第20話「想い、揺れる光」
江ノ島の海辺を離れたのは、夜九時を過ぎた頃だった。
帰り道、人混みの中を歩きながら、鎌倉ほのかは自分の歩幅にそっと意識を向けた。逗子悠翔の一歩より、少しだけゆっくり。けれど、立ち止まらず、追いつきすぎず。絶妙な距離を保つそのリズムが、今夜の彼女の精一杯だった。
「電車、混んでるかもな」
逗子のそんなひとことに、鎌倉は「うん」とだけ返す。声が震えそうで、それ以上言葉を続けられなかった。
──このままずっと、夜が終わらなければいいのに。
そんな気持ちが、胸の奥で小さく疼いていた。
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電車に乗ったのは、午後九時半すぎ。
すでに花火大会から帰る人たちでホームは混み合っていて、車内には立ち客もいた。逗子と鎌倉はなんとか連結部そばの窓際を確保し、つり革に手をかけた。
「手、疲れてない?」と逗子が聞いた。
「ううん、大丈夫」
ふたりの手は隣り合っていたけれど、決して触れない。触れたらきっと、何かが変わってしまう気がした。だから彼女は、ほんの少しだけ指先を握り直した。
窓の外には、夜の街並みが流れていく。夏の終わりの風が、ほんの少しだけ涼しかった。
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その日、家の玄関に着いたのは午後十時半を過ぎた頃。
「じゃあ、また」
逗子のその言葉に、鎌倉はほんの少しだけうなずいた。「うん、またね」
逗子は振り返らずに帰っていった。まっすぐな背中。変わらない歩き方。やっぱり、何も気づいていない。
玄関のドアを閉めた瞬間、ため息がこぼれた。
浴衣の帯をほどきながら、鎌倉は自分の顔が赤いことに気づいた。
「……気のせい、だよね」
でも、どうしてか胸がざわざわする。
逗子が名前を呼ぶたび、他の子と話しているのを見たとき、少しだけもやもやした。
それが「好き」なのかどうか、まだはっきりとは言えない。でも確かに、ただの友達より、もう少しだけ特別な存在になってきているのは、自分でも分かってしまった。
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部屋に戻って、浴衣を脱いでTシャツに着替えた。髪を下ろして、机の前に座る。
スマホを見ると、グループチャットには今日の花火大会の感想が並んでいた。
──「鎌倉ちゃん浴衣似合ってたね〜」
──「逗子くんも来てたの?」
──「まさか二人で行ったの?!」
「違うよ」と思いながらも、訂正の返信はしなかった。
ほんの少しだけ、誤解されてもいいような気がした。
そんな自分が、少しイヤだった。
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その夜、ベッドに横たわっても眠れなかった。
天井を見つめながら、あの江ノ島の海風を思い出す。
人混みで手を伸ばしかけて──やめたあの一瞬。
“また来よう、皆で”と笑った逗子の顔。
皆で、という言葉が、あんなに遠く感じたことはなかった。
(どうして私だけ、こんなに考えてるんだろう)
(どうして逗子くんは、あんなに平気そうなんだろう)
きっと悪気なんてない。彼はいつだって、自然体だ。
優しくて、冷静で、少しだけズレてて。でも、目の前のことをちゃんと見てる。
──私のことも、見てくれてた。
迷子になった私を、ちゃんと見つけてくれた。
あの瞬間は、うれしかった。ほんとうに。
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午前二時。もう明かりは消していたが、眠れずにスマホの画面だけがぼんやりと照らす。
SNSをぼんやり見ていたそのとき、逗子からメッセージが届いた。
> 「今日はありがとう。来年もまた行こう」
たったそれだけの短い文面。
でも、それだけで心がざわめく。
(私が浴衣着ていったこと、気づいてた?)
(いつもみたいに“似合ってる”とか“夏らしい”とか、そういう理由だったの?)
(それとも……)
──「逗子くんは、私を女の子として見てるのかな」
自分でそう言葉にして、初めて気づく。
私、今、こんなに考えてる。たったひとつのメッセージで、何度も読み返してる。
これが「好き」なんだとしたら──
どうしたら、いいんだろう。
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朝になっても、その答えは出なかった。
けれど一つだけ、わかったことがある。
このままじゃいけない、ということ。
逗子悠翔は、気づかないまま優しくしてくる。
私がどんな気持ちで隣を歩いていたかなんて、あの人はきっと想像もしていない。
だけど、それでも──
それでも、次に会ったとき、私は少しだけ変わると思う。
今までみたいに、普通の友達ではいられない。
それが怖いけど、進まなきゃいけない気がする。
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夏は、終わった。
でも、心の中で火花のように弾けたあの瞬間だけは、
まだ、くすぶるように胸の奥で光っていた。
実際江ノ島の花火大会てめちゃくちゃ混みますよね‥




