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第21話「隣の席の帰国子女」

夏の終わりを告げるように、風がわずかに涼しくなっていた。


 八月の最後の江ノ島花火大会から一週間。

 逗子悠翔は、自転車を押しながら学校の坂を登っていた。空は高く、雲は秋の輪郭を帯びている。


「……まだ暑いけどな」


 呟いた声は、通学路に誰に聞かれるでもなく消えていった。


 今日から二学期。

 なんてことのない日常の再開──のはずだった。



「えーっと、今日から転入してくる生徒を紹介します」


 朝のホームルーム。担任の声がけの後、前に出てきたのは一人の女の子だった。


 やや日焼けした肌にハイトーンのベージュ髪。ピアスはつけてないが、ギャルっぽい雰囲気がにじんでいる。

 でも、制服はきちんと着ていて、瞳は意外と真っ直ぐだった。


「おはよー。横浜生まれだけど、ずっとL.Aにいて、最近帰ってきました。湘南って聞いて来たから、ワクワクしてる。名前は茅ヶ崎リオって言います。よろしくね!」


 教室が一瞬どよめいた。


 テンション高めでサバサバしてそうな第一印象。

 ただ、その笑顔の裏にどこか理性的な空気を感じたのは──たぶん、逗子だけだった。



 席替えは、そのまま担任のくじ引きで決まった。


 ──逗子の席は中央寄りの窓際。

 左前に厚木凛。

 そして右隣に、まさかの茅ヶ崎リオが座ることになった。


「あ、となりかー。よろしくね、逗子くん!」


「……あ、うん。よろしく」


 軽く笑いかけられて、少し戸惑った。

 まっすぐな目で話しかけてくるあたり、海外育ちのオープンさを感じる。


「そっちの厚木さんもよろしくねー。あ、でもメモとか覗かないから安心して!」


 「……あんた誰情報それ」と厚木は鋭く返したが、すぐに目をそらした。照れたようにも、警戒してるようにも見える。



 その後の授業は、まだ本格的な再開ではなく、軽いガイダンスや夏休みの話で流れていった。


 逗子は教科書に落書きしながら、こっそり後ろの席を振り返る。

 鎌倉は、教室後方の端。少し遠くなった。


 黒髪を結い直して、淡々とノートを取っている。

 浴衣姿が思い出されたけど、今の彼女はいつも通りの制服姿だ。


 ──なんとなく、話しかけにくい。


 そんな距離感が、二学期最初の空気として流れていた。



 昼休み。


 いつものように、逗子・小田原・厚木の3人で屋上近くの踊り場に集まる。

 小田原はのんびりとパンをかじりながらスマホを眺めていた。


「で、どう? 隣の席、ギャルだけど」


「ギャルって言い方、偏見入ってるよな」


「海外育ちって聞いて、ちょっと構えてたけど、あの子わりと真面目じゃない? あのテンションにしてはさ」


 厚木が意外そうに言った。


「……話しかけられると、やり返さなきゃって思う」


「攻撃性高すぎるだろ」


 3人で笑っていると、ポニーテールのシルエットが階段を上ってくる。


「よ。久しぶり」


「鎌倉さん」


 声をかけると、彼女はにこっと笑った。けれど、少し距離がある気がした。

 近くに座ることもなく、階段の途中に腰をかけて、お弁当を広げた。


「……なんか、席離れちゃったね」


 逗子が何気なく言うと、彼女は箸を止めた。


「うん、まあ。席なんて、またすぐ替わるし」


 そう言って微笑んだが、その瞳は少しだけ泳いでいた。



 放課後、校門を出ると、茅ヶ崎リオが歩いていた。


「やっほー、逗子くん。帰る方向ってどこ?」


「……戸塚方面だけど」


「あ、それなら駅までは一緒かも。てか、さっきの鎌倉さん? あの子、逗子くんの彼女かなんか?」


「違うよ。普通にクラスメイト」


 その言い方に、自分でもどこか違和感があった。

 “普通に”という言葉が、どうも収まりが悪い。


「ふーん。なんかさ、向こう、ちょっと気にしてた感じあったけどね?」


 そう言って笑ったリオは、思ったよりもよく人を見ているようだった。



 その夜、鎌倉は自室のベッドでスマホを見つめていた。


 ──新学期、席替え、帰国子女の隣。

 逗子が話して笑っている姿を見るのが、こんなにモヤモヤするなんて思わなかった。


「……まだ、気にしすぎなんだよね、私が」


 だけど、声に出した言葉は、自分の胸の内をなだめるには少し足りなかった。



 一方、小田原は自室のソファで兄と文化祭の話をしていた。


「今年も屋上で演奏するらしいよ、上の学年。軽音部とかさ」


「へー、文化祭って、もう準備始まるのか」


 そんな会話が、ごく自然に交わされた。

 逗子たちの一年生クラスでも、文化祭に向けての話題がじわじわと動き出そうとしていた。



 2学期が始まり、少しずつ、季節が秋へと進んでいく。


 転入生の茅ヶ崎リオの存在は、波紋のように教室に広がり、

 やがて、鎌倉の心をも少しずつ揺らしていく。


 ──その変化の兆しは、文化祭という“舞台”へとつながっていく。


 何気ない日常の中で、登場人物たちは少しずつ、

 交差しながら、自分の場所を見つけようとしていた。


夏が去った教室には、冷房ではない風が吹き込むようになっていた。

 二学期が始まって数日──ようやく学校の空気に体が馴染んできた頃。


 その日の4時間目、LHRロングホームルームの開始を告げるチャイムとともに、担任の城ヶ島先生が教卓の前に立った。


「はい、静かに。今日は文化祭の実行委員を決めます」


 途端に、教室の空気が微妙に変わる。

 窓際の一軍男子グループが苦笑いを交わし、女子の何人かは筆箱を開けて「興味ありません」アピールを始めた。


 逗子悠翔は、窓から遠い席でその空気を静かに眺めていた。


 ──今年の文化祭、どうなるんだろうな。



「じゃあ、まず男子の実行委員。立候補は……いるか?」


 城ヶ島先生が教室を見回す。


 ……静寂。


 少し間が空いてから、一軍男子グループの中心にいる港南が、にやにやしながら手を挙げた。


「お、いないなら──あいつでよくね? 真鶴!」


 指さされたのは、教室の端で読書をしていた地味な男子生徒。黒縁メガネに猫背、制服はピシッとしているのに何故か影が薄い。


「……えっ?」


 彼──**真鶴怜司まなづる・れいじ**は、まるで呼吸を止めたように顔を上げた。


「お前さー、時間あるだろ? てか目立たないから、逆にいい思い出になるって」


「賛成〜!」と、便乗の笑いが教室を包む。


 先生はため息をつきつつも、「じゃあ、真鶴で決定」とまとめてしまった。


 ──誰も逆らわない。いや、逆らえなかった。



「女子はどうする?」


 城ヶ島先生が振り向いた瞬間、再び沈黙が教室を支配する。


 その空気に耐えきれなかったのか、一人の女子がゆっくりと手を上げた。


「……私、やります」


 静かな声だった。

 彼女の名前は寒川紗枝さむかわ・さえ。クラスで目立つタイプではないが、いつも真面目に授業を受け、先生受けはいい。

 空気を壊すことができず、断れなかったのだろう。


「え、寒川? マジで?」

「うっわ、やっさし〜」


 軽口が飛ぶが、彼女は何も言わず、うつむいたまま頷いた。



 休み時間。逗子は、厚木と鎌倉とともに屋上近くの踊り場にいた。


「……見てて、なんか嫌な感じだったな」


 厚木が小さく呟いた。


「真鶴くんって、あの読書してる子でしょ。無理やりやらされて、かわいそうだった」


 鎌倉の声にも、わずかな苛立ちが混じる。


「港南たちがああいうノリなの、今に始まったことじゃないけどさ。先生もあっさり流すし、どうなのかなって」


 逗子は、黙っていた。

 彼も感じていた──あの空気の重さ、目を逸らしたくなる鈍い圧力。



 放課後、教室では文化祭の出し物についての話し合いが始まっていた。


「で、何やるの? やっぱ喫茶系?」

「いや、ステージは?」

「準備めんどくない? 焼きそばとかならまだマシ」


 言いたいことだけ言い合って、まとまる気配は皆無だった。


「……なんでもいいよ、どうせうちのクラスやる気ないし」

「ってかさ、文化祭ってクラスで競うやつじゃないんでしょ? 適当で良くない?」


 寒川は、皆の意見を一つ一つ丁寧にメモしていたが、筆が止まっていた。

 その隣では、真鶴が何か言いかけて──やめたようだった。



 その様子を見ていた逗子は、溜息をついた。


 ──見て見ぬふりをしてきた自分が、今は少し情けなかった。


 そのとき、廊下から戻ってきたのは茅ヶ崎リオだった。

 リオはその空気を一瞬で読み取り、ふっと笑った。


「出し物さー、テーマ決まってないと話にならなくない? 文化祭って“文化”を見せるんでしょ? だったら“外国文化”とか、“昔の日本”とか、“ミステリーカフェ”とか……ジャンル先に絞れば?」


「おお、案外まともなこと言うな茅ヶ崎」


「はー? 言い方悪すぎ。私マジ真面目なんですけど?」


 軽口を交わす二人を見て、寒川が少しだけ笑った。

 真鶴も、リオの言葉に軽く頷いた。



 その日の帰り道。逗子は、鎌倉と一緒に歩いていた。


「……あのままだと、真鶴くんと寒川さん、潰れそう」


 鎌倉が呟いた。


「うん、思った。でもどうすればいいんだろうな。俺たちが手を出して、余計悪目立ちしても意味ないし」


 歩きながら、逗子は考えていた。

 何かを変えたい。だけど、どうすれば──。


 そこでふと、真鶴が読んでいた本のタイトルが思い出された。


『沈黙は賛同と同義』


 ──その通りだと思った。


「……俺、話してみようかな。真鶴くんに」


 そう言った逗子に、鎌倉はほんの少し驚いた顔をしてから、うなずいた。


「うん。逗子くんが言うなら、大丈夫だと思う」



 次の日。

 逗子は、真鶴に話しかけた。教室の隅、まだ始業前の時間だった。


「なあ、困ってること、あるなら言ってくれていいから」


 真鶴は少し驚いた顔をして、すぐに目を逸らした。


「……別に、なんとも。慣れてるから」


「でも、慣れなきゃいけないことじゃないと思う。俺でよければ、手伝うよ」


 逗子のその言葉に、真鶴はしばらく黙っていたが──


「……ありがと」


 小さく、でも確かにそう言った。



 文化祭の準備は、まだ始まったばかり。

 でも、小さなほころびは、すでにあちこちに生まれていた。


 このままでは、クラスがまとまらない。


 けれど逗子たちは、誰かの“ために動く”という選択をし始めた。


 ──そして、それは文化祭当日へとつながる“事件”への序章でもあった。

考えて考えて考えて形にしていくのも難しい

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