第27話「団結なんて、嘘くさい」
二学期も終盤に差しかかる頃、学校全体は体育祭ムードに包まれていた。
教室にはスローガンが貼られ、廊下には種目や係の割り振りが掲示される。
だけど——クラスの雰囲気は、冷えていた。
「えー、リレー? マジ、無理。怪我するし」
「どうせ応援も強制でしょ? なんか……ね」
文化祭でひと騒動あってから、僕たちのクラスは“まとまり”に敏感になっていた。
団結を押しつけられるのがイヤ。自分だけ目立つのもイヤ。
そんな空気が、日ごとに濃くなっていた。
「……まただよ。こうなると思ってた」
厚木凛が、小さくため息をつきながらノートに何か書き込んでいる。
ボブカットの間からのぞく眼鏡越しの目が、冷静に周囲を観察していた。
「リーダー、決まったみたいだね」
鎌倉ほのかが、少し不安そうに言った。
掲示板の前で実行委員として名前が書かれていたのは、秦野 遼。
文化祭でも、ほとんど意見を出さなかったあの男子だ。
僕はそっと見やった。
座席の後方、秦野はプリントを配る手をやや震わせていた。
誰とも視線を合わせず、声も小さい。
「……また押しつけられたのかな」
隣の席から、茅ヶ崎がつぶやく。
明るい染めかけの髪、ほんのり焼けた肌。帰国子女らしい華やかさを持つ彼女は、すでに僕たちの輪に自然に馴染んでいた。
「本人が『やりたい』って言ったわけじゃないと思うよ。あれは、“やらされる空気”って顔だ」
「文化祭の時と同じね」
厚木が同意する。
「でもさ、文化祭より短期だし、みんな“そこそこやればいい”って思ってる感じだよね」
茅ヶ崎は気だるげに言った。
そんな空気の中、淡々と準備が進むかに見えた。
……けれど、事件は起きた。
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「跳び箱、ない……?」
その日の放課後、体育館に設置するための道具を集めに行った生徒たちが、騒然となっていた。
「いや、確かに鍵を先生から借りて開けたんだけどさ、跳び箱だけ無いんだよ」
「え、他のクラスが間違えて持ってったとかじゃなくて?」
「確認した。でもどこにもない」
跳び箱は、後日校舎裏の物置スペースで見つかった。
学校の備品にいたずらをしたとなれば、厳重注意ものだ。
でも一番の問題は——その日の夜から、秦野が学校を休んだということだった。
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「偶然、かなあ」
次の日の昼休み、僕はメッセージグループで厚木、鎌倉、茅ヶ崎に呼びかけ、人気のない図書室横のベンチに集まった。
「正直、偶然にしてはタイミングが良すぎる」
厚木が腕を組む。
「体育祭に向けて、クラスで何をしたらいいかとか、全部ひとりで背負ってたもんね。先生たちからの連絡係も、毎回彼だし」
「前もさ、クラス委員に推薦されて、断れなくて結局やってたって噂あったよ?」
茅ヶ崎が言った。
「責任感が強いというか……逃げられない性格なんだよ。そういう子、いるよね」
「でも、逃げたように見えちゃうのは損だよね。しかも、跳び箱のことも重なってるし……」
「本人に話、聞きたいね」
そう言ったのは鎌倉だった。
彼女は普段あまり発言しないけれど、こういう時は芯が強い。
「秦野くんに何があったのか、分かんないけど……。放っておいたら、きっと“また悪者”にされちゃう」
「うん。行ってみよう」
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そして、翌日の放課後。
僕たちは、校舎裏の中庭で座り込んでいる秦野を見つけた。
彼は体操着の袋を膝に置いて、体育倉庫の方をじっと見つめていた。
物音に気づいて顔を上げた瞬間、ぎくっとして立ち上がる。
「……なんで、来たの」
弱い声だった。
僕たちが名指しも何もしてないのに、秦野は勝手に“責められる”と決めつけていた。
「別に、責めに来たわけじゃない」
僕は静かに言った。
「ただ、どうして学校に来なくなったのか、理由が知りたい。それだけ」
沈黙が落ちる。
茅ヶ崎が気まずそうに視線を外し、鎌倉はそっと目を伏せる。厚木はじっと秦野を見つめていた。
やがて、秦野がポツポツと口を開いた。
「……俺、またやっちゃったのかと思って」
「やっちゃった、って?」
「跳び箱。なくなったって聞いて。鍵は先生が管理してるけど、倉庫の裏口……前に開いてたこと、あったんだよ。俺、準備に追われてて、鍵を返すの忘れてさ。あの時も怒られた」
彼の口調から察するに、直接的な証拠はないが、“また自分のせいにされる”という不安が先に立って動けなくなっていたらしい。
「でも、今回は違うよね? 鍵は先生が持ってて、記録もちゃんと残ってた」
僕が言うと、秦野はうつむいたまま、かすかにうなずいた。
「……それでもさ、俺が言ったって、信じてもらえないって思っちゃうんだ」
その一言が、すべてを物語っていた。
彼はずっと“逃げた”んじゃなくて、“期待されないこと”に慣れすぎていたんだ。
何かを壊したわけでも、誰かに直接迷惑をかけたわけでもないのに、空気で“悪者”にされる。
その理不尽を、彼はずっと飲み込んできた。
「秦野くん、跳び箱がなくなったのはたぶん、イタズラだよ」
鎌倉が、優しい声で言った。
「きっと誰かが、適当に置きっぱなしにしたか、ちょっとした冗談で……。でも、それであなたが責任を感じる必要はないと思う」
「そうだよ。むしろ、“自分のせい”って思い込んじゃうのが、いちばん危ない」
茅ヶ崎が真剣な口調で続けた。
「……でも、もう戻れないよ。俺、学校休んだし、クラスのやつらにまた何か言われるし」
「だったら、こっちの輪に入ればいい」
厚木が、さらりと言った。
「あなたが嫌な思いをした理由、全部とは言わないけど……少しずつ私たちで解き明かしていく。それが、逗子くんの得意分野でしょ?」
不意にこちらにふられて、僕は少しだけ戸惑ったが、うなずいた。
「そうだね。まずは……誰が跳び箱を動かしたか、僕たちで考えてみる。証拠がないなら、状況と人間関係から探るしかないけど」
秦野は一瞬きょとんとした顔をしたあと、小さく笑った。
ほんのかすかな、でも確かに安堵の色が混じった笑顔だった。
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週明けの月曜日、秦野は教室に戻ってきた。
とはいえ、彼を歓迎する空気はとくにない。
教室のあちこちから「あ、戻ってきた」程度の反応。
だけど、その日。放課後にまたちょっとしたことが起きた。
体育倉庫のロープが、わざと切られていたのだ。
短距離リレーのスタート地点を仕切るために使うロープ。目立たないけど重要な道具。
「また、誰かのイタズラ……?」
騒ぎの中で、僕は違和感を覚えた。
跳び箱の件も、倉庫裏に放置された位置も——“意図的”に問題を起こしている節がある。
ただのイタズラではない。クラスの団結を妨げたい誰かの意図が働いているように思えた。
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その日の帰り道。
茅ヶ崎がふと、僕にだけ聞こえる声で言った。
「ねえ逗子くん。もしかして、これ……誰かが“秦野を悪者に見せかけようとしてる”って線、あると思う?」
「……うん。僕も、そう思ってた」
もしそうなら、犯人の動機は個人的な嫉妬か、あるいは——
「体育祭、嫌がってる人間が多いのは事実だしね」
茅ヶ崎が付け加える。
「何か“壊そう”としてる人がいるんだよ、このクラスに」
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僕たちは顔を見合わせた。
これはただの跳び箱の話じゃない。
もっと大きな、不穏な何かが動いている。
そしてそれは、僕たち5人でしか止められないかもしれない。
体育祭直前。
団結なんて、誰も信じていないクラスで。
僕たちは、ひとつの“疑問”から真実へと踏み出そうとしていた。




