第30話「隠された動揺」
12月の朝は、空気が張り詰めている。
窓の外には冬の陽射しがぼんやり差し込み、教室内もどこか沈んで見えた。
期末テストまであと一週間。
クラスには緊張感が漂い、誰もが勉強のことで頭がいっぱい……のはずだった。
でも、その空気からぽっかりと抜けている人物が一人いる。
鎌倉ほのか。
彼女は教室の後方、自席で静かに突っ伏していた。
髪が少し乱れていて、顔色は冴えない。
持っているはずのテスト範囲プリントはカバンの口からはみ出し、机の上に出ていない。
いつもの彼女とは明らかに違っていた。
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僕――逗子はそれに気づいていた。
何せ彼女は、これまでずっと「クラスの中心」ではなかったが、常に一定の距離感と鋭さを保っていた。
その彼女が、こうも無防備に沈んでいるなんて。
理由を探るつもりはなかった。でも放っておけなかった。
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昼休み。
廊下に出ていた僕に声をかけてきたのは、厚木凛だった。
「ねえ、鎌倉さんのことだけど……何か、変よね」
メガネ越しの視線が真っ直ぐだった。
「今日の授業、何度もノート見間違えてたし、英語の小テストも白紙だったって」
「白紙?」
さすがにそれは驚いた。
彼女は学力も高く、何よりプライドもあるタイプだ。白紙なんて、あり得ない。
「……体調不良ってだけじゃなさそうだね」
厚木はうなずく。
「私、気になってる。たぶん何か家庭のことで悩んでる。そういう“空気”があるの」
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放課後、昇降口で上履きを履いていたときのことだった。
何気なく振り返ると、鎌倉が階段の上で立ち止まっていた。
スマホを握りしめたまま、動かない。
何かを読むでもなく、ただ、じっと画面を見つめていた。
その目は赤く、泣いたあとのように見えた。
「鎌倉さん……」
声をかけようとしたが、彼女はこちらに気づかず、そのまま踵を返して昇降口を去っていった。
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夜、グループチャットに厚木と、茅ヶ崎も加わる。
「ほのかちゃん、最近めっちゃ元気ないよね」
茅ヶ崎のメッセージ。
「何があったか本人は言わない。でも、たぶん――」
厚木が送った。
僕は、タイピングした指を止める。
“両親が離婚するかもしれない”――
あの夕暮れ、校庭脇で聞いた、彼女のつぶやきが頭に残っていた。
「家族って、突然バラバラになっちゃうことって、あるのかな……」
根拠は薄い。でも、きっと核心に近い。
本人から言わせるのは難しい。だったら、まずは支える環境を作るしかない。
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翌日。
放課後に、僕と厚木、茅ヶ崎の3人で図書室裏のベンチに集まる。
「じゃあ、テスト前の勉強会、久々に開こうよ」
茅ヶ崎が言う。
「どうやって誘うの?」
厚木が聞く。
「普通に、“僕がやばいから助けて”って言う。そうすれば彼女も乗ってくれるかも」
「それ、逗子らしいわね」
厚木がわずかに笑った。
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放課後、鎌倉の教室を覗くと、まだ彼女は席にいた。
プリントを広げてはいたが、ページは開いたまま一切進んでいない。
「鎌倉さん。期末、マジで僕やばくてさ。勉強会、やらない?」
彼女は驚いたようにこちらを見た。
「……え? 勉強会?」
「僕と厚木、茅ヶ崎と、あと小田原も呼ぼうかと思ってて。何日か放課後使って」
「……別に、私は……」
言いかけて、少し目を伏せた。
「いや、そういうの、今は……」
「……無理には言わない。でも、また気が向いたら」
僕はそれだけ言って、教室をあとにした。
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次の日。
意外にも彼女のほうから声をかけてきた。
「……その勉強会、いつから?」
振り返った僕に、彼女は目を合わせようとしなかったけど、声はしっかりしていた。
「明後日から、図書室の奥。17時までなら使えるって聞いたから」
「……分かった。行く」
それだけ言って、彼女は通り過ぎた。
でも、その背中は昨日よりも、ほんの少しだけ真っ直ぐに見えた。
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そしてその週末。
学校の自習室で、厚木と茅ヶ崎、小田原も加わり、5人での勉強会が始まった。
誰も核心には触れなかった。
けれど、プリントを前に笑い合う声が少しずつ戻っていく。
ほのかの筆が止まるたび、厚木がそっと声をかけ、茅ヶ崎が明るくツッコミを入れる。
僕は、彼女の“沈黙”が減っていくのを、ただ静かに見守っていた。




