらなる情報を共有した。


「一応、綾瀬さんの家の表札、確かに“綾瀬”だった。表札の下に、小さく“佐久間”って名前が書かれてたけど……たぶん、母親の旧姓じゃない?」


「それ、重要かも」

 逗子はスプーンを弄びながら呟く。


「つまり綾瀬家って、継父のいる家庭かもしれない。“家族”というワードに、母親だけじゃない存在が関与してる可能性がある」


「それって……家庭内で“居場所”がないってこと?」


「うん。だから“私がこの家から消えたら、それは私の意志ではありません”って書いたんだ。もしかして——親族に無理やり地方に連れて行かれてるとか」


「じゃあ、今どこにいるの?」


 茅ヶ崎の問いに、逗子はゆっくりと言った。


「それを探すヒントは、まだこの近くにあると思う。もし姉が味方なら、“手紙”以外にも何かを残してるはず」



 そして、その“何か”は、思いがけないところから見つかった。


 二日後。逗子たちは厚木と共に、戸塚図書館の一角にある“郷土資料コーナー”を訪れていた。


 小田原が「可能性は薄いけど、調べてみたら?」と提案してくれたのだ。


 その一冊。地域の古地図をまとめた資料集の奥——


 一枚のメモ紙が挟まれていた。



《図書館の中なら、誰かが見つけてくれると思った。

 見つけてくれたのがあなたなら、私は——

 あの日、約束した通り、待っています。》



「……これ、綾瀬さん?」


 鎌倉が声を震わせる。

 厚木は、その手紙を胸に抱きしめるようにして言った。


「“あなた”って、逗子のことだと思う?」


「いや……もしかしたら、“厚木さん”かもしれない」


 逗子は言いながらも、自分の胸の奥がざわめいた。


(“待ってる”……どこで? いつ?)


 しかし、逗子は気づいた。


 このメモの裏側。ごく薄く、鉛筆の跡が残っていた。



 彼は、自分のノートを取り出し、スマホの光を当てて照らしながら、微細な跡をなぞる。


 ──“改札前の柱の陰”──


「……ここって、戸塚駅の……!」



 逗子たちは顔を見合わせ、無言でうなずき合った。


 今も、そこに“彼女”がいるかはわからない。

 でも、確かに誰かが「信じて、探して」と残していった。

 それが“綾瀬綾”という少女の、最後のメッセージだったのだ。


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