第3話「犯人はクラスの中にいる?」
その朝、1年C組の空気はざわついていた。
「ねぇ、誰か私のスマホ見なかった?」
慌てた様子で教室に入ってきたのは、秦野まどか。
派手すぎず、でも明るい性格の女子。クラスでは人望もある方だ。
「昨日の放課後、机の中に入れて帰ったのに、今朝見たらないの」
「え、盗まれたってこと?」
ざわざわと騒がしくなる教室。
先生もまだ来ておらず、“事件”はすでに始まっていた。
俺は関係ないと思っていた。
けれど、またしてもその人物が現れた。
「逗子くん、お願いしてもいい?」
鎌倉ほのか。
彼女の視線が、俺を逃がさなかった。
俺はまどかの机の中を確認する。
特に目立ったものはない。
けれど、内側に浅い擦り傷があった。
「この角度……通常の出し入れでつく傷じゃないな」
指を滑らせてみると、爪で引っかけたような感触。
しかも、何かを引き抜いたときについたような微妙なズレがある。
「まどかさんって、スマホ取るとき親指で爪を引っかけてるよね?」
「うん……クセかも。いつもそうしてる」
「でもこの傷は、まどかさんの動きと微妙に角度が違う。
つまり、“まどかさんじゃない誰か”が、無理に引き出した」
次に確認すべきは、教室の出入りの情報。
「昨日の掃除当番って誰?」
ほのかが名簿を確認して答えた。
「相模くん、綾瀬さん、横須賀くんの3人」
放課後の教室に残れる可能性があるのは、確かに彼ら。
ただし、それだけで犯人とは限らない。
俺は、教室を前方から見渡した。
机、椅子の位置、細かなズレ。
そして――黒板脇のスチール棚の下。
「……あれ、動いてない?」
「ほんとだ、床に擦れた跡がある」
俺はしゃがんで棚の裏をのぞいた。
埃の中に黒い髪の毛が1本。それが事件と関係あるかは分からない。
「昨日の掃除でこの棚をわざわざ動かす必要は……たぶん、ない。
となると、“何かを探したか、隠した”んだと思う」
その日はスマホが見つからないまま、放課後を迎えた。
「先生に言おうかな……」
まどかは不安そうだったが、ほのかが「もう少しだけ」と制した。
俺は、心の中で整理する。
観察した要素は揃ってきた。
あとは、動きの決定打が出るのを待つだけ。
名乗り出てくるのか、それとも明日も沈黙するのか。
次の一手は、向こうにある。
翌朝の教室は、昨日のざわめきを引きずっていた。
スマホ紛失騒動は、まだ“未解決”のまま。
まどかの表情は晴れず、クラスメイトたちは誰が犯人か憶測を飛ばしていた。
でも誰も、声を出してその名を言おうとはしない。
「逗子くん……進展あった?」
席に座ると、鎌倉ほのかが小声で聞いてきた。
「うん。……たぶん、今日には戻ってくるよ」
「……そっか」
彼女は小さく笑った。
俺は、“その瞬間”を待っていた。
昼休み。
3人の掃除当番の中で、横須賀くんはやはり、どこか様子がおかしい。
普段は大声で笑い、男子たちの中心にいるタイプなのに、
今日は珍しく、お弁当をひとり窓際で食べていた。
観察していると、彼の視線が何度かまどかに向く。
けれど、彼女が顔を上げる前に必ず逸らす。
“罪悪感”とは、少し違う。
むしろそこにあるのは、“迷い”と“恐れ”だった。
放課後、俺はわざと昇降口の近くで帰り支度を遅らせていた。
そして、予想通りのタイミングで、横須賀くんが現れた。
彼は俺の存在に気づくと、少し躊躇したが……やがて、近づいてきた。
「……逗子」
「うん」
「スマホ……俺が拾った」
その言葉は、ポツリと吐き出すようだった。
「昨日の掃除のとき、まどかの机の横に落ちてたんだ。
名前もなかったし、誰かのかわかんなかった。でも、たぶん彼女のだって……直感では、分かってた」
「じゃあ、なぜ渡さなかったの?」
彼は、数秒の沈黙のあと、目線を伏せたまま続けた。
「……俺、まどかのこと……ちょっと気になってて」
「……」
「だからさ……変な話だけど、“彼女に声かける理由ができた”って思っちゃったんだよ。
スマホを預かってること、秘密にして……タイミングを見て、自分から渡す、みたいな。
なんか、そうしたら印象に残るかなって……」
俺は返事をしなかった。
横須賀くんは、自嘲気味に笑って言った。
「でもさ、翌朝になったら“事件”になってた。もう返すに返せない雰囲気で……
盗んだって思われたらどうしよう、って怖くなって。
俺、ダサいよな……ほんとに」
俺は、ゆっくりと言った。
「臆病じゃないよ。ただ、人を好きになると、人はみんなちょっと不器用になるんだと思う」
その言葉に、彼は少しだけ目を細めた。
「返そう」
「……ああ」
まどかは驚いていたが、話を聞いたあとは柔らかく笑ってくれた。
「そっか……ありがとう。落ちてたなら仕方ないよ。心配してくれてたんだね」
彼女の言葉に、横須賀はほっとしたように深く頭を下げた。
「ごめん」
それだけだった。
それだけで、すべてが静かに終わった。
帰り道。
戸塚駅前のロータリーに差し掛かったところで、ほのかが俺の隣に並んだ。
「……本当に戻ってきたね、スマホ」
「うん。ちょっと遠回りだったけどね」
「でもさ、逗子くんが“信じて待った”からだよ」
そう言って、彼女は俺の横顔を見ながら微笑んだ。
人の心を見抜くのは、簡単じゃない。
けれど、それを“責めない”ことはもっと難しい。
俺はその日、ひとつだけ確信した。
観察は、ただのスキルじゃない。
それをどう使うかで、“信頼”に変わることもある。
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