第11話「消されたアカウント」
七月半ば、夏休みに入って数日。
空には白い雲がぽっかりと浮かび、セミの鳴き声がどこか遠くで響いていた。
俺たち四人は、戸塚駅近くのカフェに集まっていた。
「ついに夏休みだなー! 俺、昨日から夜ふかししまくってるわ」
小田原がアイスコーヒーをすすりながら言った。
「それ、ちゃんと朝起きてるの?」
鎌倉が眉をひそめる。
「起きてる起きてる。昼に」
「意味ないでしょそれ……」
俺は冷房の効いた店内で、汗の乾く感覚を楽しみながら、厚木凛の様子を見ていた。
いつも通り──のように見えた。
けれど、どこか落ち着かない。スマホを触る指が、微かに震えているようにも感じる。
「……厚木、大丈夫か?」
俺が声をかけると、彼女は一瞬、びくりと肩を跳ねさせた。
「あ……うん。大丈夫、ちょっと寝不足なだけ」
その答えは嘘ではないかもしれないが、全てでもなさそうだった。
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数日前、厚木からグループチャットに珍しく相談が来た。
「ちょっと変なことが起きてるかも。今度、会って話せる?」
それが今日だった。
「ねえ、実はさ……ちょっと、おかしなことがあったの」
厚木が、テーブルにスマホを置いた。
ロックを解除して見せたのは、とあるSNSのプロフィール画面。そこには、フォロー数が「0」、投稿も「0」の表示。
「これ、私のアカウントなの」
「え……? 消したの?」
鎌倉が驚いたように覗き込む。
「ううん。消してない。ログインしたら、こうなってて……しかもね、二日前に、勝手にDMが送られてたの」
「勝手に……?」
「“自分語りうざいから消えろ”って。私のフォロワーに」
空気が一瞬、凍った。
「それって……乗っ取られた?」
「分からない。でも、DM送った相手から、“もう関わらないで”って言われて……すごく怖くて」
「パスワードは?」
「変えても、またログインされたみたい。アプリの通知履歴に、知らない端末名が残ってた」
厚木は怯えた目で、スマホをぎゅっと握りしめた。
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「つまり、厚木のSNSが誰かに狙われてるってこと?」
小田原が眉をひそめた。
「そもそも、なんで厚木が狙われるんだ? 炎上とかしてたわけじゃないんだろ?」
「うん。鍵垢だったし、投稿はほとんどアニメの感想だけ。リアルの知り合いも3人しかフォローしてなかった」
「その3人って誰?」
厚木が少し間を置いて答えた。
「一人は、同じ中学の友達。もう一人はアニメイベントで知り合った人。そして……もう一人は、最近できた……」
「できた?」
「……ネットの中で知り合った、少し年上の人。ずっと匿名で話してた」
その瞬間、小田原が身を乗り出した。
「そいつ、今も連絡取れるのか?」
「……数日前に、急にブロックされた。理由は分からない」
言葉が、重く落ちた。
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事件の発端は、もしかしたら──ネットの中にある。
匿名の、顔も名前も知らない誰かが、厚木を狙っている可能性があった。
鎌倉が不安げに言った。
「それって、何か個人情報とか、流出してたり……しないよね?」
「……それが、一番怖いの」
厚木は、震える声で続けた。
「さっき、スマホに“見てるよ”って通知が来たの。送信者不明のSMSで、本文もそれだけ」
「それ……完全に悪質な嫌がらせだろ」
小田原の顔が険しくなる。
「学校関係……じゃないよな? この夏休みで誰かに恨まれるようなことしたとは思えないし」
厚木は首を振る。
「アニメの感想、ちょっと辛口だったことはあるけど……そんなことで……?」
「いや、十分動機にはなる。ネットの世界じゃ、誹謗中傷の火種なんてどこにでもある」
俺はゆっくりと口を開いた。
「厚木、そのSNSアカウント、作ったのいつ?」
「中三の夏。アニメイベントで色々知り合って……でも最近は、ほとんど更新してなかった」
「なら、鍵をかけてるのに“知ってる誰か”が中に入った可能性が高い」
4人の視線が、俺に集まった。
「厚木が信頼してた誰かが、アカウントをコピーして乗っ取った。あるいは、以前ログインできた端末がまだ使えるとか」
「でもそれ、なんで今になって?」
「それを調べるには、厚木が過去にやりとりした人間の中に、動機を持ってるやつがいないか探すしかない」
「たとえば、逆恨み?」
「あるいは、好意の裏返し。関係を拒否された相手が“傷つけよう”とするケースはよくある」
沈黙が落ちた。
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その夜、厚木からメッセージが来た。
『スマホの通知、また来た。“どこにいるか、分かってる”って』
俺は即座に返信した。
『明日から、絶対一人にならないこと。GPSも切って。何かあったらすぐ言え』
『うん。ありがとう。逗子くんたちがいて、ほんとに……良かった』
短い言葉のやりとりの中に、厚木の恐怖と信頼が詰まっていた。
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事件は始まったばかりだった。
ネットの向こう側で動く“何者か”が、厚木の平穏な日常を壊そうとしている。
そして、俺たち四人はその渦中にいた。
夏の始まりは、静かに、だが確実に不穏な気配を孕み始めていた。
お読み下さりありがとうございます♪夏休み編です♪