第33話「決断の時と小さな勇気」
期末テストが終わった翌週の月曜。
学校はいつも通りに始まり、日常が戻ってきた。だが、教室の空気には、どこか「終わった安堵」と「成績の返却」という不安が入り混じっていた。
「……社会、やばいかも。記述、全部“戦国時代”で埋めた」
茅ヶ崎の発言に、厚木が眉間をひそめる。
「その教科書、何ページぶん飛ばしたのよ」
「体感で80ページくらい?」
「……本当にやばいやつだな、君」
笑い合うふたりのそばで、逗子は鎌倉の様子を気にしていた。
彼女はこの数日、どこか考え込むような表情をしていた。期末テストを終えた解放感より、これから訪れる“話し合い”に神経を尖らせているように思えた。
父親と話すこと——それは、彼女にとって人生で初めての大きな決断だった。
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放課後。
帰り支度をしていた逗子のもとに、鎌倉がそっと歩み寄ってきた。
「今日ね……父と話すことにした」
小さな声だったが、その中に決意があった。
「緊張する?」
「正直、怖い。でも、何もしないで後悔するよりマシかなって」
逗子は頷いた。
「……僕たちも、君の味方だから」
「うん。……ありがとう」
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一方そのころ、厚木は職員室前に立っていた。
鎌倉のことを、担任の大森先生にさりげなく話してみようと思っていたのだ。
「……別に特別扱いしてほしいってわけじゃないんです。ただ、彼女、最近すごく頑張ってるので……」
厚木らしくない、やや拙い言葉。それでも、先生はうなずいた。
「そうか。そういうことなら、気を配っておくよ。ありがとう、厚木」
誰も知らないところで、静かなサポートが動いていた。
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その日の夕方。
鎌倉は、駅前の喫茶店で父親と向かい合っていた。
テーブルには湯気の立つコーヒー、緊張から手をつけられずにいた。
「……久しぶりだな、ほのか」
「……うん」
しばらく沈黙が続いた後、父が口を開いた。
「母さんから聞いてる。君は、あっちについて行くつもりなんだって」
「……違うよ」
鎌倉は、ゆっくりと顔を上げた。目の奥には、揺れない光があった。
「私は、どっちにも“ついて行く”つもりはないの。自分で、残りたい場所を選びたいだけ」
父の眉がわずかに動いた。
「……学校か?」
「そう。友達もできた。成績だって、努力してる。毎日が、ちゃんと“私の時間”になってるの。だから……お願い、ここで続けさせてほしい」
彼女は震える声で、けれどまっすぐに言った。
父はしばらく黙っていたが、やがてため息をついた。
「……お前も、強くなったんだな」
「……え?」
「昔は何でも“ママがいい”だったのに。今は、自分の意思で話してる」
彼はどこか寂しげに笑って続けた。
「わかった。俺から母さんに言ってみる。少し時間がかかるかもしれないが……話し合ってみよう」
「……ほんとに?」
「父親として、お前の言葉を聞かないわけにはいかないからな」
その一言で、張り詰めていた何かがほどけた気がした。
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翌日。
教室に入ってきた鎌倉の表情は、ほんの少しだけ穏やかになっていた。
逗子が軽く手を振ると、彼女も小さく笑ってうなずく。
その後ろから厚木がやってきて、耳元でささやいた。
「担任の先生、気にしてくれてるってさ。ちょっとだけ、君が“よく頑張ってる”って伝えておいたから」
「……ありがとう」
「まぁ、恩に着せるつもりはないけど。たまには素直に感謝していいわよ」
「うん、ありがと。厚木さん」
その会話を横で聞いていた茅ヶ崎が、わざとらしく肩を落とす。
「私だけ何もしてない……!」
「いや、空気和ませてるから大丈夫だよ」
逗子が笑って返す。
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昼休み。
屋上で五人がそろって昼食を広げていた。
「期末終わったご褒美で、今日はプリン大サービスです」
小田原が紙袋から人数分のプリンを取り出すと、茅ヶ崎が歓声を上げた。
「小田原〜! そういうとこマジ神」
「それは逗子のキャッチフレーズだろ」
「今日だけ譲ってあげる〜」
わいわいと弁当の音、笑い声が風に乗って空へと消えていく。
鎌倉は、その光景を見つめながら、ふと呟いた。
「私ね、ここで、こうしていられるのが当たり前だって思ってた。でも……違うんだね」
逗子が聞き返す。
「違う?」
「こういうのって、ちゃんと“守ろう”って思って、努力して、それで初めて成り立つんだなって」
彼女の目に、涙はなかった。代わりに、覚悟のような静かな光が宿っていた。
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期末テストは終わった。
成績も、数日後には返ってくるだろう。
でもこの日の彼女の言葉が、何よりの“結果”だった。
誰かを想って動いたことが、確かに意味を持った。
そう信じられる一日だった。
期末テストが終わり、答案用紙が返却される日がやってきた。
教室にはざわめきとため息が交差し、誰もが紙一枚に一喜一憂していた。
「……うわ、社会……46点」
逗子は自分の答案を見て、思わずため息をついた。
ギリギリ平均点だが、数学との合計では赤点スレスレ。とはいえ、本人の中では“想定内の想定外”だった。
横から、厚木がさらりと声をかけてくる。
「前回より上がってるでしょ。合格」
「なにその判定基準」
「私基準。ちなみに私は今回も安定の80オーバー」
「はいはい……」
一方そのころ、斜め前の席では茅ヶ崎が答案用紙を眺めていた。
いや、正確には眺めるフリをしていた。
「なぁ、誰か慰めてくんない?」
「理科で“水の三態変化”を“わくわく・とろとろ・しゅわしゅわ”って書く人は慰める対象に値しないと思うわ」
「そんなストレートに言わなくてもいいじゃん厚木ちゃん〜」
そんな日常のやり取りの中、鎌倉が返却された答案を静かに机にしまった。
逗子がこっそり尋ねると、彼女は小さく答えた。
「……前より少しだけ、上がった」
その言葉に、逗子は何も言わず頷いた。
“少しだけ”でも、それは大きな一歩だった。
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翌週、冬の冷たい空気が本格化する中、いつもの5人は昇降口で集合していた。
「マジさむ……見てこれ、靴下2重」
茅ヶ崎がタイツの裾を少しめくって見せると、厚木があきれたように言う。
「何その“寒冷地仕様”。もう完全に冬眠前のクマよ」
「おい失礼な! ギャルは冬でも元気だって証明するために私はあえて——」
「それでそのマフラーぐるぐるなの?」
小田原がクスクス笑いながら続ける。
「でも、もうすぐ冬休みだな。せっかくだし、どっか行くか?」
「……というよりさ」
茅ヶ崎がふと真顔になった。
「クリスマス会やんない? 教室でさ」
一瞬、その場の空気が止まった。
「クリスマス会?」
「そう。せっかくこの5人で仲良くなったんだし、ちょっとしたプレゼント交換とか、ケーキ食べたりして」
「確かに、こうして過ごす冬は初めてだもんな……」
逗子は静かにそう答えた。
「なら、決まりね」
厚木が腕を組みながら言った。
「私は飾り付け担当をやるわ。たまたま家に折り紙とかリボンの在庫あるし」
「じゃ、私プレゼント担当!」
「それは全員やるんだよ茅ヶ崎……」
「えーじゃあ私、司会!」
「それも全員でやるよ茅ヶ崎……」
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そして、12月24日放課後。
教室の一角に集まった5人は、それぞれ準備を終え、簡素ながらもあたたかい空間を作り上げていた。
折り紙のツリー、ペーパーフラワーのリース、机の上にはケーキとジュース。
学校で許される範囲内の“パーティー”だが、十分だった。
「じゃあ……乾杯?」
「乾杯!」
紙コップを軽くぶつけ合い、チーズ味のスナック菓子をつまみながら笑い合う。
「茅ヶ崎のプレゼント、なんだこれ。……しゃべるカピバラ?」
「でしょ? 癒し系って書いてあった」
厚木のプレゼントはシャープペンの高級版、小田原はおしゃれなブックカバー。
逗子は、シンプルな手帳を贈った。
それを受け取ったのが——鎌倉だった。
「……これ、私?」
「うん。なんか、来年たくさん予定があるといいなって思って」
鎌倉は少し頬を染めながら、静かに笑った。
「ありがとう。大事にするね」
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クリスマス会の終わりには、自然と時間が遅くなっていた。
窓の外には、冬の夕焼けが沈もうとしている。
皆が荷物を片付ける中、逗子はふと思った。
こんなふうに、何も事件が起きずに過ぎる日。
それがどれだけ貴重で、かけがえのないものなのか。
厚木が最後に電気を消し、教室を出ようとしたとき——逗子は一歩だけ立ち止まった。
机の上に置き忘れられていた紙コップを見て、ふと呟く。
「……この日常が、ずっと続きますように」




